(by paco)今週はオムニバスの日記風で行きます。
●スノボ、うまくなりたい
スノーボードを、去年初めて、今年で2シーズン目。少しは滑れるようになってきたのですが、まだまだです。先シーズンの終わりにけっこうできるようになったターンが、今シーズンに入ったらうまくできなくなって、チキショーという感じですが、いろんな「成功本」によく書いてあるように「できないと思うから潜在意識ができないと思いこむ」などと書いてあるじゃあないですか。それで、「できないわけがない」と言い聞かせて、ひょっとターンしたら、みごとにコケて右肩から雪面に落下。脳天まで響いて、しばらく起き上がれなかったほど。きつ?。なんとかその後も滑ったものの、右腕の痛みはまったく引かず、帰りに地元の医者に寄りました。
レントゲンを撮ってもらって、骨には異常なし、ということで、打撲ですみました。でも、右手が使えないほどの痛みを抱えて、トホホです。2日目になって少しましになってきたかな、というレベルです。
スノボはミスをするとケガがひどいというし、実際、スキーよりずっと危なっかしいスポーツなので、気をつけています。でもそれが臆病につながって、なかなかうまくならないんでしょうね。こけて痛いときは、もうスノボはやめじゃ?スキーに戻る、と思ったのですが、やっぱりうまくなりたいと思う自分がなんか不思議。次回はスクールに入って、教えてもらうつもりです。
スポーツは基本的にあまり好きじゃないんですが、なぜかというと、苦しいのがいやなんでしょうね。汗かくのも好きじゃないし。と書くと、え?とびっくりする人もいると思いますが、実際、好きじゃない、という人は少なくないと思います。それに、競い合うこともあまり好きじゃない。仕事も含めて、誰かと競う場面になると、自分から場を映して、違うことを始めてしまうような人なので、人より勝ってうれしいという感覚が実はあまりなかったりするわけです。
ではスポーツマインドがキライかというと、そんなことないらしい、わけです。スキーはけっこう好きだし、スノボも楽しいし、裏山を歩いたり、それにクルマをスポーティに走らせることも好き。どこが違うのかなと思ってみると、どれもあんまり息苦しくなく、暑苦しくなく、汗もあんまりかかない、スポーティなきびきび感が好きなのかなという気がします。特にスキーやスノボは、けっこう全身動いて汗もかくけど、すぐに涼しくなるし(寒くなる?)、きびきび感だけを都合よく楽しめるからなんでしょう。Alfaromeoのようなスポーティなクルマが好きなのも、同じことなんでしょうね。ちなみに、クルマも、真剣に走らせると背中に汗(でも夏でもエアコン効いてるし)、という感じなんですよ(ちなみに、モータースポーツの世界でも、特にラリーの世界ではエアコンが普及して使われています。1000馬力のエンジンの家、20馬力がエアコンに取られても、ドライバーの疲労が少ないなら結局速い、というわけです))。
昔、体育系専門学校の採用関係の仕事をしたことがあるのですが、スポーティとはどういうこと?という話を聞いてきて、なるほどなと思ったことがあります。動きが軽く、インプットに対してレスポンスがよく、一定のルールは守り、自分のレベルアップをいつも考える、そんなマインドがスポーティマインドなんですね。別に汗をかくことではないのかもしれません。
●薪割りというライフワーク
秋から冬はストーブシーズンであり、薪割りシーズンです。今年はちょっと薪の貯蓄量が不足気味なんですが、だからといってあせってもいいことがないのが薪仕事です。
薪割りにはいくつかのフェーズがあります。原木の調達、玉切り、薪割り、乾燥。去年までは、原木は地元の木こりさんに頼んで買っていたのですが、今年は「ヤマガラの森」に積まれた木を切り出して自分で調達。仕事が一つ増えて、それが薪の量を減らしているようです。薪を確保すると言うことに避ける時間に限りがある中で、作業工程が一つ増えれば、やむを得ないのでしょうが、薪の在庫がなくなると困るので、せっせとつくることにしました。
秋に、「ヤマガラの森」の真ん中に積まれた木や枝の山から薪にちょうどよさそうな雑木を切り出して、道に出しておいたのですが、それをネコに載せておろした、という話は先週書いた通り。さてそれをチェーンソーで玉切りしてしまおうと思ったら、今度はチェーンソーが調子が悪い。チェーンソーというのは、今でも基本的にプロ用の機械だし、使われる環境も厳しいので、メンテナンスフリーとはいかないのですね。おがくずはあちこちに挟まって、オイルとからんでたまるし、氷点下の寒い時期も真夏の35℃ぐらいなる日も使います。同じように過酷な環境で使うクルマが、これほどのメンテナンスフリーを実現していることに、本当に敬意を表します。
