(by paco)今週は、日本が、そして世界がクルマ離れに向かいつつある、ということを書いてみます。今回のテーマは、支えるデータが少なく、あいまいなところも多いのですが、大きなトレンドは見て取れるようになったので、書いてみることにしました。
クルマ離れを感じる大きな理由のひとつは、学生?20代の若い世代、特に男性が、クルマ離れをはじめて、その傾向が顕著だという点です。大学生と話していると、クルマを持っている人がとても少なくなっていると感じます。まあ、大学生ですから、クルマを持つことは昔から難しかったのですが、そもそもクルマを持ちたいという気持ちそのものが希薄になっているのです。
特徴的なのは、「デートカー」という概念がなくなっているという点です。僕が学生だった80年代から90年代のバブル、そしてその後の時代ぐらいまでは、クルマを持っていることは男子が女子をデートに誘うために、ある程度効果がありました。バイクに乗る男子も多かったのですが、流行女子の親はバイクの危険だといって止めることが多く、それに対応して、クルマならまだ安心という考えがあったようです。デートの定番である海や高原に行くにもクルマは機動力があるし、雰囲気が盛り上がればそのままラブホのパーキングに滑り込むことも可能ということで、無理をしてもクルマを買うという雰囲気がありました。プレリュードやソアラ、シルビアといったクーペモデルがデートカーとして売れていたし、その上位車種としてのアウディやBMWが女子をくどく特効薬と見なされていたのが、90年代前半でした。
しかし、最近の男子学生に聞くと、クルマを持っていることがデートに誘う際に有利という感覚はほとんどないと答えることが多くなりました。理由はいくつもあります。
ひとつは、クルマに乗るとお酒が飲めないということ。楽しくデートをするには、海や山に行くより、気軽な居酒屋で飲んで食べておしゃべりするのがいちばんだし、クルマに乗せるより、酔わせた方がラブホの近道という理解もあるのかもしれません。そもそも、デートからセックスへの距離感が、10年前よりずっと近くなっていて、クルマのような「大がかり」な仕掛けが必要なくなったこともありそうな気がします。以前は飲酒運転も今よりは寛容で、軽くビールぐらいなら許されている雰囲気があったので、クルマとお酒がある程度両立していたのかもしれません。
ふたつ目は、クルマを持つための経済的なコストが相対的にかなり高くなっているという点です。アルバイトの時給は、90年代前半には1000円を超えていたのに対して、今は700?900円。一方免許取得の費用は自動車学校がじょじょに値上げしてきたこともあって、かつての20?25万円が、今は35万円前後にもなっています。そもそも免許を取る経済的な負担が大きければ、取らずに済ませてしまう人も増えます。免許を取ったとしても、クルマの取得は非常に効果です。クルマ自体の値段は以前と比べて大きく上がっているわけではありませんが、時給が下がっているので、相対的に高価になっています。
またクルマを買えば、駐車場代、ガソリン代、保険代、車検代など多くのコストがかかりますが、特に、保険とガソリンの値上がりが顕著です。保険はここ10年で、リスク細分型が主流になってきていますが、「条件によっては値が下がる」一方で、「条件が悪ければ高くなる」のです。若く、免許取り立て、デートカー対応の車種となると、リスクはどんどん上がると計算されるので、保険料は、ベテランドライバーが年額5万円で済むところが、若いと10?15万円にもなってくるのです。以前は、保険料があまり違わなかったのですが、これは若いドライバーのリスクの高さをベテランドライバーが支えていたことを意味していて、ベテランは払いすぎていたのですが、でも自分の初心者の時はベテランに支えてもらって運転もうまくなったし、収入もそこそこ上がってきたので、若いやつの分を負担するのもやむを得ないか、という世代間相互扶助の面がありました。リスク細分型になると、こういう機能が失われて、リスクが高い初心者は大きな負担を強いられるのです。
