(by paco)321人生のwhat?を見つける(1)

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(by paco)今週は、「ちゃんとした」ライフデザインの話をします。たぶん、何回か連続になると思います。

ご存知の通り、グロービスマネジメントスクールでクリシンのクラスをもって長いのですが、クラスの時に、「人生のwhat?を見つける」という特別講義を初めて、1年ぐらいになります。最初は、クラス開始前15分間を使っていたのですが、事務局の方から、どうせならクラス中に、授業の一部としてやってほしいという話をもらって、今はカリキュラムをギリギリ短縮して、クラス中にやっています。

15分×6回で90分ぐらいなのですが、今回は、その話をまとめたいと思います。話して15分と、コミトン量は違うので、どのぐらいになるかわかりませんが、たぶん、15分hanaしている分だけだとすぐ終わってしまうので、いろいろ追加情報をつけつつ、書いていきます。

■what? is what?

演出家の宮本亜門の話は以前も書いたのですが、彼がインタビューの中でこんな話をしています(大意なので、彼の発言そのものではありません)。

●舞台演出家として初めてのロンドン公演を成功させて、パーティに呼ばれました。イギリスは階級社会で、今でも王室関係者や伯爵、侯爵などから構成される上流階級があります。優れた舞台の作り手は、上流階級のパーティの呼ばれる栄誉に預かれるのですが、僕は初めて舞台演劇の本場、ロンドンで受け入れられたことに有頂天になってこのパーティに行きました。すごく歓迎されたのですが、パーティのさなか、品のよいマダムが僕のところにやってきてこう尋ねました。「それで、あなたは何をやりたいのかしら?」僕はずっと「演出家」になりたい、というそれだけしか考えずにやってきて、ようやくロンドンで成功して、目的を達したと思っていたところだったので、この質問は意表をつくものでした。何を答えたか忘れてしまいましたが、しどろもどろだったと思います。そのマダムが言いたいことは、こういうことだったんだと思います。演劇は目的じゃない、演劇は、演出家が伝えたい「何か」を伝えるための手段だ、と。

さすがに英国の上流階級に属する人はすごいことを言うなあと思いますが、今度はソニーの話。これも人づてに聞いた話なので、あくまで大意ということで。

●ソニーで人材開発を担当するマネジャーAさんが嘆いていました。Aさんは、ソニーの次世代を預けられる優秀なリーダーたちのレベルアップを図るべく、さまざまな研修や講演会を行っているのですが、その一環で、作家の塩野七生(しおのななみ)さんをまねいて講演をやってもらいました。塩野さんは、知っての通り、ローマ帝国の興亡などの歴史大河小説・エッセイを多数執筆し、歴史を通じて人間の生き様や社会の隆盛について鋭い視点で描ける、貴重な人です。その塩野さんの公園を、ソニーの次世代を担うマネジャーに聞かせたところ、「おもしろくなかった、仕事に役立たなかった」というような意見が多数出てきて、Aさんはすごくショックを受けた、というのです。ソニーを任せられる人材は、そんな視野が狭い人物では困る、100年、200年先も見通して、なにをすべきか意思決定できる人材が必要だ、というのです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A1%A9%E9%87%8E%E4%B8%83%E7%94%9F
ちなみに塩野七生(しおのななみ)さんは学習院大学哲学科の出身で僕の大先輩に当たります。

さて、このAさんの話を受けて、僕が少し解説してみます。

ソニーは、森田昭夫と井深大(いぶかまさる)という2人の創業者が基礎を作った会社で、ふたりとも人間的にも非常に深いものがあったのですが、一例としてウィキペディアから、ちょっと長いのですが、引用してみます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%95%E6%B7%B1%E5%A4%A7

●井深氏の葬儀の際、江崎玲於奈氏は弔辞で以下内容を述べた。「温故知新、という言葉があるが、井深さんは違った。未来を考え、見ることで、現在を、明日を知るひとだった」。これは、井深氏をにまつわる逸話にも多くある内容。一例として、1980年代前半ごろのエピソードがある。井深氏が当時の新素材についてソニー社内の担当責任者にその可能性について意見を聞いた際、その返答は氏にとって満足のゆくものではなかった。担当者は、現在出来ること、近く出来ることと可能性を話したが、井深氏は以下の内容を言ったという。「なぜ、そういう考え方をするのか。そんな数年後ではない。1990年や、2000年でもなく、2010年、2020年にはどうなっているしどうなるべきだから、という考えかたをしないといけない」。

こういう創業者をもったソニー、そしてその二人の創業者の志の高さを直接知る数少なくなってきた人物であるAさんの嘆きが少しわかるでしょうか。ちなみに、森田昭夫は、のちにソニーの経営者になる大賀典雄をスカウトした人手もあります。大賀典雄はもともとは東京芸大での声楽家で、ソニーのテープレコーダーにクレームをつけたことから森田と出会い、結局森田は大賀を口説き落としてソニーに入社させてしまいます。大賀はオーディオ機器の開発のリーダーシップを握り、ソニーがプロ用機器の世界的リーダーになるのに貢献しました。その後、大賀はソニーの社長にまでなり、今は経営は引退して音楽活動を精力的に行っています。軽井沢の大賀ホールは、彼の退職金全額が軽井沢町に寄付されたことでできたのは有名。

