(by paco)348流動化する世界 その(2)

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(by paco)先週の続きで、世界の動きをレポートします。

前回は米国の覇権の終焉について書きました。では、米国の覇権が終わったのちに台頭するのはどこか?

真っ先に思いつくのは、中国でしょう。急成長中の経済、13億を超える人口、長い歴史、広大な国土。どれをとっても、「次」を担うにふさわしい大国のように見えます。もうひとつの大国が、ロシア。こちらも1990年のソ連崩壊後の混乱を収束させて、プーチン大統領の下、資源を軸にした外交攻勢をかけています。

では、この2つの「大国」は、順調に米国が衰退したあとを埋めていくのでしょうか?

まず、中国。先週の記事から1週間で、事態はけっこう進展しています。チベット問題です。先週記事を書いた時点では、まだチベット問題はローカルなニュースでした。この1週間で、米国も欧州も動きを見せ、中国政府自身も火消しに必死になっています。

チベットとは、今の中国の南西部、ヒマラヤの北に位置する地域で、今は自治区になっています。しかし歴史的にはもともと独立国であり、中国が軍事力で支配下に置いている「侵略され国」です。wikipediaによると、

チベットは、古代から独立国家であったが、清による支配を受け、清の滅亡後、再び独立国家となるが1950年に中国人民解放軍による侵略を受け、チベットは軍事制圧された。その際中国人民解放軍は、夥しい規模の破壊とともに、チベット族の大量虐殺を行った。その後チベット自治区が設置された。 1955年 - 1959年に「中華人民共和国政府による併合」に抗議するチベット動乱が勃発し、武力弾圧の結果、十数万人のチベット難民が発生した。チベット亡命政府のもと、異議申し立てが行われている。

チベットは、北インドに栄えた大乗仏教が8世紀に伝わり、大乗仏教を軸にした国づくりが行われてきました。大乗仏教は日本の仏教と共通する大乗系であり、日本に仏教が伝わったのも7世紀あたりですから、日本の文化とも縁浅からぬものがあります。

ちなみに大乗仏教と小乗仏教の違いはわかりますか?

大乗仏教とは、大きな「大きな乗り物」、つまり仏教の僧侶が多くの人々をリードして極楽に浄土に導くという考え方が中心で、主神は大日如来。仏陀の使いとして大日如来が人々を引き連れて、現世の苦しみから救うというのが基本的な教義になります。現世に生きる我々大衆は、自分自身で救いを得ることはできないけれど、大日如来や仏陀にすがることで、信仰によって救われるという考え方をとります。

これに対して小乗仏教は、「小さな乗り物」であり、現世の生活を捨てて出家をした個人が、自分の修行によって苦しみから逃れ、解脱の境地に達するという考え方で、基本的に救いは個人の努力にかかっています。

もともと仏教が生まれたのは、紀元前5世紀ごろのインド。人間は死んでも生まれ変わり、生きている間にやってし参った罪深い行いの結果を世代を超えて引き継がざるを得ず、人間の生は苦痛に満ちている、という「輪廻転生」の思想が軸になっています。この輪廻転生の中にいる限り、人間は未来永劫苦しみから逃れられないので、この輪廻の連鎖を断ち切ることでしか、救いは得られないというのが、仏教の創始者、ゴータマ・シッダルタ(仏陀)の教えです。そのため、原始仏教では、救いは個人の修行(主に迷走)によって、現世的な執着を無くし、ものにこだわらず、何ものにも執着しない境地に到達できれば、輪廻の和を断ち切り(解脱=げだつ)、涅槃(ねはん)の境地(平安で幸せな状態)に到達できるというのが、仏教の根本的な教義です。

この教義により忠実なのは、小乗仏教の方で、インドの原始仏教が次第に西に広がり、インドネシア、ミャンマー、タイ、ラオス、カンボジアあたりに広まっていったのが、小乗仏教です。現在ではインド本土では仏教は、インド土着の宗教、ヒンドゥー教の一部に取り込まれたようなカタチになって衰退し、東南アジアや中央アジア(チベット)、東アジアに、今のようなカタチで残りました。

