(by paco)自分の人生や仕事を通じて、何を実現するか、そのwhat?もつべきだ、という話を前回しました。
ではwhat?はどうやってみつけたらいいのでしょうか。宮本亜門の話で言えば、「演出家」というのは手段で、かえが演劇を通じて表現したいもの、伝えたいものがwhat?ということになります。あなたがもし、建築家になりたいとか、国際的なビジネスに関わりたいとか、そういう目標を持っているとしたら、それはやはり手段で、建築をつくって何を社会に提供するのか、どんな建築をつくるのかがwhat?です。
日本人は、小さなことから「大人になったら何になるの?」と聞かれて育ち、「電車の運転手」「お花屋さん」とか、答えますが、これでは不十分ということですね。子どもに聞くときはこれでいいのでしょうが、大人になったら、これ以上の答えがちゃんとできないといけない、と。
そうはいっても、自分が何をしたいのか、明確に持っている人は、特に日本ではかなり少数派だと思います。まあ、イギリスでも、what?について聞かれるのは、一定の評価を得られるような仕事をした人だけなのかもしれません。ですから、あなたがwhat?もっていなくても、あるいはこれからももたないで過ごしても、それはそれでよかったりするのだと思います。でも、本当にいい仕事をしたいなら、そして動かしているお金やパワーにふさわしい仕事を自信をもってしたいなら、やはり自分にとってのwhat?をもっていた方がいい。でも、現状もっていないなら、what?をみつけるために、考えたり、行動したりする必要があるでしょう。
what?をみつける方法として僕が話しているのは、漠然と時間を過ごすのではなく、世界を見るための基軸をつかみ、そこから世界を見ていきましょう、ということです。その軸として代表的なのが、世界の軸(横軸)と、時間軸(縦軸)です。僕の著書「先見力強化ノート」を読んでくれた方は、「あ?あれね」と思い出してくれるかもしれません。
まず、横軸の話からしましょう。グロービスの受講生など、意欲的なビジネスパースンの中には、世界を舞台に仕事をしたいと思っている人、実際にやっている人は多いのですが、ではその場合の「世界」とは、どんな世界をイメージしているでしょうか。日本で国際的なビジネスというキーワードをビジュアル化すると、まず登場するのがニューヨークの摩天楼で、それ以外には、LAやシカゴあたりの風景が登場することもまれにあるでしょうか。最近では上海やシンガポールあたりがイメージされることもあるかもしれませんが、いずれにせよ、それは大きな企業が集まる大都市です。
ビジネスの舞台は、確かにこういった大都市なのですが、しかし「世界」はそれだけではありません。たとえばバンコックやムンバイ(インド)は、ここ10年ほどの間に急速に発展して、都市内にいる限り、東京や香港とあまり変わりがないように感じるかもしれません。インドからITエンジニアとして日本にやってくる人も多くなり、同じ職場にインドや中国のエンジニアがいるという人も多いのではないでしょうか。
では、バンコクやムンバイの都心から少し離れて、30分ほど郊外に出たらどうなるでしょうか。あるいは、今東京で机を並べているインド出身のシステムエンジニアの出身地は、どんなところでしょうか。
インドがIT大国になった背景には3つの要因があります。ひとつは言葉。インドはもともと数千とも言われるたくさんの言語が使われていたのですが、近世のイギリス支配の結果、英語が共通の公用語になりました。英語で行うプログラミングにはとても有利だし、システム開発の受注や打ち合わせで英語が使えるということは、米国からの発注に有利で、言葉の壁がないことが発展の大きな理由でした。ふたつ目がインド人のもともとの特性で、「ゼロの発見」がインド人によるという歴史的事実から考えてもわかるとおり、インド人は数学や論理に伝統的に強い面がありました。古代に、無限大の大きな数字について単位をもっていたのもインド人で、「10の数1000乗」というようなとんでもない数字の単位をつくり、使いこなすことができました。3つめが、貧困層の若者を積極的に技術者として育成したことで、これが今のIT産業勃興の最大の理由になっています。