チェーンソーの場合、日常的なメンテナンスは、ソーチェーンを研ぐこと。フルに木を切り続けると、数時間で切れなくなってしまいます。よく研がれたチェーンで切っていると、おがくずが大きく、ガシガシ飛んでくるのですが、切れ味が悪くなってくると、おがくずが細かくなってきます。いい状態の時は、「冷えたバターに熱いナイフ」という感じで、力を入れなくても自重ですっと切れていく感じなんですが(だから、疲れないし)、なまってくると力を入れてもなかなか切れなくなり、最後は力を入れても木の断面をチェーンが滑ってまったく切れなくなります。仕方ないので、エンジンを切って、去年ゲットした専用の電動マシンで目立てをします。この作業自体は、なれれば数分ですみますが、これを繰り返していると、ソーチェンーの方が削れてしまい、使えなくなってくるわけです。
一昨日、チェーンソーが切れなくなって入念に目立てをしてから再開したのですが、切れ味変わらず。改めてよく見ると、木に食い込むチップの部分がかなり摩耗して小さくなっているので、もはや限界と判断しました。
近くのホームセンターJマートにいって、ここには在庫がないことはわかっているので、お兄さんに頼んで発注。納品待ちなので、作業ができません。
来週、チェーンが届いたら、付属のスパナでさくっと分解してチェーンを着けなおし、玉切り再開、その後、薪割りして、初めて在庫が少し上積みされるという手間のかかり具合なのですね。
もちろん、薪になったものを買ってしまうという方法もあるし、玉切りまでしたものとか、いろいろな形態で薪は売られています。でも、せっかく「ヤマガラの森」にたくさんの木が残っているわけだから、なるべく使いたい。それに、木を相手にしているというのは、気持ちがいいし、スポーツで体を動かすのと違って、薪が積み上がり、冬暖まる、という目に見え、体感できる成果があるので、やっぱりやりたいと思うのです。それにしても、エンジンや電動工具のない時代、そしてそれ以前の鉄製工具がなかったり、高価で買えなかった時代は、本当に厳しかっただろうなあと思います。
環境問題をやっていると、よく、昔の時代に戻ればいいのだという議論を目にしますが、本当に戻る気があるのかと聞いてみたいものです。
●まったく新しい本を書く
この冬、やっていたことに、本を書くというのがあります。本当は書き上げてしまうつもりだったのですが、まだ道半ば。でも主要部分はほぼ書き上げました。
ちょっとリークしちゃいましょう。
「論理力を鍛えるトレーニングブック」から6年、今もこの本は売れ続けていて、毎年増刷を重ねています。でも、僕自身、この本の内容は7年前の僕の理解と教え方のメソッドに基づいていて、もっと今だから書くべきことがあると感じていました。
いちばん大きな問題意識は、論理思考がMBAをめざすような一部のエリートのものから、ビジネスパースンが誰でも知っておくべき基礎能力として、いわば「大衆化」したことであり、それに伴って、学ぶべき内容も学び方も変わるべきだと考えるようになりました。かんたんに学べて、かつてよりハイレベルなところまでいけなくても、使いやすく、一定の水準に達することができるようなロジカルシンキング。一握りの戦略コンサルタントが緻密にくみ上げるロジックではなく、多少ゆるくても、学ぶ以前より納得感が高まるようなロジカルシンキング。
ねらいははっきりしてきたのですが、問題がふたつありました。ひとつは、僕自身がこの7年間にレベルアップしてしまい、理解が深まった分、逆に「ハイレベルでマニアック」になってしまっている。一方対象とする読者はますます広く、入門層になっている、という点。ギャップが広がっている状況を、研修講師の豊富な経験でどこまでカバーできるかがひとつの問題点でした。
もうひとつは、表現。ロジカルシンキングのメソッドにはいろいろな注意点があり、そのうち最低何をわかってもらえばいいかという点については、ほぼ見えてきているのですが、それをどう伝えるかについて、ここ数年、実はけっこう頭を悩ましてきたのでした。