駐車場代としては、クルマの保管場所として自宅の近くに借りる分の費用に加えて、外出先でのコインパーキングのコストも負担になります。駐車違反の取り締まりが厳しくなったので、ちょっとの駐車でも有料駐車場に入れる必要がありますが、今や都心部のコインパーキングは1時間800円という例も珍しくなくなっています(以前は1時間400円が標準だった)。これではバイトで稼ぐ時給より駐車場が稼ぐカネの方が高いということになり、負担感はかなりのものです。
3つめとして、事故リスクの大きさが挙げられます。事故になった場合の示談処理、人身になれば見舞いや誠意を尽くす対応、そして過失が少し大きければ、免許停止になったり、罪に問われることになる。危険運転致死傷罪が出来てからは、運転ミスによる罪が非常に重くなり、クルマの利便性と引き替えるには重すぎる、という状況になってきました。この点については知恵市場でも以前指摘したとおりです。
http://www.chieichiba.net/blog/2007/11/by_paco_49.html
僕が20代のころも、事故のリスクやそれに伴う責任の重さはあったのですが、若いというのはいい面もあり、守るべきモノが少ないこともあって、事故になって責任を取らされても、まあいいか、というような感じで、実感が湧いていなかったのも事実です。しかし今のリスクの大きさは、当時よりさらに重くなっていて、過失による事故でも実刑を食う可能性が上がり、僕もかなりびびっているぐらいですから、そういうリスクと引き替えに、デートカーにもあまり効果がないとしたら、魅力的なものとは言えません。
ということで、デートでの利用価値の低下し、経済的負担が拡大し、事故のペナルティリスクが上がっているとなると、若い人がクルマを持つ理由がほとんど無いのです。
僕はずっとクルマ好きだったこともあり、1990年代のホンダやトヨタの動向は多少わかるのですが、当時、彼らが恐れていたのは、人々のクルマ離れでした。当時は、クルマはやはりあこがれの商品であり、どんなクルマを作れば売れるかを考えている時代でした。しかし近い将来、クルマという商品に魅力を感じなくなり、どんなクルマがいいかではなく、クルマを持つべきなのか、どうなのかが問題にされるようになれば、自動車メーカーは存続の危機だという危機感があったのです。トヨタがプリウスを開発したり、愛・地球博で使われた1人乗りのクルマを研究したり、ホンダがアシモを研究したのも、クルマという乗り物の形態そのものが疑いの目を向けられるようになり、クルマの形を大胆に変えなければ対応できない、という危機感があったからです。そんなはなしを取材などで見聞きしていた僕は、そこまでの時代が来るのはもっと大分後だろうと思っていたのですが、わずか10年あまりで、若い世代がこれだけクルマ離れを起こすようになるとは思っていませでした。
若いうちに車に乗り始めなければ、年齢が上がって車に新たに乗り始めようと思っても、ハードルが上がってしまいます。若い世代から自動車マーケットに取り込めたことから、今の自動車中心の時代が生まれているのですが、今後は、クルマ離れが加速することが予測できます。
環境問題が、これに拍車をかけることが予想されます。この問題は、20代を問わず、広く共有されつつあります。クルマの利用はCO2の排出量が多く、クルマを使っているかいないかで、CO2排出が2?3割から2倍近くも増えてしまいます。郊外や地方都市に済んでいればクルマは生活必需品なのですが、東京など大都市では、都心回帰の動きもあり、山手線ないに済む人が増えてくることで、クルマの必要性がほぼ無くなってくるのです。クルマを運転して移動の自由を確保するより、必要なときにタクシーを止めた方が、お酒も飲めるし、CO2削減にもなるというわけです。
