(by paco)人生のwhat?の見つけ方の軸として、横軸(地球の軸)、縦軸(歴史の軸)について話してきましたが、今週は、自分の軸です。
自分の人生のwhat?探しなので、本来は自分自身の中から自然に出てくるのがいちばんいいのですが、実際にはこれがなかなか難しい。多くの人は、自分が興味のあることを、思春期以降、いろいろな形で捨ててしまうからです。
僕自身のことを話してみましょう。
僕は今、論理思考、環境問題、ライフデザインの3つの領域で仕事をしていて、そのうち、what?といえるのは、環境問題とライフデザインです。論理思考は、それ自体に価値があるわけではなく、何かを実現するためのhow?と位置づけた方がいいと考えていて、僕がロジカルシンキングを教えるという行為は、学んだ人がビジネスのパワーアップを図る、というのがオーソドックスな目的になります。学んだ人がビジネスを通じて何かしら自分自身のwhat?を実現してくれればいいのですが、それがないと、なんのために論理思考を身につけるのか、なんのために仕事をするか、見失われた状態ということになります。そんなこともあって、グロービスのクリシンのクラスでは、この「人生のwhat?」の話をしているわけです。
では、環境問題と、ライフデザインという僕にとってのwhat?はどんな経緯でつかんだものなのでしょうか。環境問題も、ライフデザインも、実はルーツは古くて、中学から高校生ぐらいにさかのぼります。
環境問題に最初のであったのは、前回お話しした都立西高の地理の久保田先生でした。久保田先生は当時、「地理A」を教えていたのですが、もし記憶をたどれるのなら、たぶんあなたは「地理B」を学んでいるはずです。高校で地理といえば「B」で、だったら「A」はないの?と思った人も多いと思いますが、「A」はちゃんとあるのです。「B」は「地誌」で、アジア、ヨーロッパなど地域ごとの地形や自然環境、人の活動を学びます。これに対して地理Aは系統地理と呼ばれていて、地域ごとに分けるのではなく、テーマごとに学びます。
たとえば、海流を学ぶときに、地理Bでは、「東アジア沿岸には黒潮と親潮が流れていて、それがぶつかるところによい漁場ができる」というように、地域を中心に学ぶのですが、地理Aでは「暖流はなぜ起きるのか」「暖流が流れるメカニズムは?」「世界の主要な暖流がどのように流れ、寒流はどう流れるので、交わるところはA点、B点、C点で、みなよい漁場になる」というような学び方をします。
そんな学び方の中で、エネルギーというテーマがあり、世界のエネルギーがどんな需給関係になっているのか、石油の産出地域が通っているということが、世界に何をもたらしているのか、といったことを学んで行くことになります。その流れの中で、久保田先生は、当時最先端の研究だった「成長の限界」を教えてくれるのです。1976年にローマクラブが発表した研究「成長の限界」は、資源消費をこのままのペースで続けると、資源が枯渇して価格が急騰し、経済は限界に直面する、ということを、マクロな資源予測から推定した、最初の研究でした。1960?70年代は、日本は成長を謳歌していて、未来永劫、経済成長が続くかのような錯覚が広がっていたのですが、これにサイエンティフィックな反論を加えた研究でした。
多感な高校生の時にこういったことを学び、同時に日本は公害問題をあちこちに抱えて、解決できるかどうか、成果が見えていない時期だったことが重なって、環境の悪化は僕たちの生活を脅かす大きな問題なんだということを実感したのでした。当時、久保田先生は、「人類は地球が継続的に生産できる資源と、浄化能力の範囲内で暮らすしかない」と話していたのですが、今まさに、その考え方が「サステナビリティ」として、一般的になりつつあります。今からちょうど30年前のことです。
こういう学校での学びは僕に大きな影響を与えて、のちに大学で哲学を学んだあとで「科学哲学をやりたい」という思いになっていきました。科学哲学とは、科学技術を人類はどうやって使いこなしていくべきかを考える哲学です。人間にはどんなことも科学で実現してしまおうという考えがあります。これに対して、人類が地球の能力の範囲内で、持続可能な生活を送るためには、科学をコントロール下において、際限のない科学技術の使用を監理する必要がある、というのが科学哲学のコンセプトでした。
この分野は比較的新しい分野で、東大に専門の学科があったので、卒業の時に東大の大学院を受けたのですが、あっさり玉砕。大学院で哲学を引き続き学ぶことがもっともいいことだとも思えなかったし、研究の世界ではお前はいらないよと言われた気がしたので、別の道に進むことにしました。といっても、これといって目標があったわけでもなく、フリーターのような生活をしながら、そののちにコピーライターになり、バブル頂点の活気の中で、浮かれた広告を作り続けたのでした。つまり、環境が重要、というような始点はあっさり捨てて、環境を無視し、大量の紙や資源を使う広告を作り出して、その額の大きさを自慢していたのが、僕の20代です。
