(by paco)346食糧自給率を、どう捉えるか?

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(by paco)このところ、日本の「食」が揺れています。

昨年は、食品偽装「ブーム」で、あちこちで食品に関する不正が続出。今年に入って、「農薬入り餃子問題」が発覚して、こちらもどこに行くのか、迷走している感じです。

日本の食糧自給率の低さは以前から問題になっていたわけですが、こうして食に関する問題が噴出すると、自給率の低さが食の安全を脅かしているのではないかという意見も改めて注目されて、これから日本人は、食についてどう捉え、行動していけばいいのか、考えてみます。

まず、最初に、日本の食糧自給の可能性について。

日本の人口は、明治中期までは3000万人程度で、江戸時代から比較的安定した数でした。江戸期は270年にわたって鎖国状態ですから、まさに日本列島の中で自給自足の生活をしていたわけですが、この間、人口が増えていないことから考えて、平地が少ない日本の地形や寒冷地での農業の厳しさを考えて、日本中をのうちにして、3000万人程度しか養えないというのが、歴史的に言えることだと思います(実際には、1960年代以降、化学肥料、化学農薬の普及によって農地の生産性が上がったので、5000?7000万人程度なら養えるかもしれませんが、1億2000万人は無理でしょう)。

その後、対象機から昭和初期にかけて人口が爆発し、昭和初期には7000万人程度に増えていました。この人口の増加がなぜ起きたのかは、あまり詳しい分析を読んだことがないのですが、文明開化に伴って江戸期から続いた農村中心の村社会が変質し、都市化が進んで、農地の生産性に縛られずに生活できる人口が増えたことが大きいと思われます。農業以外の産業がわずかだったうちは、農家に生まれ、農家の収穫以上の子供が増えれば、特に東北地方など、地力が低い地域では、間引きなど過酷な方法で人口抑制が行われていたのだと思います。明治後期の日清・日露戦争を境に、工業化が進み、工場労働や商業に従事する人口が増え、生糸などの輸出によって得た外貨で食糧を買うという方法が少しずつ済んでいったと考えられます。それでも、昭和初期、以前の倍の人口を抱えた日本では、食糧や仕事が不足して農村が疲弊して社会問題になっていました。この「農家の次男坊、三男坊をどうやって食わせるか?」という問題を解決しようとしたのが、対外進出で、朝鮮半島、台湾、満州への侵略は、人口問題と切り離せない構造になっています。

結局、この対外侵略によって人口を食わせるという戦略は、1945年の敗戦によって失敗し、
戦争によって一時的に人口が減ったものの、海外に出ていた数百万人の日本人が日本列島に引き上げてきたし、戦争が終わってからのベビーブームもあって、人口は再び増え始めます。敗戦直後は戦争で農村も荒廃したために、食糧が圧倒的に不足し、餓死者が出ると心配されました。これを救ったのが占領国の米国で、大量の小麦粉(メリケン粉=メリケンはアメリカのこと)を日本に提供(輸出)して、日本人の人口を養いました。この時点で日本の食糧自給率は、農水省にも統計がないのですが、かなり下がったのちに、農業が回復し、統計のある1960年の時点でカロリーベースで79%。その後、どんどん落ちて、現在は39%です。ちなみに1960年時点での人口は約9000万人ですから、1960年時点で、日本で養える人口は9000万人×79%で7000万人程度だったと見ることができます。1960年頃までは、国内農業もある程度健全に機能していたと考えることことができるので、この数字はおおむね妥当な数字ではないかと思います。

現在、日本の人口は1億2000万人ほどですから、1960年頃の農業水準をキープしていたとしても、自給率は7000万人÷1億2000万人=58%程度になっていたはずです。現在の自給率39%は、58%と比べて20ポイントダウンに当たりますが、第二次産業から第三次産業に主体が移っているという産業構造を踏まえ、貿易立国になっていることも考慮すれば、1960年から現在までの約50年間の、食糧自給率の下落幅(20ポイント)は、ある程度納得感がある数字と言えなくはありません。日本はもともと食糧が自給できる国ではないのです。

しかし、だからといって自給率が低くてもいいというわけではないのですが、自給率の低さには賛否両論があります。賛成、つまり自給率は低くてもいいという人の考え方は、こんな感じです。輸入農産物が安いと言うことは、産地ではそれだけ手間をかけずにつくれるということで、効率よくつくれるのなら、最適生産という意味で国内にこだわる必要はない。自動車や半導体など、日本が強い分野で稼ぎ、その金で食糧を買えばいいし、多少政治情勢が悪くなっても、前もっていろいろな国と仲良くしていれば、誰かが食糧を売ってくれると言う主張をします。

一方、自給率を上げるべきという人の意見は、こんな感じです。世界の先進国は、自国の安全保障のためにも食糧の自給率を上げるために、必死になっている。食糧をこんなに世界に頼っていては、政治状況や環境変化で、国全体が危機に陥ってしまう……。

あなたの考えはどうでしょうか?