この流れの中で自転車ブームも位置づけられると思います。クルマを持たず、都心で生活することを考えると、自転車の方が移動手段として優れていることに気づく人が増えたことが、自転車ブームのひとつの理由でしょう。そこに、健康志向が加わって、クルマの魅力が相対的に小さくなっています。この流れは、コンパクトシティというコンセプトで語ることもできます。街を高層化、立体化して平面サイズを小さくして、公共交通の密度を上げ、クルマに頼らない街をつくることでCO2を削減するわけですが、すでに東京ではこういう動きが明確になりつつある、ということでしょう。
個人の生活でもCO2削減を、というより、CO2排出の多い暮らしは後ろめたいという感覚が強まると、クルマを放棄することがおしゃれ、よいことという共通理解が生まれてくるのです。ほどなく、クルマを持っていることはマッチョすぎてかっこわるいとまでいわれるようになるかもしれません。
この流れと連動しておきているのが、若い世代を中心に、近くて手軽なレジャーにしか手を出さないという、内向きの思考と行動パターンが定着してきていることが挙げられます。休日のデートは海や山という時代が終わり、街の中で映画やダーツという動きは、別の側面では、旅行に行かず、放浪の旅などという概念自体が失われ、増して海外旅行はめんどうでかったるいというマインドにつながります。実際、海外旅行に出る若い世代が減っているという情報もあり、こういう「外に出て行かない」マインドがクルマを持たずに済ます行動につながっているのも事実でしょう。ここまで来ると、かえって内向きさ加減が気になるところで、実際、若い世代の視野が狭くなっている印象があります。
というように、いくつかの要素がクルマ離れを示しているのですが、ではクルマに変わって何が登場するのでしょうか。そしてビジネス界や行政は何をするべきなのでしょうか。
乗り物としては、自転車が直近のソリューションになり、これに対応して、自転車の通行帯を儲けた道路が増え、駐輪場の整備が急ピッチで進むことになると思います。今、都心の新しいビルは駐車場の設置が努力義務になっていますが、今後は駐車場の一部を駐輪場に変更するビルが増えることになると思います。もしあなたが商業ビルやショッピングセンター、ホテルなどの仕事に関わっているなら、早急に駐輪場の確保を検討すべきです。行政に関わっているなら、自転車用道路やレーンをどうやって確保するかを検討してください。
一方、自動車メーカーにとっては死活問題になるでしょう。国内マーケットはどんどん縮小するでしょうから、アジア新興マーケットが主戦場になるでしょうが、それと同時にエンジンを積まない、コンパクトなパーソナルモビリティを開発できれば、大きなマーケットになる可能性があります。トヨタが愛・地球博で1人乗りのクルマを登場させていましたが、もしかしたらそれは、アシモが人をおんぶして歩いてくれるような形になるかもしれないし、電動自転車の発展形になるのかもしれません。要件としては、自転車に近い時速20?30キロ程度で走れて、雨をしのぐことができ、事故が起きにくい乗り物になると思われます。ブッシュ大統領がかつての小泉首相にプレゼントした2輪の乗り物「セグウェイ」も、そういったソリューションのひとつになるでしょう。今のところどのメーカーも、時代のニーズにフィットした乗り物を開発できていませんが、それ故に、あらゆる業界からアイディアが出されるようになると思います。自動車、自転車、バイク、ベビーカー、車いす、エスカレーター、バス会社、鉄道会社、電力会社、住宅メーカーなど、さまざまなプレイヤーが参入することになるでしょう。あと10年ほどで、ここから新しいマーケットが生まれるはずです。
ここで生まれた新しい移動手段が、世界に広がっていくことになるはずです。19世紀最後に生まれた自動車は、150年ほどの寿命で、新しい移動手段に取って代わられ、2030年ぐらいには、個人の乗り物としては、役目を終えている可能性が高いと思います。僕自身は、それを自分の目で見ることができるかできないか、そんなタイミングかもしれません。
クルマフリークの僕としては、あまり歓迎したくない未来ではありますが、新しいモノが登場すればたちまち気が変ってしまうかもしれません。それを予想しているので、今のうちに、クルマらしいクルマに乗っておこう、と思っています。
コメントする