(by paco)今週は、中国について、今気になっているお題を2つ取り上げます。ひとつは子どもの教育、もうひとつは高齢化です。
中国では一人っ子政策をとってきたために、親にとって子どもの教育が最大の関心事、ということは、知っている方も多いと思います。しかしその教育の意味が、じょじょに変容してきているようです。以前は、教育を受けないと将来の収入が乏しく、大学に入ることができれば、将来が約束されるため、親は必死に働いて子どもを大学に入れる、というレベルでした。
しかし、市場経済がすみずみまで行き渡り、加速することで、教育レベルの意味も加速してきました。
今中国では、大卒者であっても就職率は70%程度。いったん就職できてもリストラでクビになることも多く、そうなれば次に正社員の職に就けるとは限らず、契約社員やパートの身分で低収入に甘んじることも多いようです。
日本でも正社員を希望しているのになれず、定収入の状態の人が増えていることが問題になり、格差社会やワーキングプアが問題視されていますが、中国でもまったく同じ問題が起きているのには驚きです。
中国は共産党が支配する国であり、農民や労働者の国だったはずです。市場経済化が推し進められて、格差が生まれたとはいえ、それはすこし前までは、「豊かな都市部と貧しい農村」の格差でした。しかし今は、豊かになったはずの都市部で、競争激化による格差が広がっているのです。
大学に行くか行かないかで将来がまったく変ってしまい、大学といっても、一流大学に行けるかどうか、医師など専門資格を持った人になれるかどうかで、まったく変ってしまう。そしてその競争に、小学校低学年から、親も教師も、社会全体が子どもを追い立てていく状況になっています。特に少し勉強ができる子どもたちにかかる負荷は非常に大きく、風邪を引いても、体調より勉強が遅れることを心配するのが親の姿勢です。
小学校では学校自体が成績順に3ランク程度に分けられ、さらに教室内では2週間に1回の試験で順位が明確に知らされます。親は少しでも上になることを強く期待し、テストで95点を取っても、褒めるより先に「この問題はできたはずでしょ、なぜできないの?」と怒ってしまう。学級委員は選挙で選ばれますが、選挙には生徒に加えて親が参加し、立候補者の「政見演説」は「自分がいかに勉強ができるか」を訴えたり、「私が学級委員になったら、教室にミラクルを起こします、クラス全員の成績を上げて見せます」という候補など、もう目が点です。親も成績がいい子に投票することが多く、しかも投票は候補者1人1人がもった箱に生徒と親が直接1票を入れていく方法なので、投票中から誰が自分に投票し、多いか少ないか、一目瞭然といったスタイルです。投票と言っても、民主主義に基づく投票ではないので、これでいいということなのでしょう。
成績が何より優先されるために、子どもたちのクラス内のグループも成績順に、上の子は上の子同士でグループをつくり、勉強のできない子は仲間はずれになったりする。しかも仲間はずれになった子どもに対しては、「しっかり勉強しないから仲間はずれになるのよ」と先生が言ったりするのですから、もうビックリマークの連続です。
その一方で成績のよい子たちが、当番の仕事(掃除など)をサボって、家に早く帰って勉強や塾を優先していると、教師はサボった子たちを教室の前に立たせて「自己批判」をさせます。「こんなに悪いことをしたことについてどう考えているか、自己批判を聞きましょう」とクラス全員に説明してから、サボった子にスピーチをさせるのです。
成績がいい子は能力があり、倫理観もあり、ルールが守れて、周囲によいことができるというスーパーマンというか、聖人君主であることが求められる。それはある意味とてもわかりやすい人間像です。そして成績のよい子たちはそれに答えようと必死になっているのですが、もちろん、みながそんな期待に応えられるわけはありません。でも期待に応えられないと感じたとしても、そこから「下りる」子とは許されないのが現実です。教師も「学校全体の成績を少しでも上げる」ことが目標として課されていて、「数学の平均点が悪い、農村の小学校より悪いというのは屈辱的だ」と校長に怒られたりするわけです。親もリストラで職を失ったり、職場でも仕事ぶりが点数化されて成績と報酬が厳密に連動しているので、点数を稼ぎ、少しでも言いポジションに着かないと、貧困に落ちてしまうと必死になっているのです。周囲のオトナが誰も「いち抜けた」できない状態の中で、子どもが抜けられるはずもなく、どんなに不満があっても、グレることもできなければ、うつになることさえままならない、というような小学校生活を送っているのです(もちろん、中高と進めばさらに加速する)。精神的にタフになりそうですが、むしろどうしてみな精神異常を来さないのか、不思議なぐらいです。
ちなみにカリキュラムも負荷が重く、小学校高学年ですでに指数や対数、文字式を教え、中学半ば程度のレベル感だし、英語も必須です。そのため、塾に通う子どもも多数います。
こういう現状を踏まえて、胡国家主席は、「教育が加熱し、子どもの負荷が重すぎるので、負荷低減を図る」と全人代でもスピーチするほどですが、それをニュースで見た小学生は「大人は口でいうだけよ」「そうよ」「何も変わらない」とあきらめ顔でした。
すごいなあと思う反面、僕らの子どもたちは、こういう中国の子たちと席を並べて仕事をすることになるのだということについて、考えておく必要もあるでしょう。
