(by paco)僕は春ごろから、横浜市環境審議会温暖化部会の委員をやっているのですが、その間、市の環境政策、特に温暖化防止についていろいろな議論をしてきて、次第に骨格が固まりつつあります。もちろん、これまでも温暖化防止の政策はいろいろとられていたのですが、めざさなければならないゴールと比べると、十分な成果が上げられていない、というより、まったく不十分でした。今回は、ゴールに対して十分な成果を上げるにはどうしたらいいかという観点から政策立案につながる議論をしてきたので、いよいよ本格的に動き出すという状況が見えてきました。
横浜市は日本最大の「市」ですから、もちろんその規模だけで一定の影響力があります。しかしやはりなんといっても東京都が大きく梶を切った影響が大きく、東京都に引っ張られるように、今各地の大都市で環境政策の見直しが進んでいるようです。その中で、横浜市も東京都と並んで、イニシアチブをとるべく、政策立案を行っています。
このような状況の中から見えてきたことを書いていく前に、もうひとつ、国の動向を見ておきます。本来、温暖化防止の政策は、自治体レベルより国レベルで行うべき話です。京都議定書の責任主体も、もちろん締結国政府にあります。しかし、現実問題として政府はまったく無策で、現段階でも国の議論はまったく手詰まりの状態です。はっきり言いますが、内閣も、各省庁も、電力会社も、石油関連業界も、温暖化防止についてはまったくやる気がありません。完全に後ろを向いていて、未来に責任を果たそうというような姿勢は「皆無」です。
もちろん、「皆無」と言っても、さすがに「ほんの少し」未来につながることもやっていますが、現実問題として、温暖化防止のためのCO2削減目標と比べると、「まったく何もしていない」に等しいのです。コミトンの読者を含めて、日本人の多くはまだ入っても政府の指導力について一定の信頼を置いていると思いますが、少なくとも温暖化防止については、政府は「まったく無策である」と言いきっても差し支えありません。このことだけは、とりあえず頭に入れておいてください。
こうした状況の中、東京都の石原知事は「国がやらないなら、東京からやる」と宣言し、温暖化防止に本腰を入れるべく、動き出しました(石原慎太郎氏は、強烈な右翼思想の持ち主で、政治家としては僕は嫌いですが、地方行政官としての手腕は評価せざるを得ない実力を持っています。国政に送り込んではいけません)。これに影響されて、横浜市、そして他の政令市もイニシアチブをとっていく気配です。
こういった、地方自治体による政策イニシアチブによって、国の行政がじょじょに影響を受けて、国全体が変っていくという流れは、実は環境政策の分野では世界的なトレンドになっています。欧州は環境先進地域として知られていますが、それとて、各国やEUがイニシアチブをとって環境政策を先導してきたわけではなく、むしろ各地の小さな都市、たとえば太陽光発電で有名なドイツのフライブルグや、最近は太陽熱利用を宣言したバルセロナなど、都市が新しい政策をとり、それが国やEUの政策を変えさせるという流れが世界的に起きています。米国にしても、かつて、大気汚染防止のために真っ先に厳しい汚染防止の法律を作ったカリフォルニア州が煽動し、政府がそれに準じた大気汚染政策をつくったという歴史があり、この排ガス浄化の流れに真っ先に順応した日本車が、米国で一気に市場を獲得しました。地方や都市から始まった環境政策が、国全体、そして世界の環境政策を動かしていくという流れが、いわばデファクトスタンダードとして機能しています。これをThink Globaly, Act Localyというキーワードの具現化と見ることもできるので、国が無策であることは必ずしも悪いことではないのかもしれません。
ちなみに、都市が温暖化で先導役を果たせる大きな理由は、地方議員には産業界ロビーや利益代表の議員があまり入り込んでいないこと、首長が直接選挙で選ばれていて、負託されている権限が大きいことが理由です。
さて、そういうわけで、いま日本でも、自治体主導でのCO2削減政策が動き出そうとしています。そして、その影響を真っ先に受けることになりそうなのが、日本の大企業群です。
