(by paco)380愛すべきモノたち(1) Carl Zeiss Planar 1.4/85

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(by paco)今週はちょっとお気楽に、最近お気に入りのモノたちのはなしをします。

環境問題についての活動をやっているpacoとしては、本当は「大量消費」的生活からは足を洗わなければいけないのですが、高度経済成長期に育った僕としては、物欲を消すことはナカナカできず、ストレスフルな状況になったりするとついモノを買うことで解消しようとするようなところもあって、物欲生活から抜け出すことができません。

これについてあえて言い訳をするつもりもないのですが、人はそれぞれに欲望から切り離されることは難しいということも受け入れていかないと、本当に実践的な環境政策は打ち出せないだろうなあと思っています。

さて最初のブツはレンズです。本当はいくつかオムニバスで書こうと思ったのですが、書いてみたらこの話だけで1本終わっちゃいました。また次回以降、書いていきます。

★Carl Zeiss Planar T* 85mm F1.4

カールツアイスはドイツのレンズ/光学機器専門メーカーで、今もカメラは作っていません。第二次大戦までは世界トップのカメラ/レンズはドイツ製で、その中でもカールツアイスはライカと並んで圧倒的な評価を受けてきました。終戦後、ドイツが東西に分断され、ツアイスの本拠地イエナは東独に編入されたこともあって、ツアイスは勢いをなくし、日本のカメラメーカーが世界に進出する空白を作ったのですが、その間も、ツアイスレンズは要所要所で写真のマーケットに登場し、カメラファンの心をつかんできました。

僕が写真を始めた1970年代以降で言えば、ヤシカ/京セラグループが西ドイツのツアイス分家とのコラボレーションでCONTAXというドイツ伝統のブランドをひき着いて一眼レフを復活させ、そこにツアイスのレンズを標準装備して売り出してきました。当時僕が使っていたCANONのカメラ&レンズもなかなかよかったのですが、「CONTAX=ツアイス」カメラへの評価は高く、あこがれの存在だったわけです。のちのこのシリーズは廃盤になったのですが、社会人になってから、廃盤だったCONTAX RTSという最上位モデルを中古でゲットして、ツアイスのレンズを使っていたことがありました。

「空気までも写す」と言われたあこがれのレンズとカメラを手にして、喜び勇んで撮りまくったのですが、仕上がった写真がどうも気に入らない。ピントが甘く、シャープじゃないのですね。当時から、ツアイスレンズはカラーバランスと発色、空気感が優れているという評価で、シャープさはあまり言われてこなかったので、やっぱり発色優先で、ピントのシャープさは犠牲になっているのかなと思っていました。かっちりピントの来た写真が好きだったので、結局、このカメラは長続きせず、その後、再び、CANONの伝説の名機「F-1」をゲットしたのですが、忙しくなったりしたこともあって、それほど量は撮らずに、これも友人に売却、その後はコンパクトデジカメで日常スナップという日々が10年ほど続いてきたわけです。

そんな「忘れていた写真への重い」が再燃したのが、去年の1月。PENTAXのデジタル一眼K100Dをゲットしてからで、最初は「あっさり付き合おう」と思っていたのですが、手にしてみると写真はおもしろく、あっという間に写真器材を買いまくる日々に突入、その最後の仕上げか?というブツが、この「Carl Zeiss Planar T* 85mm F1.4」なのでした。

明るい大口径Carl Zeiss Planar T* 85mm F1.4で、ドイツのレンズらしく(製造は日本のコシナですが)、金属パーツを多用したがっしりしたつくりなので、でかくて重い。レンズだけで570グラムと、カメラボディにあと一歩という重量感だし、今どきマニュアルフォーカスで、オートフォーカスは聞かないし、もちろんズームも無し。一般ウケする要素は何もありません。

さっそく撮ってみたのですが、やはりかつてのようにピントがいまいちシャープに来ない感じで、やっぱりツアイスはダメなのかなあとがっかりしつつも、条件がいいときにとり続けてみました。