インドは激しい格差社会で、しかもカースト制という古代からの身分制度が細かく張り巡らされ、下層民は下層民のまま、はい上がれない社会でした。インド政府はカースト廃止を国是にしているものの、社会の実態はなかなか変わらなかったのです。ちなみに、インドは世界最大の民主国家で、10億人近い国民が選挙に参加し、国会議員と首相が選ばれます。民主主義を機能させるためにも、カーストのような古い制度の廃止は悲願ですが、実態はなかなか変わりませんでした。そこで、インド政府がとった政策のひとつが、デリー大学など国立一流大学の入学者枠を、下層カースト出身者に大幅に有利になるように設定し、義務化したのです。その結果、下層カーストの若者は努力すれば学費の安い国立大学でITを学べることになり、この枠をめざして必死の勉強の動きが起こったのです。
下層カーストですから、ほとんどが貧しい農民の子弟で、1日1ドル以下の収入生活し、働いても働いても豊かになれないしくみの中で生活しています。貧しさの理由はいろいろあります。自分の土地がなく、小作料をたくさん払わなければならないため、たくさん収穫を上げてもほとんど地主にとられてしまう一方、凶作になれば借金してまで時代を払わなければならず、翌年、方策になっても借金を返せるほどの収入にはならないために、借金がたまる一方、ということもあります。作物としては、たとえば綿花を栽培するのですが、綿花栽培には大量の農薬や化学肥料が必要です。これらを欧米や日本の化学メーカーから買って、栽培するので、わずかな現金収入も支払いに消えてしまいます。モンサント社がやってきて、「遺伝子組み換え綿花」なら収穫は3割増!と高いGMO綿花を売りつけていくのですが、GMO綿花専用の農薬や化学肥料を高額で売りつけられ、さらに予定通り3割増の収穫にはならない、といったこともあって、結局以前の借金だけが残るということもあります。さらに、農薬を大量に使うために中毒を起こし、一家の主が失明したり、手が震えて仕事ができなくなって、農薬を飲んで自殺という自体も珍しくありません。
こういった苦しい立場の農民に与えられた小さな希望が、理工系大学の優先入学枠でした。デリー大学に入学できれば、奨学金制度もあって努力すればIT技術を確実に身につけることができます。卒業後は、ムンバイなどのIT集積都市のIT企業の就職できるのですが、ここでは日本や欧米からのシステム開発の受注で活況を呈しているので、先進国と同じとはいかなくても、先進国並みの報酬を得ることができるのです。1日1ドル以下で暮らしている実家の生活に対して、卒業後の収入は数1000倍以上にもなるので、その差は圧倒的です。そこで、貧しい農民たちも、勉強のできそうな子どもがいると、必死に働き、借金をしても勉強させて、大学に入れようと考えるのです。
とはいえ貧しい農村部では学校も不十分だし、まして大学入試に備える勉強は不可能です。そこで、今インドの農村部にはIT系学部をめざす予備校が多数できて、そこに近くの農村の若者が集まってきて、必死に勉強しているのです。予備校といっても、丸太の柱の上にビニールシートやプラスチック波板の屋根だけ、壁はなし、というような教室に、200?300人の学生がぎっしり並び、講師の授業を必死に受けているというような感じです。遠くの家から来る学生に対して寮もあるのですが、6畳ほどの部屋に学生3人、ベッドがやっと3つはいるだけ、照明も電灯1つ、というような環境です。それでも学生たちは「ここは天国」と口をそろえるのです。「1日中勉強だけしていればいいから。家にいたら、農家の仕事をずっとやったあとに、夜疲れた体で眠気に堪えながら勉強するしかない」というわけです。
こういった過酷な予備校生活を経ても、もちろん合格できるのはほんの一握り。それでも合格できれば圧倒的にすばらしい未来が待っているのですから、みな必死なのです。
もしあなたの近くに途上国から日本に来て、一緒に仕事をしている人がいたら、故郷がどんなところか、聞いてみてください。僕は以前、仕事先で中国出身者がいたので、「どこから来たの?」と聞いたら、「ウィグル自治区のウルムチ」と話していました。両親は街の人だということですが、祖父母は遊牧民だったようです。その彼が北京や上海を通り越して、日本に自分の可能性を求めてやってくる時代です。
中国といえば、上海に代表される沿岸地域の発展は著しく、日本にいるのと変わらない、ある部分日本以上に近未来的な生活をしているように見えると思います。でも、中国は共産主義国。日本とはいろいろ違います。共産主義ですから、貧しい労働者が革命を起こして、資本家を追い出してつくったという歴史があります。資本主義では資本家が一方的にもうけをとるために、労働者は虐げられる。それに対して、共産主義ではみなに等しく仕事が与えられ、失業や貧困はない、と説明されます。しかし今中国では、大都市周辺にスラムが広がっています。えっ?共産主義国にスラム??
