(by paco)337ピークオイルをどう考えるか?

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(by paco)2008年、最初のコミトンを、六兼屋で書いています。年末は天候が安定せず、曇りや雨の日が多かったのですが、年明けからすっかり安定して、今日も冬とは思えない日差しが部屋の中に入って、ロールスクリーンをおろしてもまぶしいぐらいです。

朝方しばらく雲がかかって日差しがなかったので、薪ストーブを焚きました。夜の間、部屋が冷えているので、かなりたっぷり薪を入れてガンガン焚いても、ストーブからちょっと離れた家の端っこにある僕の仕事部屋までは暖かさが回ってくるまで時間がかかるのだけれど、雲が切れて日差しが降り注ぐと、たちまち家中、暖かになります。窓を大きくと手日差しをたっぷり入れて、断熱をよくして熱を逃がさない。こうすれば、暖房を使わなくても暖かです。日本は欧州や米国と比べ程度が低いので、日照が豊かですから、いろいろな方法で日照を使い切ることがどれだけよいことか、計りしれません。

ところで、薪は、日光を受けて育った木の恩恵だから、結局日光を蓄積したものだし、石油も生物由来と考えられているので、太陽エネルギーをぎゅっと凝縮したものです。結局僕たちは、太陽エネルギーを使って生活しているのだということがしみじみわかります。

僕がストーブに使っているのは、「ヤマガラの森」できられた雑木で、コナラやヤマザクラ、シデなのです。樹齢で、だいたい20?30年、胸あたりの高さの太さで、直径20?30センチという、わりと細めの木が中心ですが、それでもそのぐらいの年月、木が葉で受けた日光を使って光合成して、幹を造ってきたわけです。その幹を切って割って、そうですね、だいたい六兼屋の1?2週間の暖房になります。長い年月の太陽エネルギーを、このぐらいの時間に一気に放出させるから、暖かいわけです。

でも、日差しが入ると、ストーブより暖かいと書きましたよね。なぜ?

それは、植物の葉が日光を使ってエネルギーを蓄積する効率が悪いからです。光合成の効率は葉が受けた日光のエネルギーの1%程度で、しかも落葉樹の場合、光合成するのは1年の半分ほど。そしてつくったエネルギーは植物自身が生きていくために多く消費されているので、幹として利用できるのはわずかのです。

ちなみに太陽光パネルのエネルギー利用率(発電効率)はトータルで見れば日照量に対して数%と考えられていて、光合成よりはかなり効率がよくなっています。が、その程度の効率です。日差しを窓から家に入れる場合は、ガラスでの紫外線吸収を除いて、ほとんど利用していることになりますから、効率はいいのですね。

植物がため込んだ太陽エネルギーを薪として使うためには、もちろん気があればいいと言うわけではなく、処理が必要です。まず、人が山に入っていくエネルギーが必要で、次に切り倒すエネルギーが必要です。以前はノコギリや小野を使っていましたが、今はチェーンソーですから切ること自体は数分です。しかし、チェーンソーを動かすには、石油が必要で、さらにチェーンソーをつくるために大量のエネルギーが必要。切り倒した木はとても思いので、1?2メートルに切り分けて、運び出します。

この作業を僕はちょうど昨日やりました。「ヤマガラの森」の道まで出しておいた丸太をおろしたのですが、軽トラックがあれば載せることができ、1?2回で全部おろせるぐらいの量です。しかし、人力ですから、大変。

ネコ(一輪車)でおろすのですが、丸太をおいといた場所まで60?70メートルほどの上り坂を押し上げて、薪を載せておろして来るという作業。これを6往復で全部おろしました。腕も足もバンバンです。

手作業でやってみれば昔の人の苦労もわかるし、と思ったりもしますが、とんでもない。

ネコの性能自体、昔の手押し車や大八車とはわけが違うハイテク製品です。しっかりした金属製で荷物を載せてもびくともしないのに(木製の大八車に比べて)超軽量、空気入りのタイヤでスムーズ、 超高性能なベアリングを使ったハブがおごられているので、転がり抵抗もすごく少ない。こういうはいてクセ品をつくるためには、遠くから品質のよい鉄鉱石を運んできて、高性能な高炉で鉄を溶かし、確実な溶接で組み上げる必要があり、そんなハイテクネコが数千円で手に入り、10年使ってもびくともしない。こんなコンテンポラリーな製品に頼っている僕が、昔の人の苦労などと言うのは本当はおこがましいことなのです。まして、軽トラックなんてねえ、と思うものの、やっぱりトラックはラクチンだろうなあ(^^;)。

ベアリングひとつにしても、こんなに転がり性能が高いベアリングが普通に使われるようになったのはここ数十年のことで、1970年代ぐらいまでは高性能なベアリングはスウェーデンでしかつくれないといわれていました。もともと純度の高い鉄鉱石がスウェーデンでとれることが理由ですが、今はそれほど純度が高くなくても、エネルギーをたっぷり投入して純度の高い鉄を精製したり、組成を変えたりできるので、こんな性能のいいベアリングがタダみたいな値段でつくれてしまう。