中国人はここまで厳しい競争を勝ち抜いているのだから、日本人ももっと教育に力を入れる必要がある、という考えも、ひとつの答えでしょう。一方で、日本人はもっと違うところに能力を伸ばすべきだという考えもあるでしょう。
僕らは、この「異質な隣人」が職場で隣り合わせになったとき、どうやって付き合っていけばいいのか、読者のみなさんの中には、すでにそういう悩みを抱えている人もいるのではないでしょうか。ともあれ、彼らがどうやって育ってきたのかについては、理解しておく必要があると思うし、その意味で中国からの情報、特にビジネス情報以上に生活や教育、社会的な動き、価値観についての情報には、注意深くなっておく必要があると思います。
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後半は、中国の高齢者問題です。
中国では伝統的に親や高齢者を敬う考えがあり、年老いた親は子どもが面倒を見るのが当然の美徳とされてきました。日本も韓国も同じような価値観をもってきましたが、近代化が進むにつれて、日本ではすでに数十年前に、そして韓国でもこういった価値観は崩壊し、今中国でも同じことがおきています。
その意味では、僕らも通ってきた道なので、珍しくもない、ということもできますが、しかしそれが、中国では日本以上にドラスティックにおきているようです。
日本でも親の面倒を子世帯が見るという傾向は少なくなりました。しかし一定の経済力がある子どもなら、親を老人ホームに入れるようなことはできればしたくない、豊かさを親の生活にも還元したいと考える傾向がまだ強いと思います。
これに対して、中国では、子どもの経済的な成功とは必ずしも無関係に、親を老人ホームに入れるという行動に出ているようです。
親のほうも、子どもの事情がわかっているので、老人ホームがつらい場所だと感じていても、子どもに遠慮して、「ホームに入りたくない」とは言わない。「よき親」「よき子ども」という大義名分はお互いに維持しながら、「こんなにすばらしいホームには入れるのだからうちにいるより幸せだ」と、お互いに嘘の台詞を言い合って、分かれるのです。
なぜ子世帯が親をホームに入れるのか? その背景には、上記の子どもの教育と同じ、激しい競争社会があります。よい生活をするには夫婦ともに働くのは当然で、さらに比較的高収入の仕事に就けばつくほど、その仕事に就きたいと狙う人は増えるので、競争は激化します。その仕事を守るためにはさらにハードワークが必要になり、金銭的な豊かさは確保できても、親の面倒を見る時間の余裕は失われていきます。さらに子ども(孫)の教育は、上記のようにさらに競争が激化しているので、自分の仕事と子どもの教育で、親(祖父母)の面倒を見ることはさらに難しくなる、というのが現実です。
こういう現実を、祖父母世代もわかっているので、「老人ホームに入った方がいいと思うのよ」という子どもの言葉の真意を組んで、「ほんとは家にいたい」とは言わずに、黙ってホームに向かうのです。しかし、現実にはそれは「現代の乳母捨て」になっていることも多く、一度ホームに入れてしまえば、高齢の親に会いに来ない子どもも多いようです。
こんな事情の中で、中国では今大量の老人ホーム建設が進められています。富裕層向けの豪華なホームから、低所得層向けの相部屋方式のホームまで、ある意味、とてもわかりやすく、高齢者のための集合住宅を造っている。このあたりは共産主義政治の典型的な手法で、「一定の生活水準で生きていられるなら、それで充分でしょ」というような、個人の意思を尊重しない、わかりやすい仕組み作りなのです。
中国では、一人っ子政策で人口爆発を押さえ込むことには、一応成功したものの、その弊害がはっきりを見えてきました。ひとつはここで見たような、高齢化の問題。低年齢層の人口が少ないので、人口ピラミッドは日本以上の速度で急速に高齢化していて、あと数十年で世界一の高齢社会を迎えます。老人ホームの問題は、そのさきがけになっているに過ぎず、さらに広がっていくでしょう。
もうひとつの弊害が男女比のアンバランス。中国では家の跡取りは男子と考える傾向が強く、女の子が生まれると「間引き」をするなど、様々な方法がとられて、男の子が優先的に生まれる結果になっています。現在、男女比は120:100ぐらいと見られていて、地域によっては男子の方が女子の2倍になっている場所もあるようです。このことと、前半で書いた、子どもたちの激しい競争に置かれている経験を経ると、結婚にメリットが無くなっていき、結婚しない男女、できない男子が増えていくことになります。人口抑制という面ではメリットがありますが、社会の形としてはいびつであることは間違いなく、これが今後の中国の社会や経済にどう影響を与えていくか、注目すべき点のひとつです。
子どもたちの教育、教育加熱による子どもの疲弊や心理的影響、そして高齢問題、結婚しない(できない)若い世代。中国はこれから不安定要因がさらに大きくなります。急速な発展にばかり目を取られていると、中国のうねりが見えてきません。こうした社会的な背景についても目を向けて、これからの中国の動きと、それが日本や僕たちの生活にどう影響するのかを常に考えておく必要がありそうです
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