(by paco)379日本人の働き方は変えられる

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(by paco)大手IT企業のD社で、裁量労働制導入のコンサルティングを初めて丸3年になります。目的は「働き方の変革」。もちろん、時短も含めて、効率的に働き、アウトプットもきちんと出すために、全社を挙げてと組むべしというトップの方針を受けて、現場を巻き込みながらの変革をお手伝いしてきました。

スタート当初、社員も現場マネジャーも、おおむねネガティブで、「理念はわかるし、実現できたらいいけれど、うちの会社では無理、絵に描いた餅」という反応でした。実際、残業時間は多いし、さまざまな制約もあって、難しい側面もありました。

その中の代表的な意見としては、「人が減らされていて、仕事が増える中で、ワークライフバランスなんていっても無理、残業時間は減らない」というものでした。人が増えないと、自分たちの仕事は減らないし、仕事が減らなければ、生活とのバランスをとるなんて無理。でも人件費がかかることは会社は絶対にやらない」という感覚でした。

しかし実際に制度の導入を進めながら、課長、部長などのミドルマネジャーに趣旨を説明して実行に移していくと、明らかな人手不足のチームで、実際に人材の補充が行われてきたという実績があります。

この制度を始めるとき、僕はコンサルタントとして、マネジャーや社員に、こういう話をしてきました。「もし本当にマンパワー不足で残業が多く、改善しようがないなら、その旨を上のマネジャーに説明して、話し合ってください、それでもだめなら導入する必要はありません、というより、制度上、導入できません」。実際、制度上、一定化の残業時間にならないと、導入できないのですが、それ以前に、マンパワー不足だという認識を現場からミドルやアッパーマネジメント層に情報をあげて話し合うということが、ほとんどなかったのです。基本的に人員配置は上位マネジメントの意思決定事項なので、現場の社員にはあずかり知らないことです。もちろん、一般社員(平社員)が人員を増やす決定ができるようになったわけではありません。しかし、制度を導入して会社のいう「働き方の変革」をしたいのに、明白なマンパワー不足でできない、ということは説明できます。

現場で働く一般社員の残業時間は、人手が足りないという実感があって、伸びているなら、それを現場マネジャーと話し合う。現場のマネジャーはチーム運営の実感値と一般社員の行動スケジュールを改めて確認して、明らかにマンパワーが問題であれば、アッパーマネジメントと話し合うようにリードしました。また上からも同じようにメッセージを出し、残業時間を増やすという方法に頼ったマネジメントを続けないように、最適な人員配置と運営をすべしと周知していきました。

すると、現場では、実際に人員が補充されるというチームが出てきたのです。補充は、派遣社員のような事務作業をやる人員を増やしたところ、外注先に出す仕事を増やしたところ、社員を増やしたところ、いろいろです。それぞれの業務に合わせて、一般社員が本来やるべき仕事を見極め、そこにフォーカスするためのマンパワーの補充の仕方は、一般社員も含めて検討し、ミドルマネジメントからアッパーマネジメントが意思決定するという形で進められたのです。

そもそも、この会社の給与水準は、わるくない水準なので、逆に言えば時間単価の高さに見合った仕事をしなければなりません。そういう社員に、誰にでもできる事務作業をやらせて、人員が減り、人件費が削減されたと考えているマネジャーもいました。その結果、残業が増えれば、残業総量の圧縮指示を出して(8時以降は残業禁止など)住ませたりしているところもあったのですが、こういうやり方では最初はなんとかなっても、しわ寄せが社員にいって、限界に達します。こういう状況のままでは、当然、働き方の変革など絵に描いた餅です。

しかし、ワークライフバランスについて、現場で考えるべきだというメッセージがきちんと出ると、社員が残業することで対応するのはかえって無駄が多いことに気づくのです。時間単価の高い社員が残業して事務作業をするより、派遣社員にお願いした方がトータルのコストは低くすることができるでしょうし、2?5割増の残業代(深夜や休日)を払ってまで仕事をするより、社員を1人雇って割増なしで仕事をした方が、人件費は安くすみます。もちろん、雇った分だけの仕事がないなら、無駄なアイドリング時間が増えてしまいますが、雇っても仕事があるなら、残業増加で対応するより人を増やした方が合理的なのです。

