(by paco)今日、12月8日は真珠湾攻撃の日です。日本が米国と戦争を始めた日ですね。年号は覚えていますか? 普通、覚えてないですよね。終戦の年号は? 昭和20年。西暦では? 1945年。さて、開戦の真珠湾の年は? 1941年です。戦争は、1941年12月から45年8月まで、3年9か月でした。意外に短いと思いませんか?
8月15日には戦争に関する特番が組まれたり、本が発行されたりしますが、開戦の12月にも本の発行は続いたりします。今年も何冊か出ているようです。
知っての通り、僕は「反戦派」なので、戦争という手段そのものを否定している人ではありますが、単に「戦争はダメ」というだけでなく、「なぜ戦争が起きるのか」「どうすれば戦争という判断をせずにすむのか」というイシューについて、ずっと考えてきました。
戦後、6年以上たち、戦争についての評価の見直しが進んでいます。そんなかで代表的なイシューが、戦後、連合国が日本の戦争犯罪人を裁いた「東京裁判」の是非や、日本の中国侵略の代表例とされる「南京虐殺」です。どちらも、これまでの定説に疑問を当時、反論することで、日本の過去を再評価しようというスタンスのものが多く、「従来の定説より、日本は実はもっと悪いことをしていた、日本の戦争指導者にはもっと多くの責任がある」という言説はほとんど見られません。
今の世界を知るには、現代史を知る必要があり、第二次大戦の歴史は代表的な現代史です。歴史の定説は定説として、それを疑い、よりただし歴史を描こうとする努力は、良いことです。その中で、東京裁判の不当性を取り上げたり、南京虐殺の罪はもっと軽いものだったと再評価すること次はいは、あっても良いと思います。事実は事実として、明らかにする努力を否定するべきではないでしょう。
しかし、もうひとつ、厳然としていることは、日本は戦争に負け、無条件降伏したという事実です。無条件降伏というのは、そのあとなにをされてもかまわないから戦争に負けたと認めると言うことで、勝者が敗者に押しつけるものとしては、過酷に過ぎます。多くの戦争は「講和」といい、負けた方も一定の条件を留保しながら負けを認めるのが、戦争の「流儀」でした。それが、第二次世界大戦では、ドイツと日本は無条件降伏を迫られ、実質的にこれを受け入れざるを得なかった。ドイツも日本も連合国に占領され、軍の解体と政府の再構築、憲法改正を余儀なくされ、連合国の意のままに改造されたのでした。昔の戦争なら、勝った側は負けた国の男を徴集して奴隷として使い、女は売春婦にされるのが当然のルールでしたが、近代戦では、そういうことをしてもかえって恨みが募って戦後の平和が保てないということで、ポツダム宣言でも、日本軍は武装解除の後は家庭に戻り、平和的な生活を営むことを保証すると宣言されていました。
米国を中心とする連合国は、奴隷や売春婦として使役する代わりに、日本の名誉を決定的に失わせ、史実を曲げてでも、日本人の自尊心を骨抜きにすることを選んだわけです。
日本人は、1945年の敗戦の後、奴隷にされなかったことをにほっとし、進駐してきた米軍からチョコレートや小麦や仕事をもらって、生きながらえました。戦争末期、男子のほとんどが戦争で海外にかり出されたため、国内の農業は壊滅状態になり、米をはじめ食糧が圧倒的に不足して、餓死者が大量に出ると恐れられたわけですが、結局米国からの援助に頼って、多くの国民は生き残ることができたのでした。
さらに、終戦後の混乱が収まってからは、朝鮮戦争の特需で経済が復活し、米国からの気前のいい技術移転によって機械や電子産業が興って、見事な経済成長を成し遂げたわけです。実際、1950?60年代の米国がどれほど気前が良かったのかは、ソニーの歴史を見ても明らかで、発明されたばかりの半導体の特許を十分安く提供した上に、技術者を工場に受け入れて、ノウハウを学ぶ機会まで提供してくれたのでした。
日本は米国によって改造され、事実や歴史のねじ曲げを受け入れた代わりに、現在にいたる発展の基礎を米国からもらったわけです。