この20代の状況からじょじょに意識が変わりはじめたのが、30代で子供を持ったことであり、知恵市場で環境をテーマにしたメーリングリストを主宰したり、そこで情報発信をしたりということで、自分のテーマとしてやるべきだというように、再び環境に戻ってきたという経緯があります。
一方、ライフデザインの方は、大学で学んだ哲学が大きく影響しています。哲学のテーマのひとつが、「人はいかに生きるべきか=倫理学」なのですが、結局、僕は哲学として箱のテーマを追いかけ続けることはできませんでした。学習院大学では、大学院への進学も希望したのですが、卒論が2点足りずに推薦枠から外れて、「やっぱりお前はいらないといわれている」と自覚し、「いかに生きるべきか」を、自分の人生の中心に置くことはできませんでした。本当は研究生活をしたかったという思いはありましたが、その一方で、大学院に残っても将来が見えないのもよくわかっていたので、「教授がいらないというなら、僕は違う道に行こう」と心を決め、結局は広告屋さんになります。
そんなこともあって、20?30代は哲学や倫理学とは縁のない生活を送っていました。あえて、カネや仕事の世界に身を置くことで、哲学を学びたかった気持ちを切り捨てていた、という感じでしょうか。やってみると、金儲けもおもしろかったし(たいして儲からなかったけれど、がんばれば儲かりそうな気がするところがおもしろかった)、哲学の、根っこのない抽象的な感じも、ちょっと違うように思えてきて、すっかり離れてしまったのでした。
そんな中でも、当時意識を向けていたのが、「自分にあった仕事に就くための情報」「もっともその人らしくいられるような仕事に就く」というテーマで、僕がかかわっていた採用広告の世界では、まあ、お題目のように出てくるキーワードです。お題目ではありつつも、実際には理想はほど遠いと考える人が多い中、僕はけっこう、これをまじめに追求していました。大学生に向けて、自分らしい仕事とは何かというようなことを提示する記事をたくさん書いたし、取材もしました。
そんな中で出会った「テレワーク」を軸に、ちょっとずつ物事がつながっていきます。僕はわりと理系の頭だったので、IT系の広告を作ることが多かったのですが、情報技術を使って仕事はもっと自由にできるようになる、という記事をたくさん書くようになり、場所や時間を問わずに、自分が一番能力が発揮できるように仕事ができる、というコンセプトに出会うと、かつて大学で学んだ「いかに生きるべきか」というテーマとちょっとずつ接点が生まれてきます。時間と場所を自由に仕事ができるようになるとしたら、フリーランスの自分はそれがもっとはじめにできる立場にあるはずだと思い始め、だったらやってみようという気持ちになっていったのでした。
まだプアだったパソコンと通信回線を使って、ファクスではなく、メールで仕事を進めようと試みたり、あえてノートパソコンを使い、必要もないのに喫茶店で仕事をして、原稿をメールで送ったり。その延長に、田舎に住んでみるというコンセプトが生まれてきました。その中でもうひとつ大きな変化は、僕自身が未来を先取る見本になる、僕を見て憧れて、同じようなことをやりたいと思う人を増やす、という考え方になっていったのです。
哲学を学びながら「人はいかに生きるべきか」を考えようとしていたのですが、結局は、「僕自身が、このように生きればいいという見本を見せることができれば、それが哲学そのものになる」と言うところに行き着いたのです。とても図々しい考え方ではあるのですが、それが僕にとってもっともリアリティがある「哲学」だった。
こういった考え方を、哲学では「知行合一」と言います。知(理想)と行動を一致させるというもので、ラディカリズム、合理的だけれど、過激な生き方です。ちなみに、幕末の志士の先駆である吉田松陰は、自ら禁を犯して黒船に乗って米国の文明を見ようとして、つかまり、獄死しました。知行合一は、けっこうアブナイ思想なのです。
というわけで、環境問題もライフデザインも、高校生ぐらいの興味が根っこにあり、いったんは離れたものの、のちにじょじょにルーツに戻ってくると言うブーメラン現象を起こして、「僕自身のwhat?」になりました。
あなたのwhat?も、たぶん、あなたの子ども時代や思春期、20代の関心の中にあるのだと思います。ただ、今は、それを忘れていたり、若気の至りだと思って捨ててしまっているかもしれない。趣味は本業にしない方がいいと思っていたり、それでは生活できないし、と思っている人もいるでしょう。でも、たぶん、そういう古くさい実家の天袋のようなところに、自分のwhat?のタネがまだ残っているのです。それを掘り出し、今の芽で見つめ直したときに、what?が形になってくるのだと思います。
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