(by paco)359デュアルライフの8年目

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(by paco)六兼屋ができたのが2001年1月。今年は?? 2008年ですから、もう8回目の初夏を過ごしていることになるんですね、ちょっとびっくりです。

このところデュアルライフネタを書いていなかったので(ときどきリクエストが来るのですが)、書いてます。僕らにとってはすでにすっかり日常習慣になってしまっているので、あまりトピックがないのですが、この8年間を思い出して、違いを書いてみましょう。

デュアルライフについては、過去の記事がたくさんあります。こちらにもあるので、参考にしてください。


まず、六兼屋の成り立ちから。

もともと山暮らしをしようと思ったのはけっこう古く、30歳とかもっと前にさかのぼります。キャンプなどアウトドアが好きだったし、海や山にいくのも好きだったし、パソコンに向かう仕事が多かったので、どこでもできるよね、というのもありました。パソコン以前、ワープロ専用機を使っていた時代から、小型の持ち運びできるのものを選んで、旅先でも旅行記を書いたりして、「できるじゃん」と実証実験をやっていたので、やろうと思えばいなか暮らしはできるだろうと思っていました。ただ、実際にやるとなると、勇気もいるし、お金もいるしで、実現できたのはインターネットの普及がきっかけです(お金ではありません)。その時お金があることは背中を押してくれますが、それ以上に、そのあと継続的にお金を稼ぐことができるという自信が持てるかどうかの方がずっと大きいのですね。僕にとっては、インターネットの普及で電話が急激に減らすことができたことが大きかった。電話は居場所を特定されますが、メールは特定されずにやりとりできるし、携帯と違って「いつでも追いかけられる」というデメリットもありません。ちなみにお金の方は、六兼屋をつくろうとしていた時期は、実はいちばんお金がないときで、でもそろそろどうにかなるだろうという見込み、じゃないな、思い込みというか、そんな感じがしていた時期だったので、住宅ローンを借りるのはずいぶん苦労しました。

家を造った目的は、自由にいじれる庭と、いついってもすっと日常生活に入れる空間としての家を持つことでした。

庭、というか、好きにしていい場所がほしかったのでしょうね。キャンプに行けば、広々した空のもとで自由にできるのですが、テントやテーブルを広げ、片づけ、というにはだんだんめんどうな気分になってくるものです。それに、花は咲いていても、自分で咲かすことはできないし、たき火などを自由にすることもできません。けっこう気を使うわけです。自分の庭なら、好きにできる。それで、家より庭が広くとれることを重視して場所選びをしました。通常、別荘用の土地は100?150坪ぐらいの区画が普通で、まあ充分なんですが、家を建てた残りの面積は意外に狭い感じ。自分たちであれこれいじって、3年もあれば「終わってしまう」感じがしました。それで、300?400坪ぐらいほしいと考えて、土地単価が安い、「田舎っぽい土地」を選んだわけです。同じ八ヶ岳南麓でも、清里や蓼科はこのあたりの、下手をすると5?10倍の坪単価です。予算は「最低限」に近いので、広くしようと思うと、どうしても安いところになる。リゾートより田舎、という場所の方が安いのです。

でも、もちろん値段だけで決めたわけではありません。標高が低い、田舎っぽいところは、気温は高めですが、逆に言えば冬でも過ごしやすい。1年中使うことを考えていたので、この点は正解でした。実際、標高の高いところにいる友人と話すと、「春が早くていいね」と言われます。逆に、秋もゆっくり来て、おそくまで秋。ということは、植物が芽吹くのも早く、散るのもあとだし、冬が厳しくないので、冬の間に寒さで枯れてしまうものも少なくなります。それでも、冬にやられてしまうものが多いのですが、それでも高いところは違います。それだけ、豊かな自然を楽しめるわけです。