さて、20世後半の歴史を経て、21世紀が近づくと、日本では上記のように、「東京裁判は茶番だった」とか、「南京虐殺は、もっとずっと小さな事件だった」というような、いいわけめいた(あるいは、真実を再提示する)言説がおおいに力を持ってきました。行為多元説を出す人々を一般に右翼/右寄りと呼び、保守だと辞任する人たちです。
一方で、日本の戦後を率いてきた政権も保守と呼ばれ、吉田茂から自民党政権に引き継がれて、今に至ります。この政権による国是は、米国最優先で、米国以外の国との外交関係は実質的に限りなくゼロに近く、日本は外交と安全保障を米国にアウトソーシングすることがベストだと考える人たちによって、運営されてきました。朝鮮戦争も、ベトナム戦争も、湾岸戦争もイラク戦争も、対テロ戦争も、すべて米国の言いなりで実質的に参戦し、その結果、日本にも戦争の分け前がもらえて、石油も安定的に手に入れることができたのです。
ここで改めて振り返ってみると、戦前日本の名誉回復のために努力している右翼の人たちは、米国や連合国が押しつけた「中国で虐殺を行った」「東京裁判の結果の通り、悪いのは戦前日本の軍部」という考えを必死に「否定」しようとしている一方で、米国一辺倒の政治を行ってきたことがわかります。もちろん、ここの論客の意見を見ると、米国のいいなりになることは良くない、米国とはもっと対等の関係になるべきだといっていたりするわけですが、大きく見ると、日本の保守は超親米である一方で、米国が押しつけてきた歴史観を必死に覆そうとしている矛盾を、構造的にもっていることがわかります。
一方、左派の方は、この逆で、米国の好戦的な行動に批判的なのに、米国が押しつけた戦前の歴史の書き換え(バイアスのかかった見方)についてはそのまま受け入れて、南京虐殺にしても東京裁判にしても、肯定的に見ています。日本は悪いことをしたのだという理解です。
そういうねじれた構造の中に、もうひとつの現実的な指針があります。
日本は無条件降伏を受け入れ、その後の国家改造を経て、戦後の社会に復帰することを認められました。サンフランシスコ講和条約は1951年9月に結ばれていますが、このことは、米国や連合国が押しつけたさまざまな歴史のねじ曲げなどを受け入れたからこそ、講和が結ばれ、独立を回復して国際社会に復帰できたのだというのが基本的な理解です。現在もこの条約は日本の国際的な地位を決定づける最も重要な約束事で、だからこそ、日本はかつての領土である朝鮮半島や台湾を再び領有することは許されないのです。
つまり、負けてしまったのだから、ねじ曲げられた歴史は受け入れざるを得ないのであり、負けを認めた保守政権とそれを支える右派が、受け入れたはずの歴史の回復を狙うという矛盾こそ、今、日本が抱えている本質的な矛盾だと言えるでしょう。
さて、では、1941年の今日、戦争を始めた、大日本帝国の指導部は、戦争に負ければこのような歴史のねじ曲げを迫られることを理解していたのでしょうか。まさかそんなひどいことになるとは思わなかった、というのでしょうか。
大日本帝国の戦争行動を肯定する見解にたつ右派の意見を読むと、日本が米国との戦争に突入したのは、やむにやまれぬことだったのだと主張しています。米国との軋轢が激しくなり、米国の圧力にずるずる屈することになれば、日本は米国や英国の植民地になり、いいように搾取されてしまうと考えたわけです。英国の植民地、インドがひどい搾取を受けていたように、日本も戦わなければそうなってしまうと考えた。
しかし現実を見ると、日本は戦っても、負けてしまえば、いいように改造されることを受け入れざるを得なかったわけで、その点では、戦前の指導者の見解は正しかったことになります。
ここまで考えておいた上で、いま考えたいことは、1941年に米国との戦争を決意した日本の指導者の立場で考えてみましょう。
(1)戦争をして、勝てば、米英の干渉をはねのけることができる。これはベストな結果。
(2)戦争をして、負ければ、勝者である米英は日本を(奴隷化なども含めて)いかようにもひどく扱うことができる。
(3)戦争をせずに譲歩を続ければ、いいように植民地にされたり、国を改造させられてしまうかもしれない。
この3つの選択肢のうち、リスクヘッジの考え方にたてば、(2)と(3)のどちらがひどい結果をもたらすか、という点でしょう。あなたならどう考えますか?