インドに生まれたゴータマ・仏陀の仏教は、もうひとつの方向、北に向かい、今のアフガニスタンの北部あたりのガンダーラ地方で新たな展開を見せます。この地域はシルクロードのメインストリートで、文明の交差点でした。西からはギリシャの王、アレキサンダー大王が遠征してきて、ギリシャ文化をもたらし、ユダヤ教徒の一部(失われた十支族)もここを通って東に向かっていきました。アフガニスタンの西隣にはペルシャ(イラン)があり、ここには火の神アフラマズダを中心とするゾロアスター教が栄えていました。このような文化の交差点に入った仏教は、ほかの宗教や文明の影響を受けて変容し、前述の大乗仏教へと変容していきました。こうして生まれた大乗仏教は、シルクロードに乗って東に広がり、チベット仏教、中国仏教、そして日本にも入って、日本の大乗仏教になっていきました。仏教伝来のころの仏教寺院であるならの法隆寺にある仏像は、ギリシャ文化の影響を強く受けた顔つきをしているし、そのあとの時代にできたなら東大寺の二月堂では、毎年春に、有名な「火を振り回す儀式」である「お水取り」が行われていますが、これはゾロアスター教の火の神、アフラマズダからの影響です。

というわけで長くなりましたが、チベットの仏教と日本の仏教は同じ大乗系で、似たルーツを持っているという点で、昔からチベットをめざした日本の宗教家、文化人類学者はたくさんいました。

そのチベットでは、1950年に中国の人民解放軍に侵略されたときに、チベットの王に当たる政治と宗教のリーダー、ダライ・ラマ14世がインドに亡命し、亡命政府と、チベットにつくられた中国配下の傀儡政権による「自治政府」との間で、二重政府の状態になってきました。

そのチベットで、この時期に争乱が起きています。

きっかけは3月10日に行われた、「Free Tibet」と求めるデモです。この日は、1959年3月10日に侵攻してきた中国軍に対する大規模な抵抗運動が起きた日で、毎年この日にはいろいろな抵抗行動がおきてきました。今年は北京五輪の年であり、世界にチベットの実態を伝えたいという思いから、大規模なものになったようです。またちょうど中国の国会に当たる全国人民代表会議も開かれていたために、政治的なアピールの様相が強くなりました。中国政府としては、他民族を侵略し、支配する国というイメージが表に出ると、五輪の成功が危うくなると考え、早期に軍を投入して弾圧し、徹底した情報統制を行ったのですが、インターネットの時代にあって、これは逆効果になりました。チベットにいた外国人などが国外に出て現地でとった映像をYouTubeに投稿したり、写真を公開し、さらに衛星からの写真の解析で、大規模な殺戮が行われたらしいこともわかってしまいました。中国国内ではチベットに関する情報は徹底的に制限され、国内メディアの規制はもちろん、ブログなどへの書き込みも監視され、国外のチベット関連サイトへのアクセスもいっさいできなくなっています。もちろん、外国人のチベットへの渡航も禁止されています。

このような状況の中で、米国政府は、「国内に人権弾圧の問題を抱えた国での五輪に対する懸念」が表明され、欧州では五輪選手が北京五輪をボイコットを検討するとか、五輪開会式への参加拒否を検討するなど、五輪への影響が出始めています。日本は北京政府に気を使って、報道は徹底して中国よりですが、ネットで出ている情報を集めると、人民解放軍が武器を持たないチベット市民に発砲して弾圧しているのは間違いありません。中国政府は、インドにいるダライラマ14世がデモを煽動していると非難していますが、その中国政府は、外国からの報道陣をいっさいシャットアウトして弾圧しているのですから、正当性をアピールしても信頼されようがありません。一方のダライラマは、これ以上の流血を避けるべく、チベットの市民に自制を呼びかけ、事態が悪化するようなら退位すると宣言しました。今日も動きが続いていますが、まだまだどうなるかわかりません。

チベットの争乱そのものが北京五輪に与える影響は非常に大きなものがあります。1980年、モスクワオリンピックは、前年に行われたソ連軍によるアフガニスタン侵攻に抗議するカタチで、西側諸国が全面的にボイコットし、東側諸国のみの開催になって、ソ連政府の面目は丸つぶれとなりました。この五輪失敗とアフガニスタン侵攻の失敗がソ連政府の崩壊につながったのです。

