(by paco)恋愛と結婚は、別のもなんでしょうか、それとも、本質的に同じことの、初期段階と中期以降なんでしょうか? 20代後半の青年Aさんから、結婚したいけれど相手が見つからないと相談され、一方で同世代の夫婦Bさんから離婚したいと聞かされたりして、「恋愛と結婚」という、なんだか青臭いテーマを考えています。
僕の気持ちから言えば、恋愛と結婚は別物です。ベツモノなんですが、一般的に「恋愛と結婚はベツモノ」という時のニュアンスから考えると、それもまた意味が違うような気がします。
よく言われる「恋愛と結婚はベツモノ」とは、「恋愛の相手と、結婚の相手は分けて考えるべきで、恋愛で燃える相手だからと言って、結婚を考えてもしあわせになれるとは限らない」とか「結婚を前提に付き合うなら、恋愛の相手のように燃え上がるような状況を相手に求めない方がいい」というような意味で語られることが多いと思います。僕は純愛で恋愛して、恋愛期間8年、結婚して17年になるので、ここで言うような意味で、恋愛と結婚とは分けられません。でも、ベツモノだと思えます。
う?ん、よくわからないことになってきました。
まあ定義はあとにして、中身を考えてみましょう。20代の男性、Aさんはかなり真剣に相手を探していて、会う人ごとに、誰か女性を紹介してといっていました。ということは女性と付き合ったことがなくて、そろそろ真剣に相手の候補ぐらい見つけないと思っているのかな。しかしよく話してみると、彼には半年前まで付き合った女性がいました。しかも、3年付き合って、相手の両親にも会っているというのです。つまり結婚を前提に付き合ってきて、いいところまで来て、自分からその関係を壊してしまったのです。確かに、Aさんはすらっと背も高く、優しそうな顔つきですから、女性の相手にそれほどこまるタイプではありません。彼の悩みは、どんな女性なら自分が真剣に結婚を考えられるのかが、わからなくなっていることのようでした。
Aさんの話にちょっと耳を傾けてみましょう。
「結婚もほぼ決まりかけていたんですが、なんか、この人でいいのかなと思っちゃったんです。付き合いだしてはじめのころは、彼女が最優先じゃないですか。でも3年も立つと、ゴルフとか、自分がやりたいことがあったら、彼女よりゴルフを優先したくなっちゃう自分がいるんですよ。それってなんか違うような気がして」
「でも、彼女がすごくイヤになったとかじゃないんです。だから、今<別の人を探そう>と思って、いろんな人と会っても、なんか、彼女と比較してしまうんです。彼女の方がよかったんじゃないかって」
「自分にはどんな人が会うのか、よくわからなくなっちゃってるんですよね」
飲み会の席で聞いていた話なので、言葉の細部まで覚えていないし、そもそも彼は酔っていたので、どこまで本心が入っているのかよくわからないのですが、ニュアンス的にはこんな感じのことを話していました。まあ、考えようによっては(よらなくても)バカヤロウですよね。女の敵です。どんな状況だったのかはもっと詳しく聞いてみないとわからないけれど、結婚直前までいって、こんなよくわからない理由で別れを持ち出されたとしたら、女性の方はたまったものではありません。でも、あるいは彼女の方が彼との結婚に強い不安を感じていて、「私よりゴルフを優先したくなるような人と結婚できない」というメッセージを発信していたのかもしれません。彼のこれだけの話で、状況を十分に理解することはできません。
で、彼の話を聞いて、僕が彼に話したことは、こんなことでした。
「なぜその彼女と別れることにしたのか、その理由をきちんと、Aさんなりに納得できていないんじゃないのかな。前の彼女との関係で、何が問題で結婚できなかったのか、それをきちんと自覚しておかないと、次の女性に何を求めるのかも見えないよね。だから、出会った女性を、前の彼女と比較してしまうんじゃないの?」
「前の彼女とのことをきちんと決着をつけておけば、<どっちがよかったかな>という比較は出てこないと思うよ。今度こそ、こういう女性と出会って、きちんと結婚したいと考えるはずだから」
これに対して、
「確かに自分でもなんで別れたのか、よくわからないんです。やっぱりそれを考えないとダメですよね。でも、うまく考えられなくて」
そして僕。
「本当はそれって、分かれる前にきちんと考えておくべきことだよね。こういうわけで、やっぱり分かれたいって。それを言えずに分かれたのは、相手に対して失礼だし、でもそれはもう済んだことだから、次の彼女のために、今考えないと」
こんなAさんの話を読んで、「何となくわかるなあ?」という人もいれば、「最近の若いやつは情けない」と感じる人もいるだろうけれど、僕は彼のような態度は、20代のAさんだけでなく、30?40代の人も含めて、決して珍しいものではないと思えます。ひとことでいえば、コミュニケーションを避けているというか、逃げているというか。
彼の場合、一見自分の内面との対話ができていないように見えますが、もちろんそれはあるにしても、実は、元の彼女とのコミュニケーションがとれていない、逃げているのだと思います。それは、彼が逃げているだけでなく、彼女の方もまた、きちんと向き合っていないのだと思うのだけれど。
では、男女間のコミュニケーションとはなんなのでしょうか。
彼女とのデートより、自分のゴルフを優先することをAさんは一例としてあげていましたが、ゴルフかデートかという選択肢自体にこだわってもあまり意味はありません。男女がどのような接点で関係を維持していくかは、本当に多様で、すごく密度が高いカップルもいれば、ほとんど接点がなくても長く付き合っていけるカップルもいます。しかし、カップルが維持されるために、共通して重要なことは、どのような接点をもつかについて、徹底的に合意することなのです。
