(by paco)最近、今ひとつ活気がありません、それが、僕自身の問題なのか、僕が関わっている種類の事柄に共通していることなのか、社会全体が停滞しているからなのか、うまく分析できないのですが。
たとえば環境問題について考えても、もちろん、問題はまだ何も解決していないのですが、動きは忙しくなってきました。小泉→安倍→福田と続く歴代内閣の中では、今の福田政権は環境政策についてはいちばん「まとも」で、先日発表された福田ドクトリンについても、おおむね歓迎されるべき内容です。
ライフデザインについても、企業がワーク・ライフバランスに積極的に動くようになったり、女性の活用についての以前よりさらに踏み込んだ動きが感じられるようになるなど、悪くない状況を感じます。
しかし、その一方で、環境にしてもライフデザインにしても、これでいいのかと言えば、Noだし、一方、具体化が進むにつれて難しさについてもリアリティが増してきて、総論と各論の間のギャップは以前より増してきているようにも見えます。つまり、考え方は広く合意されるようになったけれど、それを実現する難しさは際だってきているという状況です。
それと同時に、というか、それ故に、問題が各論のフェーズに入り、難しさが複雑化していること、そしてそれを文章表現することのやっかいさもあります。個別の企業や個別の動きついて論評すれば、それを大歓迎するのでなければ、どうしても批判的な部分が出てしまい、せっかく動き出した環境やライフデザインに水を差す結果になりかねないという難しさです。また同時に、詳細を知っているところについては、逆に知りすぎていて書けない、というのもあります。
僕自身が仕事として関わっていることはそれとして、もの書きとしてどこに注目していけばいいのか、着目点が見いだしにくい、ちょっとやりにくいタイミングという感じです。これが、今後とも続くのか、遠からず解消するのか、それも見えてきていない感じです。
といっていても何も書けないので、今週は最近目にする、ちいさな変化、でもそれが未来につながりそうなちいさな変化について書いてみます。
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■自転車が受け入れられてきた
最近、東京の道をクルマに乗っていて目につくのは、自転車です。自転車ブームは今や誰の目にも明かで、東京にも自転車ブティックがあちこちに開店しているし、雑誌の記事も増えてきました。
今年6月の道交法改正で、自転車が通るべき場所は車道、ということが改めて確認されたことが、結果として自転車には有利に働きました。改正前も車道通行だったのですが、「歩道でもよい」とあいまいさが残っていたために、通勤など「長距離自転車」も、クルマに遠慮して歩道を走っていることが多くありました。しかし「歩道はだめ、車道」と明確になったために、「だって警察につかまっちゃうもん」とばかり、長距離自転車が車道に出てきました。
半年ほど前は、道の両側に独立した歩道があるような幹線道路では、車道側に自転車が走っていると、クルマのドライバーとしては「危ない」と感じることが多かったのですが、今のように自転車が増えてくると、「車道には自転車がいる可能性がある」という認識のもとに走るようになり、「受け入れる」という状況が生まれています。「長距離自転車」の側も夜間車道を走る場合は、LEDの点滅ライトを前と後ろに表示するなど、存在をアピールすることがあたりまえになったし、自転車の性能も上がって車との速度差が少しだけ小さくなったことで、ドライバーの方も安心感が出てきました。
こういう変化は、ほかのドライバーも同じらしく、半年ぐらい前を比べると自転車との車道の共存はかなり進んでいるという印象です。
この半年の変化を見ると、小さいけれど、大きな変化だという印象を持ちます。半年前は、車道を走る自転車に、僕自身、むっとしていました。「歩道を走らないと危ない」。道交法では車道を走ると規定してされているけれど、実際に危険に身をさらしているのは自転車乗りの方だから、歩道を走れるとことは歩道を走るべきではないか。特に夜間は危険を感じました。
しかし、数が増えたこと、法の規定が明確になったこと、それに環境面を考えると、受け入れるべきなんだと諒解し、それが普通の風景になってきたのです。
おそらくこの変化は、これからますます大きくなっていくでしょう。ガソリンが高騰し、クルマに乗ることがコスト高になったということもあります。飲酒運転の罰則が厳しくなり、クルマでは「人生が楽しめなくなった」と考える人も増えました。特に20代の若い人たちを中心に、かつてクルマがもっていたステータスシンボルとしての意味合いはほとんど無くなっていて、クルマはデートの選択肢を狭くする(お酒が飲めない)し、お金ばかりかかるという認識が広まっています。タクシーを使うのもいいけれど、自転車もいいよね、という流れが加速しているのだと思います。
今日の朝日新聞に「名古屋の幹線道路で街路樹が切られ、自転車スペースになった」と批判的な記事が載っていました。もちろん、自転車のために街路樹を切るのはナンセンスですが、そのぐらい自転車の存在価値が上がってきたというのは、注目すべきことです。今後あちこちの都市で、今クルマのために使われているスペースが自転車用に置き換えられ、クルマより自転車の方が便利、という状況に変ってくことが予想されます。