一般的には、「(2)戦争に負けて、相手のいいようになる」方が、「(3)譲歩して相手の意思を受け入れる」よりひどいことになると考えるのが自然です。譲歩は、こちらの立場をある程度強く訴えることができますが、負けてしまえば何をいってもムダです。
もちろん、「結果的に相手の意図に屈する」にしても、(2)のように戦って負けた方が、(3)のように弱腰で屈するより、あいてから敬意を受け、そうひどい扱いをされずにすむという考え方もあり、右派の言説にはこういったタイプの論理展開がよく見られます。「負けたけれど、よく戦った、負けた相手に尊敬の念をもつ」というものです。しかし、これはいささか浪花節的に過ぎると言えます。あいても激しく戦った末の勝利ですから、敬意を持つより、敗者を徹底的に叩き、好きなように改造しようとする方が自然だし、それは過去の歴史からもわかることです。
戦前の日本の指導者の判断ミスのひとつは、「同じ屈するのでも、戦って負けた方が、敬意を持たれる」という考え方にあったと僕は思っています。厳しい帝国主義国家である米国に対して、期待するようなことではなく、判断のゆるさが露呈していると思えます。
もうひとつは、戦前の日本は、世界の中で今よりずっと高い地位にいたことを、どう判断するかという点です。日本は国際連盟の常任理事国で、世界の中では米国・英国に次ぐ軍事力と国際政治力を持っていました。今のロシアやEU以上の地位にあったわけです。その地位を、国際連盟から自ら脱退したり、日本に敬意を払っている国をみな敵に回してまで孤立して、結局(2)か(3)かの二者択一のところに、自ら追い込まれてしまっている。この行動の独善性は、否定できないと考えられます。
右派の見解には、この「戦前日本の国際的な地位」を自ら「捨てていった」ことをどのように評価するかという視点がほとんど見られず、「米英によって追い込まれた」という見方ばかりしているのですが、この点に、戦前の指導者と共通する「判断の甘さ」があるように感じます。
(2)と(3)のどちらがよりひどい結果を招くのか。同じようなひどい結果でも、そこに至る過程をどちらがコントロール可能なのか。こういうシビアな判断をしなければならないはずの指導者が、実際何を考えていたかといえば、(1)の「戦争をやってかつ」ことに、あまり根拠のない自信を持っていました。(2)や(3)の議論をする人に対して、(1)戦争をやって勝てないと考えるのは、なんという非国民、と決めつけて、場合のよっては暴力に訴えてでも排除していったわけです。最悪の事態をどうやって防ぐかという現実的な議論は排除され、「勝てないと決めてかかるのは非国民」(勝つ保証は高くない)という、抽象的な議論が暴力を背景に主流になっていく、その結果として、1941年12月8日の真珠湾があります。
未来の世代である僕たちが、過去の為政者をどう判断すればいいのか。それは、本来なら為政者としてシビアに判断しなければならないはずのことを、安易に判断したという判断の甘さ、ミスがあったかどうかです。この点、戦前日本の指導者の判断を、僕はやはり正当化する理由はない、というのが、僕の判断です。
南京虐殺があったとかなかったとか、東京裁判がどうのという以前に、戦前指導者の判断の妥当性を、繰り返し議論することの方が重要だと僕は思います。
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