ワークライフバランスの実現に懐疑的だった人にはこういう原則論を理解してもらった上で、ねらいを明確にした上で、方法論はひとりで悩まず、上や下と話し合いを持つことをお願いしました。制度導入や働き方の変革そのものを義務付けたのではなく、変革のコンセプトの共有と、実現の具体プランの立案までを義務付け、実行するかどうかは現場に任せるという方法です。

実際に社内で実行が始まると、ネガティブだったところもいつの間にか、働き方を変える方向に動き始め、制度を導入して、人員が増えたり、担当の役割分担を変える、仕事のやり方を見直すなどして、ワークライフバランスの実現に向けて、一歩を踏み出し始めたのです。特に注目しているのは、実際にマンパワーの増加にまで踏み込んだチームが意外に多かったことで、コスト削減に取り組む時期であっても、残業を減らしつつ、コストメリットも出すことができることに、気がついたのです。原理的な話から理解してもらうことで、実行できるようになったということもあります。

現状では、導入対象者の残業時間が劇的に下がったというところまでは来ていないのですが、下がる傾向とおおむね満足度は高いという結果が出ています。短期的にはともかく、長期的には、人員の最適配置や業務のムダを取り除く作業を地道に続けるのが、結局は目標達成の近道だということに気がつき始めたということです。

こうした動きは、欧州では1980年代の不況の時期に模索され、オランダ、フランス、ドイツなどでは定着しています。

オランダはじめ大陸欧州では、いわゆるワークシェアリングの政策を導入しました。社員1人当たりの労働時間を週32時間程度(1日6時間ほど)に制限し、報酬もそれに見合った程度に低減します。その代わり、正社員をパートタイマー、契約社員の賃金格差を禁止し、同一賃金にする。ある社員が週50時間仕事をしていれば、正社員が32時間仕事をして、パートタイマーが18時間仕事をすることにして、分担するわけです。賃金を同一にすることで不利をなくすと、正社員からパートに移る人も増え、失業者がパートとして収入を得ることもできるようになりました。

正社員だけしか雇用がなければ、週50時間以上働くことになり、夫婦で仕事をすると、家庭にかける時間がかなり短くなってしまいます。夫婦で2人分収入はあるけれど、ゆとりがない生活と、1.5人分に収入が減るけれど、時間のゆとりのある生活。あるいは夫は夕食に帰れないほど忙しく、妻は働きたくても失業という状態より、夫婦それぞれが働く満足を感じられる生活。どちらがいいかという問いの中で、大陸欧州は仕事をシェアしてQuality of Lifeを高める道を選びました。

欧州はその後、景気の面でも回復していくのですが、それはユーロの採用や資本の自由化など、ほかの政策も含めて実現したことです。一方で、ワークシェアリングは景気の向上にはそれほど貢献しなかったとしても、失業者をなくし、家庭内や個人のQuality of Lifeをあげることには成功したのです。

フランスは、ここ10年ほどの間に子供を持つことの優遇策をどんどん打ち出して、先進国の中では唯一、出生率を向上させてきた国ですが、こういったQuality of Lifeを重視する政策も、ワークシェアリングの成功から学んだものと言えます。

パートと正社員との賃金格差をなくすことは重要です。しかし、もっと言えば、パートや契約社員の方が賃金が高くていいのです。

パートなら社会保障(年金や健康保険、失業保険など)を会社が払わなくていい、というのもひとつのメリットではありますが、本来、払わなくていいルール自体、明らかにおかしなルールです。この点の条件を同一にしても、パートの方が給料が高くていい理由があります。

正社員の給与は、社員が稼ぎ出した利益から、仕事の必要経費と社会保障の会社負担分をひいき、会社の利益を抜いた額、ではありません。さらに社員の退職金のための積み立て分を弾かれているのです。日本では多額の退職金を用意する習慣があるので、特に若いうちは多めに退職金に割り当てられます。契約社員やパートは退職金がないぶん、高い給与が払われていいのです(社会保障を同一にしても)。