東京都では、大量排出事業者に対して、CO2排出削減義務を課し、その削減義務に基づく「CAP&TRADE」による域内排出権取引を実施すると宣言しています。ちょっとわかりにくいので、説明しましょう。
まず、排出削減義務とは、文字通り企業に対して排出削減を義務付けるもので、義務量の削減ができなければ罰金や社名の公表など、ペナルティが科されます。この削減割り当てのことをCAPといい、この削減量を上回るか、下回るかした場合、削減量を企業間で売買することを排出権取引(Trade)と言います。たとえば、A社、B社ともに削減義務によって、今年度の排出枠が100に制限されたとします。A社は削減努力をして90にまで減らすことができた。一方B社は110排出しそうなことがはっきりしてきた。その場合、A社は排出枠に10余裕があるので、この余裕のある排出の権利を、B社に売ることができます。B社は1000万円払ってA社の排出権を購入すれば、B社もA社も排出量は100になり、どちらも削減義務を達成したと見なされる。これが削減義務とCAP&TRADEの原理です。
ここで問題になるのは、そもそもA社B社の削減目標(排出枠)が妥当なのか、という点です。A社は実はこれまでまったくCO2排出の削減努力をしてこなかったために、昨年度120の排出があっても、比較的簡単な努力で一気に90まで減らすことができました。一方、B社は削減努力を長年積み重ねていて、もうやることがないぐらいになっていたので、努力したにもかかわらず、110の排出になってしまった。そんなこともありえます。そうすると、B社は削減努力を長年積み上げてきたのに、削減義務とCAP&TRADEによって1000万円分、排出権を買うことになってしまいました。A社はこれまでまったく努力をしてこなかったのに、初年度の努力だけで1000万円の収入を得ました。CO2排出削減の努力は、一般的に言って、削減努力をはじめたころは比較的容易に削減できます。省エネ余地は大きいし、古い設備を更新するだけで一気に排出が減ることもあります。一方、省エネや設備更新を一通りやってしまうと、なかなかCO2排出が減らなくなりますから、B社のような会社は、これ以上減らすために大きな投資やコストが必要になってくるのです。また、削減基準になるとし(たとえば前年度)、事業が好調で大きな排出があり、翌年は事業は不調で売上や事業活動が減退すれば、何もしなくてもCO2排出が減る場合もあります。つまり努力しなくてもA社は事業不振によって排出量が減ったうえに、排出権取引によって1000万円の売上が確保できることもあるのです。
削減義務やCAP&TRADEにはこのような矛盾があり、何を基準にどの程度削減義務を課すか、公平性を確保することが難しいのです。
とはいえ、各企業の自主性に任せているだけでは効果的な削減ができないのも事実で、何らかの義務づけが必須になってきました。どの程度の削減を、どうやって公平性を確保しながら義務付けるか。具体化が難しいことはありつつも、東京を皮切りに、日本でも排出削減義務が実施されることになりそうです。
では、今必要な削減量は、どのぐらいなのでしょうか。京都議定書では1990年基準でマイナス6%というのは知らない人はいないでしょう。現状はすでに排出が増えているので、今やらなければならないのはマイナス15%程度です。
しかし、これはCO2削減のほんの入口に過ぎません。今年のサミットでは2050年に50?60%削減が宣言されましたが、これを達成するには、2025年あたりに20?30%削減が中間ゴールになり、今、この数字が次の目標として注目されるようになりました。2025年といえばあと17年ほどです。今から17年前はバブル頂点の1990年。それから今までぐらいの変化の中で、CO2排出量を25%程度削減しなければなりません。大きな目標ではありますが、考えてみてください。1990年といえば、インターネット以前です。会社でパソコンを使うのは女性のアシスタントで、男性営業マンが手書きで書いた企画書をアシスタントに渡してパソコンで清書してもらう、というのが普通でした。名刺にメールアドレスを入れている人は皆無で、僕でさえ、たぶん1992年頃だったと思います。携帯電話は弁当箱ほどもある肩掛け式で、一般的にはポケベルが使われていました。