なぜ共産主義国でスラムができるのでしょうか? たとえば、こんなストーリーがあります。今中国では歴史的な国家プロジェクト、三峡ダムが完成し、上流数百キロにわたって、河岸の村が湖に沈みます。沈む村の人々は、政府の指示に従って、移住することになる。高台に代替地が与えられることもあれば、下流の上海に家を与えられ、工場労働者の仕事をするように命じられることもあります。上海に移住し、新生活を始めるものの、田舎で貧しい農家だった人が、旧に都市の工場労働になじめないことも多く、仕事がうまくできないと、工場主は労働者をクビにしてしまうのです。都市部を中心に、市場経済が行き渡っているので、労働者の解雇は普通なのです。こうして仕事を失った人たちは、政府にあてがわれた家の家賃が払えなくなり、追い出されて、郊外にバラックを建てることもあれば、家はあっても最低限の生活さえできずに困窮の極みに陥ることもあります。これが発展する中国の、大都市近郊でおきている現実です。
タイの話もしましょう。タイでは臓器売買と人身売買が大きな問題になっています。売られるのはたとえば腎臓です。腎臓はふたつあるので、ひとつを売ってもなんとかなると考え、売ってしまう人が多いのです。買うのは、日本人を含む先進国の病人です。バンコクなどの主要都市には、先進国と同等以上の設備をもった大病院があり、そこには欧米で学び、経験を積んだ外科医が帰国して患者を待っています。日本や欧米では、臓器移植は死亡した善意のドナーから摘出されたものを使うため、順番がなかなか回ってきません。病状の思い人が優先されるために、比較的病状は軽いものの、移植しか治癒の見込みがない患者の場合、後回しにされて、重篤になるまで移植の機会が来ないことが多いのです。重篤になると体力が落ちてしまうために、移植してもそれに堪えられずに死亡してしまうこともあり、どういう人に優先的に移植用臓器を回すかが課題のひとつになっている状況です。これに対して、バンコクにいけば、低コストで移植ができるということで、タイに移植を受けに行く欧米人や日本人もいるのです。
タイでも臓器移植にはきちんと法律があり、善意のドナーからの提供が建前になっていますが、実態は管理が行き届かず、売買された臓器が使われることも珍しくありません。形式的にはドナーからの臓器ということになっているので、移植を受けた人は善意を受け取ったという意識しかないし、実際、ドナーが誰なのか、知らせる必要もないので、あえて言わない、あえてきかないで、移植の現場はすんでしまいます。
しかし移植用臓器を求める人が多く、多額のお金を払っても移植するといえば、そのお金の一部を受け取って臓器を売る人も出てきてしまう。
売るのは、北部などの貧しい農村部の農民が多く、一家の主が借金の返済に困って腎臓を売る例が後を絶ちません。借金は、インドと同じく、干ばつによって凶作になり、農薬などのお金が払えなくなったりというのが大きな理由です。腎臓ひとつを売ると、10?15万円程度のお金になるようですが、そのお金は彼らにとって多額です。しかし借金も多額なので、返済して少し残ったとしても、もともと余裕がない生活なので、たちまちなくなってしまうのです。腎臓はふたつあるといっても、両方で機能しているので、ひとつを失えば疲れやすくなり、病気がちになって、以前のように働けなくなって、帰って借金が増えてしまう例もあります。「ひとつとってもだいじょうぶ」と言われて売ったものの、後悔している人も多いのです。先進国との激しい収入格差が、(悪気なく)買える経済力の人と、(わずかな)借金のために臓器を売る人を生み出しています。そしてその中間には、臓器売買を仲裁する業者がいて、臓器の額より多い多額の手数料を取っている。
腎臓一つ売る、というのはまだましなほうです。子どもの人身売買も多くなっています。貧しい農村にいって、親に「子どもを都会の工場で働かせないか?」と持ちかけます。親は子どもを育てるのもままならない貧しさですから、この話に乗ってしまう。人身売買業者は、親にとってはまとまった額の、でもわずかな金をおき、子どもを連れて行きます。そしてチェンマイなどの地方都市で売春させる。子どもは、親に渡した金がおまえの借金だと話し、売春の仕事をしないと親を殺しにいくと脅して、売春宿に縛り付けるのです。女の子だけではありません、男の子も性の対象になります。小さな子では6歳、8歳という例もあるようです。こうした児童を買いに行く買春は、日本人が多く、ドイツ人と続くのですから、情けない。売春ならまだいい方で、性病などになって売春ができなくなると、治療するといって病院に連れて行き、麻酔を打ってから臓器を取り出し、使えるものだけは取り出したあげく、死体はゴミに混ぜて処分、という最悪の事態も。これが世界の現実です(すべて取材に基づく実話を見たり読んだりしたものです)。
バンコクや上海で先端ビジネスで活躍したい日本人もいれば、その郊外で悲劇的な環境にある子どもや農民を救うべく、活動を続けるNGOの日本人もいる。
僕は、だから、国際ビジネスなどやってないで、最底辺の人を救うべく立ち上がれ、というつもりはありません。僕もそんなことはできないし、結局のところ、見て見ぬふりをしているのと同じかもしれない。でも、こういう現実を知っているのといないのとでは、自分がやろうとしていることの意味が少し違うはずです。知っていれば、少なくとも、自分はこういう悲劇を起こす側に人にはならないようにしよう、荷担しないようにしようという意識は働くでしょう。知らなければ、身近なところで間接的に荷担してしまっているかもしれません。
今、自分が生きているところの横で何がおきているのかを知ることは、自分が何をやり、何をやるべきではないのかを考える、大きな軸になります。もしあなたが世界と関わる仕事をしたいなら、世界とはどこからどこまでなのか、自分が知らない世界のことにも、少しだけ関心を持ってください。何もできないかもしれないけれど、関心を持つことから、自分のwhat?をみつける軸が見つかります。
はじめまして。突然のコメント。失礼しました。