世界の食糧相場は、今、軒並み急騰しています。小麦、トウモロコシ、大豆。理由は、世界的な需給の逼迫です。中国、インドなどの成長によって、よりよい食生活を求める人が増えたこと、こういった国では特に肉食が盛んになって、肉生産に大量の穀物が使われること(牛肉1kgを生産するのに、穀物が20kg必要)。オーストラリアが干ばつに襲われて穀物生産量が下がっていること、米国中部の穀倉地帯では、水源にしていた井戸が涸れて耕作放棄地が増えていることなども原因です。さらに、温暖化対策のひとつとして、バイオエタノールの生産が増えたことによって、エネルギーと食糧の取り合いがおきていることも、価格上昇の大きな要因とされています。穀物需給の逼迫は10年前から明確に予測されていた事態ですから、一時的なものではありません。多少波はありつつも、農産物の価格は上昇傾向になることは避けられません。

日本では、小麦粉やうどんが値上がりするなど、影響は出ているものの、現状は輸出産業が好調で、食糧を買う外貨は充分にあります。しかし、途上国ではすでに深刻な事態になっています。

中米のエルサルバドルやニカラグアでは、貧困層が最低限の食糧を買うことさえできなくなり、貧困者に対する国連の支援機関WFP(国連食糧計画)では支援のための予算では、支援を必要としている人の分の穀物を買うことができなくなり、貧困層ではもともと1日の必要カロリー以下の900kcal程度しか支援できていなかったのに、500kcal程度しか支援できなくなってきたという現実もあります。成人は1日当たり2000kcalの食糧が必要ですから、危機的な状況であることがわかると思います。従来からの貧困層に加え、これまではなんとか食えていた人たちが急速に「食えない」状態に陥っているのです。

これらの国では、日本同様に、もともと食糧自給が難しいのですが、穀物相場が低めに安定してきた間は、ぎりぎり、大きな問題にまではなりませんでした。しかし、現在は、以前と比べて30%?300%の値上がり状況になってきているので、ぎりぎりの生活は、簡単に崩壊してしまうのです。

日本は、今は外貨を稼ぐ産業があるので、値上がり分を吸収できていますが、いつまでも外貨を稼ぐ産業に勢いがあるか、保証はありません。実際、バブル崩壊以降、かつては競争力があった産業がどんどん競争力を失っていて、エレクトロニクス産業も、韓国や台湾のメーカーに多くのマーケットを奪われました(PC、モニター、メモリ、鉄などあげればきりがありません)。これから日本の輸出産業がどうなるか、競争力が落ちれば、エルサルバドルほどではないにせよ、困難な状況にになる可能性は十分あると思います。

また、高くても金を出せば食料を買えるという時代がいつまで続くかも、保証の限りではありません。たとえば原油などエネルギー資源は、ロシアやベネズエラなどの「非米同盟」による囲い込み戦略によって、政治的な理由で供給を受けられたり、止められたりというリスクが高まります。穀物価格が上がり、供給が国家存亡に直結するようになれば、他国の政治的な戦略によって、売ってもらえないか、相場以上の不当な高さでしか買えないと言うことも、起こる可能性があります。

さらに、温暖化の進行が進めば、穀倉地帯を干ばつが襲って、食糧生産が落ちる可能性もあり、そもそも市場に出回る余剰農産物そのものが減る可能性も十分あります。そうなったときに、量の確保そのものも難しくなる日が来る可能性を指摘する識者は多いのです。

5年前なら、穀物の国際取引の需給関係はゆるかったし、価格も安定していたので、「自給率を上げるより、外から買った方がいい」という意見も一定の説得力がありました。しかし今となっては、自給率を上げるべきという結論を支持する根拠は、大きくなる一方です。

これから次の課題は、米の自由化が焦点になります。

米は、これまでは輸入を管理することで自給率100%を確保してきました。しかしWTOの交渉によって、10%の輸入枠を認めたために、じょじょに輸入米が増えています。今、次のラウンドで、さらなる自由化をもめられているのですが(米は、世界的にまだ逼迫していない)、海外の米は日本の米の4分の1から5分の1以下の価格。そのうえ、日本のマーケットが開かれることを期待して、カリフォルニアと中国東北部の農業地帯では、「コシヒカリ」の栽培に取り組んでいて、すでに日本のコシヒカリと見分けが付かない、というよりさらにおいしいコシヒカリができています。中国産コシヒカリが、安い弁当や給食用の米として、使われるようになりつつあるのですが、WTOの交渉で自由化で妥協すれば、一気に自給率は10ポイント以上落ちるだろうと予想されています。食糧自給率29%……。

実は、この現実を先取りするカタチで、日本のコメも中国や台湾に輸出されています。現地のコメの5?10倍の値段ですが、安全でおいしいブランド米として富裕層に売れている。一方で、日本でも低コストの弁当や給食として、中国米やカリフォルニア米が使われだしている。国ごとの需給だけというより、富裕層と低所得層との商品序列ができつつあるということかもしれません。

この現実を、受け入れていくかどうかは、1人1人の日本人が意見を持ち、それを国政選挙に反映させていくしかありません。食糧自給率を、どのように捉えるのか。食の安全、食の安心感、食糧安全保障(食糧の安定確保)、日本の農地の荒廃、農業の衰退、食に関するコスト、世界との協調、自由貿易……。いろいろな切り口で考えてみてください。

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