実際、僕が会社員時代のことですが、正社員で入社して2年目から、僕は希望して契約社員になりました。仕事の目標値は同じで、年俸は1.5倍になりました(社会保障は同一)。退職金はほぼありませんでしたが、小さな会社だったし、いずれにせよ、長く勤めるつもりはなく、独立するつもりだったので、会社に退職金を積み立ててもらうことのメリットを感じなかったのです。社長に確認したところ、退職金還元率は、恒例になって退職するほど高くなるように設定されていると教えてくれたので、だったらそのぶんを先取りするということで、契約社員になりました。その背景には、早く結婚したいという希望があって、そのためには正社員の年収では明らかに不足だったのです。

90年代にフリーターという言葉とワークスタイルが生まれたころ、フリーターは正社員より稼げることが珍しくありませんでした。正社員は長期雇用を保障される代わりに、報酬は安く設定される。合理的でした。フリーターで稼いで、自分がめざす仕事に就くために努力する。それはありうる生き方のひとつだったのです。

こういう慣習は、バブル崩壊後の不況でじょじょに破壊されていくのですが、決定的にしたのが、小泉=竹中改革でした。企業の業績向上のためになんでもやった彼らは、雇用の習慣を変更する権限をすべて経営者に手渡してしまいました。その結果、正社員からは雇用の安定が失われ、パートタイマーや契約社員は本来受け取れる報酬が奪われました。もちろん雇用の不安定さは正社員より過酷になりました。結果、企業の業績は上がり、株価も上がったのですが、働き手から収奪したカネはカウントしやすく、GDPや株価というわかりやすい数値に置き換えられたので、改革は成功しているように見えたのです。

「あの頃はこんなことになるとは誰も予想できなかった」といういいわけがよく聞かれます。

「バブルころは、みんな好景気に乗るのがあたりまえで、崩壊するなんて誰も思わなかった」
「雇用の自由化を図ることはいいことで、こんなにひどい状況になるとは思わなかった」

騙されちゃいけません。まともな人はみんなわかっていました。バブルまっただ中で、それなりに仕事の面でも景気のよさを享受していた僕ですが、こんなものが長続きするわけはないことはよくわかっていたし、長続きしたら体が持たないとも思っていました(忙しすぎて)。小泉=竹中改革が始まったときも、改革そのものは歓迎しつつも、「セーフティネットを用意するべきだ」という意見はたくさんの人が話していました。ここでいうセーフティネットとは、解雇に対する最低限のルールを強化するとか、正社員とパートの不合理な賃金格差を認めないとか、日雇い派遣の禁止とか。そういったことは議論の俎上には乗ったものの、小泉=竹中組はこれを無視しました。

その結果としての今の状況があるのですが、小泉以降の政権が改革に取り組まないといって非難する人々は、「改革をやった」はずの小泉政権が「やるべきことをやらなかった」ことを見て見ぬふりをしています。セーフティネットの強化と、本来あるべき合理性の状態にまでは社会秩序を回復させることも、改革の重要な一側面です。

今、大学生などの若い世代が、フリーターを極端に嫌って、正社員にぶら下がりたがっていることを僕はかなり危惧しています。チャレンジ精神を失って、なんとか「生かしてもらう」ことだけに意識が蒸しているのも危険だし、それがとっても保守的な言動につながっているのも気がかりです。

若い世代ほど、社会に頼らず、自分の足で立ち、思い切ったことをやろうという気概を持ってもらいたいのに、現実は逆の動きばかりです。これでは社会の活力が失われてしまう、などと言うつもりはありません。学生やグロービスの若い受講生がそういうパワーのないことをいっているのを見るのがいやだし、もったいないなあ、もっと機会をつくってあげたいと感じます。

働き方はもっと自由であっていいし、働き方の形によって、有利不利がないように、社会の形が変わる必要があります。多くの人が正社員で働ける社会がいい社会であるかのように言われている現状に、大きな危惧を感じています。むしろ、どんな雇用形態、勤務形態であっても、果たせる役割に応じて、正当な対価をもらえる社会にする必要がある。働き過ぎの正社員も、報酬が安すぎるパートタイマーも、どちらも不当な状況に置かれているのだということを理解するべきです。

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