現代社会は石油文明といわれるけれど、それは単にクルマや暖房を石油に頼っている問いだけではなく、今僕たちがあたりまえに使っているすべてのものが、エネルギーをたっぷり投入してつくられていて、それが高性能を安く利用できているという現実があります。

その石油が、生産量のピークを打って、これから減少する一方だというのがピークオイル理論です。ピークオイルは、現段階ではまた世界の主流の論説とは言えず、反論もあるのですが、ピークオイル論者と、半ピークオイル論者の主張をよく分析すると、ピークオイルの方に分があるのは事実です。

ではピークオイルはいつやってくるのか? それは2006年だった、という説もあるし、暦年で示せなくても、ここ10年以内のどこかがピークになるというのが、主立った説になります。その根拠は、ふたつあります。

ひとつは、すべての油田は、掘り出し開始からじょじょに生産量が立ち上がり、30年ほどで生産のピークに達して、あとは山形を絵が出で下降線をたどること、もうひとつは、地球上で新しい油田が見つかる量はどんどん減っており、大型油田に関しては、すでにここ30年以上発見されていない、ということです。

ここからわかることは、世界はもう大型油田が見つかる可能性がほぼなく、今見つかっているサウジアラビアやイラクの油田はすでにピークを打っている。まして、最初に石油を掘り始めた北米では、もう実際にほとんど石油がとれていない、というのがピークオイル理論です。

今、原油価格は高騰していますが、これはマクロで見ればピークオイル現象のひとつであり、ミクロで見ればピークオイルを見越した投機筋の荒稼ぎマネーが入って高騰しているというのが見解です。ピークオイル論者にとっても現在の価格は高すぎるものの(投機によって異常に上がっている)、しかし投機の影響がなくなっても高止まりになるのは当然だというわけです。

これに対して、反ピークオイル論者の説は、「これからも大型油田が見つかる可能性があるし、技術の進歩で、より困難なところからも掘り出せるようになる、さらに、既存の油田からの石油が値上がりすれば、オイルサンドなど、石油にするには加工コストがかかるような資源も価格競争力がでるため、全体として石油は不足しない、という説をとっています。

果たして、これからどういう展開になるのか、僕は今のところニュートラルですが、反ピークオイル論者も、既存のような、掘れば噴き出してくるような石油が潤沢にある時代は終わりつつあるという認識はあるので(これはFACTでもある)、いずれにせよ、石油文明は岐路に立っているのです。

では、エネルギーの固まりである高性能なネコが手軽に買える時代はほどなく終わるのでしょうか。ピークオイル論者はこういう事態を恐れています。石油が貴重品になり、クルマからガソリンを抜き取る泥棒が横行するとか、ガソリンスタンドに長蛇の列ができ、アメリカの貧困層は車が使えずに生活に行き詰まって、社会不安が広がり、暴動が起きるなど、いろいろな予測を出しています。

もちろん、石油が高くなること自体は、環境面に対しては悪いことではありません。バイオ燃料などが価格競争力を持つようになり、燃料消費を少なくする工夫に対して積極的な投資が行われるでしょう。

しかし、もしピークオイルと価格の高騰が予想より急激に訪れれば、社会はその自体に対応できず、混乱が起きる可能性もあります。1バレル100ドルを突破したというニュースが年始に駆けめぐりましたが、これも、混乱を招く不気味さを暗示しています。

環境問題に関わる僕にとっても、石油がなくなる状況は歓迎できません。再生可能エネルギーへの投資が進むにつれて石油の消費が減ればソフトランディングできますが、間に合わなければ、社会は混乱し、少ない石油を奪い合って戦争が起きたり、パイプラインが破壊されたりして、かえって石油消費を増やしてしまいかねません。それに、基本的な生活が安定していないと、環境によいものを順に選んでいくような余裕がなくなり、従来のものにしがみつく市民が増えると考えられるのです。これではせっかく、環境問題への意識が高まってきたのに、社会不安の方に意識が向いてしまいかねません。

石油消費は減らしていかなければなりませんが、それがピークオイルという「強制終了」によって減ることは望ましくなく、省エネが進み、再生可能エネルギーへの転換が進んで、結果的に消費が減るのが望ましい姿です。その意味では、石油があまり高騰せず、ほどほどの高止まり(たとえば、1バレル60?80ドルとか)で推移しているうちに、エネルギー転換を図るというシナリオが理想です。

2008年、石油価格と石油供給量はどう推移していくのか、けっこう注目のポイントになりますが、それは、現代文明を支えているという視点と、環境悪化を食い止められる次世代のエネルギーパラダイムへの転換という両面で、目が話せない状況になっています。

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