すると、だんだんピントが合わせられるようになり、お?っという感じの写真が撮れるようになってきたのです。

85ミリ(換算値で130ミリ相当)の望遠レンズの上に、開放がF1.4。そのレンズで最短距離ぎりぎりまで接近して花を撮ろうとしていたので、ピントが合う場所は、文字通り針の穴を通すようなわずかな範囲だけです。おまけに格段に視力は落ちているし、オートフォーカスにすっかり慣れてしまって、ファインダーのフォーカシングスクリーンに映る像のピントを見極めるほどの気力もすっかり無くなっていたことも重なって、まったくピントが合わせられなかったのでした。

撮影場所は六兼屋の庭に限定して、時間があるときに、納得がいくまでピントを合わせてとるスタイルにしてみると、じょじょにピントがあった写真が撮れるようになってきました。コツは、ファインダーを覗く目を大きく見開くこと。眉毛をつり上げるようにしてまぶたを開くと、瞳も広がるのか、精確なピントが見えるようになります。一方、風があるひたと、被写体の花の方が揺れてしまうので、逆にピントが合いません。風が収まるのを待って、じっくり撮っていると、だんだんいい写真が撮れるようになってきました。

もうひとつのコツは、絞りを開放にせずに、1?2段絞って、F1.8?4ぐらいで撮ること。ピント自体は開放でもちゃんとあうのですが、何しろ85ミリでF1.4なので、コスモスの花ぐらいのサイズでも、めしべの先にピントが合うと、おしべの根本や花びらはぼけるというぐらいのピントなのです。F4ぐらいまで絞ると、被写界深度(ピントが合っている前後の範囲)が広がって、狙ったところのピントも確実になるし、前後、花びらの一部までピントが合ってくるので、撮りやすくなってきます。この程度絞っても背景は完全にぼけて融けてしまっているので、ふわっとした背景にくっきり花が浮かび上がる写真が撮れるようになりました。実際のところ、カメラのモニターでピントを確認して何枚も取り直せるのもいいところです。

こうしてレンズを使い込んでみると、以前、CONTAXを使っていたときはピントがわせられていなかったのだと言うことに気づきました。当時使っていたのは、焦点距離がひとまわり短い50ミリF1.4でしたが、それでもピントはシビアで、当時はフィルムだったので、それほど取り直すこともできず、アバウトなピントで撮った写真を「シャープじゃない」とあらぬ批判をしていたのだと思います。まあ、そういう可能性については当時もうすうすわかっていて、「カメラと自分、どっちが悪いというより、実際使いこなせないんだからしょうがない」と思ったのでした。

一方、発色や写真の味はどうかというと、これはすばらしいの一言。クリアで濁りや曇りがない発色、色のノリがすばらしく、でもへんに色が誇張されることが無く、見たままよりわずかに絵の具が乗っているかのような乗っていないような、絶妙な色加減で、肉眼より写真の方がきれいと感じる絵がとれます。

PENTAX純正レンズの中で名機の誉れ高い「FA77mm F1.8 Limited」と比べてみても、さらに一段と色のノリがいい印象で、FA77mmが色あせて見えるとまでは言わないまでも、レンズの透明度の違いを感じるというような、すっきりした写真になるのです。

FA77mmの名誉のために付け加えれば、FA77は小型・軽量(体積、重量とも、半分以下)、オートフォーカスですから、機動力を含めて考えれば、FA77mmはすばらしいレンズです。いくら綺麗だからといって、こんなに神経質で重いレンズを持ち歩く気にはなかなかなりません。

それぞれのよさはあるものの、「Carl Zeiss 1.4/85」は最近急速に存在感を増しています。

それはそれとして、いい写真というのは、どんなものなのでしょうか。それぞれの価値観があると思いますが、僕は花のような静物と風景を撮る人なので、そういう観点から見ると、存在感を表現できているかどうかが、最も重要な要素だと思います。

写真は、見たままを切り取ることができるとみな思っています。しかし、肉眼で見ているものと、写真は、実はかなり別物です。肉眼は視界のほとんどにピントが合っていますが、写真はピントを合わせたり、ぼかしたりすることで、見たままではない絵を作ることができます。その一方で、肉眼では視界の中央にあるモノに意識が集中することで、それ以外の部分は意識がぼんやりして、見えているけれど、見えていないような状態になります。写真では絞りを開いて、注目している部分以外のピントをぼかすことで、肉眼で何かに注目して見ている状態に近いものを表現しようとします。