今、中国共産党政府は、五輪をなんとか乗り切ることの必死になっています。もし五輪で大きな失態があれば、政府は人民からの信頼を失い、崩壊の危機になるでしょう。逆に、チベットのような、中国政府に敵対する組織やセクターは、この期に乗じることになるでしょう。

今中国は、急速な発展のかげて、社会の矛盾が激しく蓄積されつつあります。チベット以外で見ると、まず格差の問題。先進国以上の金持ちが生まれる反面、上海郊外にはスラムが広がりつつあり、共産主義政権下での貧困、スラムという矛盾が確実に広がっています。この、スラムの住民が生まれるのは、農村部からの強制移住が一つの原因です。揚子江の上流に巨大なダム(三峡ダム)を建設したのですが、このダムは上流に600キロも続き、水没する地域の住民は数億人です。この人たちを上海など都市部に移住させる計画が着々と実行されているのですが、四川省などの農村部で農業を営んできた人々をいきなり上海の工場に連れてきても、適応できず、クビになってしまう人も多いのです(中国では、雇用は日本以上に不安定)。こうした人が、結局、職を失って大都市郊外の新興アパートにスラム化していくのです。

都市住民の中にも、厳しい競争の「負け組」が生まれつつあり、また好調な経済と都市開発に乗って「投資」が盛んになっているのですが、投資に失敗して富を失う「負け組」も増えていきます。実際、上海や北京では日本のバブル期のように、マンションに投資して儲けようとする人が多く、不動産物件は上がり続けていますが、実需がどこまで伴うか不透明感が出てきました。政府は景気の過熱を懸念して経済の減速をはかっていますが、投資する市民はまだまだ自己責任原則からはほど遠く、政府におんぶにだっこの状態で、「政府がいうからマンションは上がるんだ」という程度の理由で投資していますから、経済が崩壊するようなことがあれば、投資による富が失われ、政府への信頼は、政府への怒りになってぶつけられるようになるでしょう。これまでのところ中国政府は、経済運営をなんとかうまいことやってきましたが、経済という「ケダモノ」をどこまで管理しきれるのか、世界の多くの国とは違うやり方でどこまで管理可能なのか、他国にノウハウをもらうことができないだけに、ケダモノが暴れ出したときに、暴発につながらないか、恐れている人は多くいます。

今年の五輪を乗り切ることも政府の大きな課題ですが、それ以上に問題なのが、五輪後の不況を乗り切れるかどうか、でしょう。どの国でも、五輪後は少なからず不況に襲われます。北京ではホテルの室料が信じられないぐらい高騰して、そのわりに客が付かないのですでに暴落が始まっています。五輪が終われば客足も減り、不況がやってくるのは間違いないでしょう。国全体の経済にどの程度影響するかが問題です。

こういった不満は、中国の歴史の中で見ると、宗教的なグループに集約されて、反政府行動になることが多く、清朝末期の「義和団の乱」や「太平天国の乱」のように、暴徒化する可能性があります。数年前に、「法倫功」という言葉が報じられましたが、これも宗教的な団体から始まって政治結社か仕掛けていたので、中国政府が必死になってつぶしにかかったのです。

すでに中国では、不満を持つ人民が宗教団体に頼りつつあるという報道もありますが、これが本格的に組織化されるようなことになれば、政府を倒すような規模に急成長する可能性があり、共産党政府はこれをいちばん恐れているようです。法倫功のような、「あやしげな」団体名が報じられるようになったら、要注意だし、今回のチベットも僧のデモから始まっているのが気になります。

ということで、中国は今年、五輪を乗り切れるかがまず重要な試金石になり、さらにその後の不況を道乗り切るかという時限爆弾も抱えています。日本では中国の成長力に圧倒されている感がありますが、むしろ意識を向けなければならないのは、中国崩壊ではないかと見ています。

中国に加えて、ロシアの動きガキになるところですが、これについては次回書くことにしましょう。

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