もうひとつは、裏山に雑木林を抱えていることでした。標高が上がると森があっても針葉樹になるし、隣接が森でも、誰かに買われてしまえば、切られてしまうかもしれません。隣の土地の売買までは口出しできません。その点、六兼屋の土地は、いろいろな理由で売却しにくい土地であることが確認できていたので、その点も高得点でした。実際、隣接の土地はまったく売買されていないし、幸いなことにPresent Tree「ヤマガラの森」を始めることができたので、森も残すことができました。

とはいえ、家ができるまでは、僕は庭のことなどあまりやるつもりがなかったのです、不思議でしょ。

僕の実家は、東京練馬の一戸建てで、母親は庭が大好きでした。庭好きな人はまわりにも押しつける傾向があり、草取りとか、殺虫剤まきとかやらされて、うんざりしていたので、自分で庭なんかやるもんか、と思っていたのです。庭を欲しがったのは妻の方でした。でも彼女もあまり勤勉ではないので、広い庭がほしいといっても結局何もやらないのではないかという気もしていました。それなら、木が生えてくるのを放置して、雑木林にしちゃうのもいいな、と。

でも実際にできてみると、おもしろいものですね。母親がやっていたことがいろいろ思い出されて、自分でも苦笑しながらやっています。ただひとつだけ、母と違うのは、子どもに草むしりなどを強要することはしないようにしています。自分の趣味なんだから、自分でやる。

せっかく庭が手に入ったんだから、といろいろ本を見たりして、イングリッシュガーデンにしたいとか、こういう植物は植えたくないとか、夢をふくらませたのですが、そんな野望は最初の数か月で完全に打ち砕かれました。植えた植物はことごとく枯れるし、そもそも雑草さえはえてこない荒れ地だし、そのうち雑草ぐらいはえるようになったのですが、今度は雑草だらけ。たまたま根が付いて花が咲くものが出てきても、庭が広すぎるので、少しぐらい咲いてもまったく咲いているように感じられないのですね。東京の庭なら充分きれいという量でも、これだけ広いと、雑草ばかり目立っちゃう。

理想と現実のギャップは激しく、たとえばイングリッシュガーデンには雑草なんかないし、ここではほっとくと雑草だらけ。北緯50度のイギリスと、35度の日本では日照量も降水量も違うので、もともとイギリスのような植物が育つわけがなかったのです。

それでもめげずに続けたのは、なぜなんだろう?? 自分でもよくわかりません。完全に植物の奴隷なんですが、それが楽しいのですね。たぶん、3か月前より、今の方がきれいだし、去年より今年の方がきれいというのがわかるからなんでしょう。思うようにならないからおもしろい。そういうことかもしれません。何が育つかわからないし、育たないと思ったものが育つことも多い。ミミズ1匹いなかった土から、初めてミミズが出てきたときの喜びとか、カエルが増えてきたときのうれしさとか、自分が自然と関わって、自然が豊かになることが実感できるというのは、やはり楽しみのひとつです。

家での生活はどうでしょうか。

家自体は、自分で間取りを設計し、設計者に構造を考慮して図面化してもらい、地元の建築会社に建ててもらいました。庭に手がかかることがわかっていてので、家に手をかけるのはやめたのです。それに新築で建ってからも、住みやすくするためにはそれなりに手がかかることを知っていたのです。

細部まで設計とデザインをしたので、家の住み心地はとてもよく、校しておけば良かったという場所は、ほとんどありません。完璧です。この点については、妻もとてもよく家を勉強して設計したので、彼女との共同作業でした。

よい家ができたので、生活は基本的にらくちんでした。夏は風がよくと追って涼しく、冬は薪ストーブで東京の住空間より暖かです。食材は、生協が届くので、基本的には東京と変らない生活できるし、やさいの季節には地元のやさいを手に入れることができます。