その一方で、写真でしか表現できないものがあり、四角い写真の中で中央ではない端の方にピンを合わせ、他をぼかすこともできます。画面中央がぼけている絵ができますが、これは写真ならではの表現です。写真は視界の一部を長方形に切り取ったモノですが、視界の一部を切り取ることで、肉眼が見ている「世界の範囲」を表現することができます。

というわけで、写真にとっては、世界の切り取り方=フレーミングと注視の表現であるピントとぼけがとても重要になるわけです。このふたつをコントロールするために、焦点距離が違うレンズを使い、絞りを変えて凝視している範囲だけにピントが合うようにすることで、モノを周辺から浮かび上がらせ、擬似的に肉眼に近い画像を得ているのです。肉眼で見たときの印象を、そのまま写真として固定化しても、見たときに感動を留めることはできません。見たときの感動を写真表現のメソドロジーの中で解釈し直し、どう切り取るか(フレーミング)、どこに焦点を合わせ、どこはぼかすのか(絞り)が重要になってくるわけです。よい写真器材とは、こういうコントロールが自在にできるものであるべきで、開放絞り値が小さい明るいレンズは、ピントが合っている範囲が非常に狭く、絞れば広くなるので、コントロールしやすいし、焦点距離の違うレンズを用意して、フレーミングを自由にできるようにすることが重要になるのですね。

ちなみに、なぜズームレンズを使わないかと言えば、上記のような表現のための条件が整っていないからです。一般にズームレンズは開放絞り値が大きく(F4とかF5.6ぐらいが最小になる)、背景がぼけにくいこと、ぼかした部分の表現が荒々しくてごちゃついた絵になりがちだし、ピント自体のシャープさも単焦点と比べるとよくないし、発色の鮮やかさ、濁りのないクリアさの面でも劣ります。

実際、この2年で、シグマ製ズームレンズ、ペンタックス製ズームレンズなどいろいろ使ってみたのですが、結局今の主力レンズはほとんどが単焦点で、超望遠レンズだけがズームです。200ミリ、300ミリという超望遠レンズはもともと背景がぼけやすいレンズなので、ズームでも遜色がないこと、ピントがシビアなので、開放絞り値があまり明るくても使いこなせないことなどが理由です。超望遠の単焦点はお値段も高く、重量も重くなるというのも大きな理由なので、値段的な問題はそのうちお金ができたら買っちゃうかもしれませんが、軽さ、小ささの美点を考慮すれば、望遠系のズームレンズは単焦点との差が小さいと思っています。実際、300ミリ同士で比べれば、今持っている「DA 55-300mm F4-5.8」は410グラムで長さ11センチ。単焦点の「DA★300mmF4」は1070グラムで18センチ。410グラムのレンズは手持ちができますが、1キログラムを超えるレンズは手持ちが難しく、機動力が落ちます。画質がいいのはわかっているのですが、決定的な差になるのかが悩ましいところです。

今回はレンズについて描いてきましたが、カメラについても書いてみたくなりました。次回書くかも、しれません。ちなみに、今僕が持っているレンズラインナップは以下の通りです(焦点距離の短い順)。

SMC PENTAX DA14mm F2.8
SMC PENTAX DA21mm F3.2 Limited
SMC PENTAX DA35mm F2.8 Macro Limited
SMC PENTAX DA40mm F2.8 Limited
SMC PENTAX FA43mm F1.9 Limited
Carl Zeiss Jena Tessar T 50mm F2.8
SMC PENTAX FA77mm F1.8 Limited
Carl Zeiss Planar T* 85mm F1.4
SMC PENTAX DA 50-200mm F4-5.6
SMC PENTAX DA 55-300mm F4-5.8

10本ありますね?。

実際に撮影した写真については、以下のページで!
まるやまうぇぶ
[写真館]

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