前作では読者に相当するメンバーに回答を作ってもらうという方法をとったのですが、これをまたやることにはあまり意味がないだろうし、僕も同じことはやりたくない。もっとシンプルに、すっと頭に入る方法で、「試行錯誤で学ぶ」のではなく、「普通の勉強として学び」、実践に応用できるように頭に残らせる方法はないか、考えてきたわけです。
そういうお悩みの中で、去年実践してきたのが、「手書きテキスト」という方法で、ホワイトボードに講師の僕がさらさらと説明を書いて、それを見ながら理解するという方法が、いちばんこなれている「学び方」ではないかと思い、そんな雰囲気をそのままに手書きで書いたテキストをつくり、研修に使ってきました。
このテキストをつくるにあたって、ノートに書いてスキャンするという方法も考えたのですが、何となく違うような気がして、PCに手書きを直接入力する方法を探しました。
なぜスキャンではダメか、改めて考えてみたのだけれど、たぶんスキャンの精度がよすぎるのです。かなり細かい字まできれいに出過ぎてします。すると、活字で書いているのと変わらなくなってくるのです。ホワイトボードに書いて説明するときのいいところは、手書きのサイズがあまり小さくできないので、書ける情報量が限られ、それによってシンプルで限定された内容になるという点です。細かく書きすぎないことが重要なのです。
もちろんつくるにあたって、紙に書いて、スキャンするという手間がめんどくさいというのもあったのですけどね。
それで、手書き入力といえば、ということでペンタブレットを買ってみたのですが、どうもしっくり来ない。ペンで書いた軌跡が、書いたペンの先で見えない(書いている場所には何も書かれず、PC上に表示される)というペンタブレットの特徴がなじめなかったわけです。
そこで、もうちょっと探していると、ゼブラから「手書きリンク」という商品がでていることがわかりました。USBでつながるクリップ上のセンサーに紙を挟み、紙の上に専用ペンで絵を描くと、PC上に取り込まれるというしくみなんですが、これだと、書いている最中は普通の紙に書くのと同様、絵が残るし、水性ボールペンの普通の感触で書けるのもいい。そのわりに、間違えたらデジタルデータですから、どんどん消して書き換えられる(紙の上は間違えたものが書かれたままですが)。
それと、この手書きリンクのいいところは、解像度が低い点で、A4サイズの紙に書き、それをPC上に表示したり、再度印刷したりすると、すごくざらざらのピクセルの目立つ絵しか描けません。それゆえ、細かい字も書けないし(紙の上で、1センチ弱ぐらいのサイズより小さいと、時が判別できない)、その制約が逆に情報をぎりぎりまでそぎ落とすことに貢献しています。
ついでに、ピラミッドや図と説明だけでなく、うさぎちゃんやネコちゃんも登場させて、「これがピラミッドストラクチャだぴょん」「むずかしいにゃん」としゃべらせて、ちょっとお茶目にできるのもいいところで、軽くツッコミを入れながら、ポイントがわかるように書いてみました。
ロジカルシンキングという「堅い勉強」を極力柔らかく、あ?これでいいのか、と身がまえずにできるような工夫になればと思い、つくったのですが、これを去年の企業研修数社で実践したところ、けっこう好評で、ノリのいい企業では受講生が「ぴょん」言葉になってしまうほどで、「これはいける」という感触でした。
そんなわけでこの方法に自信を深めたことで、手書きテキスト中心の本を企画し、書いているのが今、なのです。本なので、実際にはイラストレータが手書きの絵をおこしなおしてくれると思いますが、基本的にはほぼそのままの味で書いてもらうことにしているので、本当に読みやすい、ロジカルシンキングとは思えないような本に仕上がると思います。
さらに、情報量を徹底的に減らすというのも大きな目標で、従来の本の半分から3分の1の文字量をめざして、A5判128ページほどのコンパクトな本にしようと思っています。このへんも冒険で、編集者ともうちょっと情報を入れるべきという議論をいろいろしたのですが、何とか理解してもらいました。
今のとろろ、3月あたりに出版になる予定で書いているのですが、どうなるか。ピラミッドストラクチャを学ぶ「伝える編」と、因果の図やロジックツリーを使う「問題解決編」の2冊、同時、またはあまりずれずに、上梓すべくがんばります。
ということで、今年の年末?年始はこんな感じで六兼屋で過ごしてきたのですが、今日、東京に戻り、1月2月は某社の研修の仕事に集中することになっています。
おつかれのときなど癒されたいと思ったときのアルバイト(*´д`)ノ→ http://44m4.net/