(by paco)今週のできごとといえば、日本製紙に端を発する、製紙各社の偽装事件です。ニュース報道以上のことはわからないのですが、まったくひどい。腹が立つのを通り越して、泣けてきます。
特に、今回の発火点になった日本製紙は、昨年2月に、環境に関するステークホルダーダイアローグを環境リレーションズ研究所で実施した会社で、その時も車内のいろいろな人と環境について話す機会がありました。基本的にはみなまじめな人たちだし、環境のこともそれぞれの立場で考えている人たちでした。しかし。
よく、企業が問題を起こすと、「個人としてはいい人ばかりなんだけれど……」と擁護することがありますが、今回の件を見ていると、擁護する気持ちにはとてもなれません。もちろん、お会いした方ひとり1人はたしかにきちんとした方でした。しかし経営者まで含めて、偽装に関与していたとなると、あの会社にいるだれもが、偽装という大いなる嘘に荷担する可能性があったとしかいいようがありません。非常に残念だし、また、そういう会社の先棒をかつがされたことに痛恨の念があります。
偽装という嘘をつき続けてきたことについては、まったく情状酌量の余地はないし、厳しく責任を追及されてしかるべきです。責任者、関与した社員は全員、刑事罰を含めた責任を問われるべきでしょう。
以下に説明するとおり、もともと製紙会社は古紙原料を多用することには反対でした。かえって環境負荷がかかるということ、バージンパルプそのものが持続可能な資源だという点がその理由です。しかし理由はどうであれ、大ウソをついていいという理由にはいっさいならないことは、いうまでもありません。犯罪行為は犯罪行為であることははっきりさせつつも、古紙再生について、すこしかんがえてみたいとおもいます
紙は、植物の繊維成分であるパルプからつくられます。主に木材からつくられ、紙をつくるために大量の木を切る必要があるため、環境負荷の高い産業としてしばしばバッシングに遭ってきました。そして、実際にパルプ用に各地の原生林が切られ、森林が失われてきた歴史もあります。
しかし、原理的にいえば森林資源は再生可能な資源であり、製紙業は原材料の面でいえば、サステナブルな産業になりうるポテンシャルを持っていました。実際、日本の製紙会社を含め、世界の大手では、森林の自社所有を進めていて、自社所有の森林に木を植えて育て、20?30年サイクルで伐採することで毎年使用する分の木材がまかなえるなら、原料面では持続可能だといえます。実際には、材木から紙にするには大量のエネルギーが必要ですが、エネルギーの方はグリーン電力やバイオ燃料に換えることも不可能ではないので、重厚長大産業にしては珍しく、サステナブルなポテンシャルの高い産業です。また、再生紙に代表されるように、資源の循環にも対応しているし、使用済みの紙を燃やして燃料にしても、植物由来ですからCO2発生量はゼロカウントであり、廃棄物の処理という点でもサステナブルな産業です。
問題点もありました。木材資源を確保するために世界中の原整理を切りまくり、あるいは切っている業者から安く木材を買いたたき、切ったあとに植林はするものの、地域の自然にあっていない、経済性重視の樹種を植えたために、結局根付かずにはげ山になってしまったのも事実です。最近でも、オーストラリアの南の島・タスマニアで原生林を破壊したとして、グリーンピースから突き上げを食ったりしています。実はこの件は、タスマニア州政府が地域の開発のために、原生林を伐採して植林し、持続可能な林業を行う地域と、原生林を残す地域に分け、その許可のもとに切ったものだったのですが、環境保護団体から見れば、すでに世界的には、非常に少なくなった原生林を、州政府の許可のもととはいえ、伐採することは許すべきではないというロジックになっていました。確かに地球的視野でいえば、原生林はもはや貴重ですから、切るべきではないのも事実ですが、一方、タスマニア地域の住民感情としては、自分たちも森林資源の恩恵を受けながら豊かさを享受したいと考えるのは当然のことであり、原生林の価値をどう見るかの問題は、そう簡単ではありません。
ほかにも、再生紙資源を巡る問題もいろいろありました。再生紙はどうしてもコストが高くなりがちであり、高くても買ってくれる顧客がいるのか、その顧客も再生紙比率を100%を本当に望んでいるのか、再生紙を白くするには環境負荷がかかるのですが、どこまでの白色度を許容してくれるか、など。今回の問題も、再生紙100%のハガキの中に、染料で染まった再生パルプがほとんど見つからなかったことから、ばれたのでした。