そんな1990年からの社会の変化を考えれば、今後同じ17年間でCO2排出量が大幅に減ったとしても、不思議とは言えません。しかし、何もしないで起こる変化でもありません。
これまでの17年間で、僕たち日本の社会はどんな投資をしてきたのでしょうか。まず、数兆円といわれたバブル後の不良債権を精算するための努力が続きました。不況を何とか乗り切ろうと、莫大な公共投資も続きました。それと並行して、携帯電話のインフラをつくるために、最初は800MHzの無線網をつくる投資、そしてその後、2.4GHzの高周波無線のインフラづくりが急ピッチで進み、今や携帯電話の通信速度は2Mbpsを超えています。携帯電話の普及台数も爆発的に伸びて、すでにピークを打つ数千万台に達しています。インターネットのインフラ整備も進みました。日本では1995年のWindows95あたりからインターネットの利用が容易になってきましたが、それでも最初は電話回線にピーヒャラ音を乗せて通信するモデム方式で、通信速度は遅く、何より料金が莫大にかかり、月数万円の電話代も普通でした。それでも、ネットやパソコンのアーリーアダプタ(最初のユーザー)は、インターネットや携帯の料金である数万円を毎月払い、数十万円のパソコンを1?2年ごとに買い換えながら、今のネット社会を作り上げてきたのです。
あと17年で温暖化を減速させる社会を作り上げられるとしたら、こういった努力と同じものが必要です。企業群は数兆円単位の投資を行い、アーリーアダプタの個人は月数万円も投じてマーケットをリードし、CO2が少ないビジネス、社会をつくる担い手になるような動きが起きることになります。
CO2削減は、インターネットのように未来に希望を感じられる種類の前向きなものではなく、仕方なくやるものだから、そんな主体的なマーケットに育つわけがないと思う人もいるでしょう。しかし、17年前のインターネットも、同じように一部の学者はオタクのもので、未来を担うものだと感じていた人はほんの一握りでした。NTTやAT&Tのような巨大通信会社の先端研究所のスタッフでさえ、インターネットの普及を予想した人はほとんどいなかったのです(むしろ、専門家だからこそ、予想できませんでした。インターネットの通信技術は、普及するにはあまりにもいい加減で、脆弱だと思われていたのです)。
これからは、CO2削減努力がそれに取って代わる時代が来るでしょう。企業は戸惑いながらも、この社会の動きに適応していく、というか、適応せざるを得ない時代です。とはいえ、適応には「ごほうび」もあります。
今、僕たちの社会は、未来に対する漠然とした不安が支配的です。何とはなしに、未来はいいことがないという不安感がある。その不安感の大きな原因の一つが、環境問題の深刻化です。CO2削減努力が功を奏して、環境問題が破滅的ではないと考えられるようになれば、今、僕たちの未来を覆っている漠然とした不安が解消されてくるかもしれません。未来への不信感がなくなれば、希望が広がり、前向きな努力が活性化されていくでしょう。こういった未来が少し見えてくれば、CO2削減はアーリーアダプタ主体から、メインストリーマー主体に時代が移っていき、削減努力も加速します。こうなれば、2025年に25%削減、2050年に50%削減という目標も、現実味を帯びてくる。うまくいけば、2050年に70?80%削減でさえ、夢ではありません。社会の大変革が始まりますが、それは決して激しい革命ではなく、インターネットの普及のような、「気がついたら生活の一部になっていた」というような種類のものになるでしょう(しなければなりません)。
今週は、CO2削減に社会全体が動いていく、イメージをつかんでもらいました。来週は、その動きが、特に企業にどのように影響するか、もう少し具体的に見ていきたいと思います。
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