もし大賀がソニーに入らなければ、ソニーはプロ用機器、高音質機器の分野でリーダーシップはとれず、安物メーカーに甘んじていたかもしれません。声楽家という、つまりは芸術家であっても、自社に必要だと思えば口説き落としてまで入社させ、厚遇する。この森田の姿勢は、自分たちがつくろうとしているオーディオ機器とはなんなのかの本質を考える力があったからこそです。

当時のソニーは、アメリカからトランジスタの特許を買い、それを必死に量産化して、安くて小さくて軽いトランジスタラジオを量産して成長していました。その後、テープレコーダーの開発に成功して、売り出そうとしていたわけですが、これらオーディオ機器を使って聞くものの中で、もっともグレードが高い音源は、クラシック音楽でしょう。低音から高音まで、響きまで含めて記録し、再生する性能がなければ、音楽の頂点に立つクラシックの演奏家はソニー製品に見向きもしない。もちろん、そういう耳の肥えたユーザーがどこにどのぐらいいるかはわからないけれど、頂点はそこにある、と見据えたからこそ、大賀が必要だと森田は判断したのだと思います。

その後、大賀はCD、MDの開発とマーケティングにかかわり、CDがここまで普及した背景には、大賀の働きが大きかったのです。

上記の井深のエピソードと合わせて考えると、ソニーが、文化として、長い未来を見据えて経営をするということを大切にしていることがよくわかります。そしてそういう長期の視点がないと、時代を先取りし、想像するソニーのアイデンティティは保てない。そしてそのためには、芸術や歴史や人間についての深い理解と洞察が不可欠だというのが、創業からのソニーの考え方なのでしょう。

こう考えてみると、Aさんの嘆きの本質が見えてきます。塩野七生はローマ帝国という、現在に至るまで、世界で最初で世界でもっとも洗練された帝国の、成り立ちとメカニズム、崩壊について深く知る人です。つまり世界で人間の本質をもっともよく知る人物のひとり、ということができます。

ちなみに、ローマ帝国は、世界市場、もっとも最初の世界帝国で、最も優れた帝国で、未だにこれを超える国は生まれていないと考える歴史家、哲学者は多いのです。だからこそ、ヨーロッパではローマ帝国崩壊後も、フランク王国の西ローマ帝国戴冠、神聖ローマ帝国、
そして現在ではEUを粘り強く作り上げようとしているのも、ローマ帝国が以下に人々の心にあこがれとして息づいているかの証明です。

今回の話は、人生のwhat?でした。自分の人生の目的、人生で何を実現したいのか。それがwhat?です。

では、そもそもwhat?と言うものは、人生に必要なものなのでしょうか。これには賛否両方あると思います。なくても、別にかまわないという人がいたとしても、僕はその人を非難するつもりはありません。ただ、もし目的がないというなら、慎ましく生きてほしい、とはお願いしたい。

僕たち日本人は、世界の全人類の中で、上位数%に属する超豊かな上澄みです。多くの富をかき集める力があり、富はパワーを生みます。僕らはちょっとした会社で仕事をしていれば、個人でも1案件の規模が数千万、億という単位のお金をかんたんに動かします。もちろん、その金は自分のカネではないのですが、自分の働きかけや動き方でお金の流れを変えている。その、百万、千万というお金は、日本では日常的なお金ですが、途上国の、貧困地域に持っていったらどうなるか。100万円であっても、学校がいくつか建ったり、死にそうなこともたちを何千人も救えるお金です。僕たちが日常的に動かしているお金は、僕たちが上澄みの社会に生まれ育ったというだけで、世界的に見れば大きな影響力を持つパワーなのです。

もちろん、だからといって、ビジネスをやめて、あるいは買い物をやめて、寄付しなさいと言うつもりはまったくありません。ただ、僕たちは生きているだけでこれだけのパワーを持ってしまっていると言うことには自覚的になり、動かした結果の重さを少しでも理解し、どうせ動かすなら、よいこと、とまでは言えなくても、自分で納得できるもののために動かすようにしたい、と思うのです。

そして、その、自分がよいと思うこと、自分が納得できることのために、というのが、人生の目的と直結しているのです。逆に、もし、人生の目的なしに大きなお金を漫然と動かせば、僕たちが持つ影響力を望まない方向、よくない方向に動かしても、無自覚で気づかない。そういう無作為を、僕はいいことだとは思わない。

そういうわけで、グロービスに来るような、あるいは大きな仕事をしたいと思うような人は、その仕事の能力を「何に」向けて使いたいかについて、よく考えてほしいと話しています。

別の言い方をしてみます。柔道や剣道の達人は、最上位、免許皆伝になるためには、腕だけではダメで、上位に行くほど、人格が求められます。それ故に、日本の武道はみな、技術以上に精神性を重視するようになったわけですが、これは何を意味しているかというと、武力が強い人ほど、その腕前を使う目的が「正しく」あらねばならないということを意味しています。利口力や説得力も同じで、クリシンができる人ほど、思考の力を正しく使うことを考えなければならない。言葉は、時に剣より深く、人を刺すことさえあるのです。

そんなわけで、自分の能力をどこに向けて活かすのか、というwhat?を少しでも明確にもつということは、とても重要なことなのです。今は、ビジネスでは短期の利益が求められ、大学では教養課程がないがしろにされていますが、でも、こういう傾向は、決してよい結果を招かない。こういう時代だからこそ、what?に目を向けてほしいと思っています。

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