これは、社会と産業界にとって大きな変化をもたらすでしょう。
直接的には車が売れなくなり、自転車が売れるようになるわけですが、自転車の方が単価は圧倒的に安いので、GDPには貢献しなくなるでしょう。それ以上に、自動車メーカーには大打撃になるでしょうが、しかし、トヨタやホンダなど、先進的な自動車メーカーは、これについてすでに15年以上前に予想していました。トヨタがハイブリッドカーをつくってきたのも、ホンダが歩行ロボット「アシモ」を開発したのも、すべて「いずれクルマは社会から見捨てられる可能性がある、直接の敵は自転車」と考えていたからです。そしてその危惧は、今、東京の幹線道路の、この半年の変化を見ると、杞憂(「アリエネ?」)とはいえない状況だということがわかります。
これに対して自動車メーカーは、車と自転車の中間的な乗り物の開発を急ぐことになると思います。トヨタは愛・地球博で1人乗りの乗り物を提供して見せましたが、ああいった乗り物も、ポスト自動車を見据えたものです。あるいは、モビルスーツ型になる可能性もあります。カラダに装着して、体力をアシストする「パワーアシストスーツ」「パワーアシストロボット」などと呼ばれる装具の開発が進んでいます。
http://sankei.jp.msn.com/life/trend/080109/trd0801091758014-n1.htm
こういったものを体につけて、自宅から会社まで、時速8kmぐらいで軽々と歩く、というような変化になる可能性もあります。すでにかなりひ弱になってしまった現代人の体力を鍛え上げるのは難しいでしょうが、現状程度の体力で、2?3倍のパワーと持久力が出せるなら、「アシストスーツで徒歩通勤」もソリューションになり得ます。自転車と組み合わせる方法もあるでしょう。高齢化社会にもフィットしたソリューションになります。
自動車メーカーや自転車メーカーは、こういった自動車に代わる移動ソリューションの開発を急ぐ可能性があります。ホンダは、1990年代から「個人のモビリティを保証することが使命」といっていますが、クルマという乗り物は個人のモビリティ(移動の自由)という点ではいかにも非効率です。もっと軽量コンパクトで、環境にも優しいモビリティが、これから一気に模索される可能性があります。
そして、これらロボットやクルマの技術は、日本が産学とも、地道な研究を続けてきた分野で、他国よりかなり進んでいる分野です。興味深いソリューションが次々と登場する時代になるのも、あと少しかもしれません。
■薪への回帰
もうひとつの「ちいさな未来」ネタは、薪です。薪については、これまでもあちこちで繰り返し書いてきたので、メリットなどを書くことはやめますが、最近、山梨や長野、秋田など、田舎の地域で、薪の品薄と高騰が続いているというニュースを耳にします。
灯油もガスもこれだけ値上がりが続いているので、薪を使おうという動きが出てくることは、経済合理性にもかなっているのです。
田舎の古い民家では、だるまストーブや時計ストーブ(ブリキでつくられたと柱時計型のストーブ)のような簡易な薪ストーブがある家は結構あります。また比較的新しい家では、趣味性で薪ストーブを設置し、灯油やガスの方がめんどうがないので、あまり使わなかったという家も多いのです。高価な北欧製の薪ストーブの上に誇りよけの記事が置かれているという光景も目にします。
これだけ灯油が高いのなら、薪ストーブを使ってみようと考える人が増えるのは自然なことです。近くに森があれば、「自分で持っていくなら使ってもいいよ」という山主さんも多いので、多少手間ひまをかけるつもりなら、タダで使える燃料だし、薪屋さんに頼んでもってきてもらっても、今なら灯油より割安かもしれません。何より、「環境によい」という情報が広まっていることが、薪を使うということをアシストしているように感じられます。
今は、まだ絶対的な需要が少なく、また「伐採許可が下りる森」(地主の理解が得られるかどうか)が少ないために、供給が追いついていないために、価格が高騰していますが、高値で売れるということが地主に諒解されれば、積極的に切ってくれという地主が増えて、薪の供給量が増えるし、販売ルートも今よりはずっと確立されてくるはずです。
今年の冬は、そんな「薪のブレイク」現象が起きる可能性があり、その次には「森を再生する活動のブレイク」が起きるかもしれません。
今はまだ表にはほとんどと見えない動きですが、来年の今頃にはまた違うフェーズに入っているかもしれません。
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世の中は、変るタイミングに来ると、意外に早く変ります。ただ、そこに注目していないと、変る兆候もつかめないし、変った後も、「どこか変わったんだっけ?」というかんじで変ったことさえつかめません。
今は、そういう動きに着目していきたいと思っています。
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