ひとつ困ったのは、水でした。ここは場所柄、公共水道が引けないので(すごく高くつく)、井戸を掘ったのですが、新築当時は40メートル。「だんだんきれいになるよ」と言われたのですが、濁り水が止まらないので、翌年追加堀してもらいました。72メートル。それでもきれいにならず、茶色く濁る水が続きました。それでも、2?3日水を出しっぱなしにするときれいになったし、きれいな水を検査すると、飲料水に適切、ということだったので、堪えに堪えて使い続けたのですが、3年ぐらいして、「もうだめ、新しい井戸を掘る!」と決断し、井戸屋さんに電話して、段取りをしてもらっていたら、不思議なことに水の濁りが減ってきました。

半年後には濁るということがほとんどなくなり、今ではまったく濁らなくなりました。飲むに堪えない水の色で、ペットボトルの水を買っていたのに、いまはではうがいのついでにがぶ飲みしてしまうほどです。

先日、公共水道がついている家におじゃましたのですが、ちょっと水を使ったらカルキくさくてびっくり! 実は、この間の数年で東京の水が画期的にきれいになっていたのですね。石原知事の肝いりで浄水場の設備が一新され、オゾン殺菌などが取り入れられて、カルキに過度に頼らない浄化が行われるようになって、東京の水はおいしくなりました。特に、目黒から奥沢に引越したのが大きく、奥沢は多摩川水系なので、余計です。以前は六兼屋から東京に戻ると、まず気になったのが水のにおいで、キッチンやお風呂で、うわ?カルキくさい! と思ったのですが、今は東京に戻ってもほとんど感じなくなりました。それが、同じ北杜市内の公共水道では激しく実感することになったのですから、びっくりです。今はけっこう自慢にしてもいいぐらいの、「六兼屋のおいしい水」です。

六兼屋でのインドアライフは、基本的には東京と変りません。やるべき仕事は常にあり、東京と変らないPC環境を整備して、同じように仕事をします。こうしてコミトンを書いたり、研修の企画書、スライドをつくったり、原稿書き、コンサルティングの報告書や企画書、メールベースでのコミュニケーション業務、時にはスカイプで音声会議など。仕事は、東京にいて家で仕事をする日とまったく変らないので、山にいることが特別なことではなくなるのが早かった、というのはありそうです。

変ったのは、データの持ち運びのツールで、以前は大きな外付けハードディスクドライブを東京からこちらへ、こちらから東京へと持ち歩いていたのですが、今は手のひらサイズのUSB-HDDになり(300GBと200GBの2台)、電源不要になったので、移動はすごく楽になりました。

もうひとつ違うのは、通信環境です。最初のころはISDN回線で、64kbps。これを2本束ねて128kbpsでつないでいました。その後、3年ぐらい前にYahoo!BBが来て、2Mbpsでつながるようになってからはらくちんになりました。これでも遅いですが、まあ実用上、ガマンできる範囲です。そして今月、まもなく、六兼屋に光ファイバーがやってきます!!! NTT東日本がフレッツ光を持ってくると言うので、二つ返事でお願いしました。このあたりに光が引かれる最初の家になります。どのぐらいの速度が出るか、楽しみです。

さて、ここ8年を振り返ってみましたが、ひとつ変らないのは、基本的に隔週5日というインターバルをずっとキープしている点ですね。だいたい、1?1.5年先ぐらいまでの予定をあらかじめ決めてしまいます。最も遠いところにある仕事の予定プラス2?3か月という感じで、仕事が入るにつれて先まで決めていくのですが、年末年始の曜日から、だいたい年始に東京に戻るタイミングを水曜か木曜にして、あとは、翌週金曜日?翌々週水曜日まで六兼屋という予定を入れて、あとは夏休みやGWなどを入れ込んで調整するという感じです。おおむねこんな流れで先まで決まっているのですが、これを決めておかないと、仕事の予定でどんどん埋まってしまうのですね。

まず、来れるスケジュールがあってこその、デュアルライフです。

これからも、だいたいこんな感じで過ごしていくと思うので、実際に六兼屋を見てみたいというかたは、遠慮なくご連絡ください。

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