最近では、さらに、再生資源の中国との奪い合いという状況もあり、「買い負け」する状況も出ていたようです。中国では発展に伴って紙の需要が伸びていますが、バージンパルプをつくる木材資源が減少して、古紙の需要が伸びています。その古紙の買い付け価格で、日本の製紙会社が負けることが多くなっていたということですから、中国のほうが高価な原料でも売れる市場があるということになります。にもかかわらず、日本国内では、再生紙の需要が伸びている、しかし、白色度の低い紙は敬遠されるとなると、ここに矛盾が広がって、偽装の温床が生まれてくるのでした。
もうひとつの観点は、日本が官公庁を中心に行っているグリーン購入法の問題もあります。グリーン購入法は、官公庁の調達物に関して、環境に配慮した製品を選ぶように義務付けたもので、グリーン購入法の規定で、再生紙100%が指定されていたという点も、問題の温床になりました。そもそも、再生紙100%の紙は、強力な漂白剤を使っていろと落とす代わりに漂白剤の環境負荷を受け入れるか、そこそこの漂白で済ませて、ざら紙のような品質に甘んじるか、いずれかになるという矛盾を持っていました。本来であれば、製紙会社は漂白剤の環境負荷、原材料の再利用のメリット、再生工程から発生するデメリットを勘案して、もっとも環境負荷が低く、紙としての性能も水準を超えているものをつくり、グリーン購入法のベストソリューションの使用として提案するべきでした。それをせずに(したとしても十分力を入れずに)、事情がわかっていない政府のいいなりになって、環境負荷がかえって高い紙をグリーン購入として提供していたという事実もまた、製紙会社の怠慢以外の何ものでもありません。
というような事情をふまえてみると、製紙会社が再生紙や環境負荷低減を巡って、アンビバレントな(矛盾をはらんだ)状況にあったことは事実です。こういう状況が、不正の温床でした。
しかし、だからといって不正をしてもいいとか、それもやむを得ないという発想は、絶対にありえません。やっては行けないことはやってはいけないことだし、それ以前に、製紙会社は、こういった事情をきちんと社会に説明しなければならない責任があります。
紙とはどういう資源なのか、何は環境によく、何はよくないのか。現在の技術水準はどこまでで、将来、環境負荷が減る可能性はどのぐらいあるのか。コストはどうで、何と何を引き替えにしなければならないのか。
全ての説明責任を放棄して、矛盾を抱えているのに、社会の要請に応えられるふりをして、ウソにウソを上塗りしていき、最悪の結果を招いた。この責任は、非常に思いものがあります。それと同様に、あなたの会社自体も、あなたの会社の仕事の領域でそういったウソがないか、ぜひこれを機会に、目を向けていただきたいと思います。
さて、製紙会社の状況と責任についてはこのぐらいにして、この事件の波紋について少し考えておきます。
紙は身近なものだけに、紙の環境対応について大嘘が発覚するということは、こと紙だけではなく、環境活動全体に懐疑の余地をつくってしまったという事実があります。
環境面で何かをやろうとしても、「もしかして製紙会社みたいなことをやってたりして」と疑う市民が増え、これが「環境に熱心な人からの疑問出し」に留まらず、「環境のことなんかやりたくない人」からは、「どうせウソなんでしょ」と行動をとらないいいわけ探しに格好のネタを提供してしまったのです。
こういう波紋は、僕のように環境アクションのリーダーシップをとろうとする人間にとっては、とても迷惑です。今回の製紙会社の偽装事件が、何をやろうとするときも疑いの余地ありと思わせてしまうとしたら、この信用低下の悪影響は計りしれません。
それにしても、どこまでウソをつきまくる社会なのでしょうか。
大企業の社員の皆さんは、学歴も高く、知性もあり、経済的な余裕もあるのに、実態は犯罪者と犯罪予備軍です。なんのための学歴、なんのための経済的ゆとりなのでしょうか。これ以上の企業による虚偽犯罪が起きないことを切に願うのみです。本当に情けない、
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