デートよりゴルフを優先することについて、まったく気にしない女性もいるし、許せないと思う女性もいます。ゴルフどころか、男が合コンに行くことを気にしない女性もいれば、風俗店で性欲を満たすことさえ認める女性もいます。何を認めるかは、「聞いてみないとわからない」し、一般的に許可を取るようなことではないもの、たとえば、会社に行くとか、自分の親に会いに行くとか、そういうことにも緩衝して、私は許してない、という女性もいます。もちろん逆もあって、男が女性の行動を認めるか、認めないかという判断もまた、個人差がとても激しいのです。つまり、お互いのあらゆる行動は、お互いに許可が必要である可能性があるのが、男女の関係です。まず、この前提に立つべきでしょう。
そのうえで、いま自分がしたい行動が、相手が認めていることかどうかを、「許可も不許可もあり得る」という前提で臨む必要があるのが、男女の関係です。これが原則論。
しかし実際には、たとえば会社にいくことにいちいち許可を求める人もいないし、自分の親に会いに行くことも、まあそうでしょう。でも、「それはオレのかってでしょ、自分で決めることでしょ」と一方が思っていることに、女の方が「それは私は認めない」と思ったとしても、「そんなことまで男を縛る女にはなりたくない」という別の常識が働いて、あえていわないという態度をとることがあります。男の方は当然言っていいものだと思い、女の方は、いってほしくないけれど、物わかりの悪い女と思われたくないので、そうはいわない。ここで、女はすでに、自分にウソをついているわけです。意図的な場合と、無自覚の場合があります。同じことは、男女立場が逆転しても起こります。
このような場合、女は自ら男の行動になにもいわなかったにもかかわらず、「この人は無神経だ、私に聞かずに勝手にゴルフに行った」と考えがちです。ニコニコして送り出したくせに、心の中ではもやもやがあります。それに気がつかないことも多いのです。そのようにして1日もやもや過ごしたあとに、彼が戻ってきて、ゴルフの楽しかった話をするとどうなるか。もやもや、イヤな気持ちで過ごした女にとっては、かえってきた男に、その気持ちを解消してくれるようないっそうの優しい言葉掛けを求めますが、男は「ゴルフに行って当然」と思っているので、「普通に」接すれば十分と思って、今日あったゴルフのことを話し始めるわけです。優しい言葉、自分のもやもやした気持ちを晴らしてくれる言葉をかけてくれないことに女はいらだちはじめ、不機嫌になり、ついには「あなたは無神経だ」とか「ゴルフと私とどっちが大事なのか」と、男を非難しはじめます。男にとってはまさに青天の霹靂です。わけのわからない地雷を踏んでしまったとびびって……。
Aさんはもしかしたら、優しい男性で、そういう彼女も気持ちを事前に察して、ゴルフをやめなかったことについて自分を責めたかもしれません。でも同時に、自分はそれほど悪くないと思っているので、彼女のためにゴルフをやめなかったのは、自分に彼女の対する愛情が足りなかっただけだ、と思って納得しようとする。そして、彼女の思いを満たしてあげられないのは、自分が彼女を深く愛せない、相性の問題だと納得しようとするのです。相性がよくないのだから、長く結婚は続けられない。だから今のうちに分かれよう……。
Aさんと彼女は、実はこんな理由で分かれる必要などないのです。このような行き違いは、どんなに仲が良さそうに見える男女にも、必ずあります。実際のところ、僕と妻などは、もう20年以上、こういうやりとりばかりしてきました。
長く続く男女と、早く別れてしまう男女との違いはどこにあるのでしょうか。
<不満を持っている方(この場合、女)が、不満に気づいてくれない相手(男)に、どれだけコミュニケーションを求めるか、という点にかかっている。>
僕が何組ものカップルの話を聞いてきて思うのは、そういうことです。
自分が彼がいない、もやもやした1日を過ごしてしまったことを、女が自分で認めることは、けっこう苦しいことです。自分が「男を縛らない女=物わかりのいい女」を演じようと思った結果、それを演じきれなかったことを自覚し、相手にコクハクしなければならないからです。しかし、強い女は、そんなことは自分のミスだったとは考えません。
「女の気持ちはコロコロ変わるものなのよ、あなたがゴルフに行く前は、いってもいいと思ったし、物わかりのいい女でいられると思ったけれど、やっぱりダメだった。しょうがないじゃない。ダメだったんだから。そもそも、ゴルフに行くことについて、女の私に許可を求めず、自分で決めたあなたが悪い、私は悪くない」
そのぐらい、めちゃくちゃなことが言えるのは、女という性のよさです。そして男という性は、こういう女のめちゃくちゃさを受け入れることができる程度のキャパを、もっているようです。もちろん、素地として、ということで、実際にできるかどうかは、個人差とシチュエーションと、女の態度によるでしょうが、こういう女の、ロジックの通らない、女なりのロジックを理解する力は、男には備わっているのです、でなければ、人類はたがいに愛し合うことなどできずに、とうの昔に絶滅していただろうし、フランス映画が扱うテーマの80%はこういう男女のアムールの不条理です。
ここからが男女の本当のコミュニケーションが始まります。まず、男は、ゴルフであろうと、親にあいにくことであろうと、会社に行くことでさえ、それはデフォルトで許可されていることではなく、一つ一つ女の許可が必要なことであるという前提を確認させられます。実は、同時に、逆に女の行動も男の許可がいることを確認していることになるのですが、まあ感覚的には、自分の方が縛られている感覚を強く持つと思います。
そして、だからこそ、自分の行動は相手の承認を求めなければならないこと、相手がNOといえば、本当に取りやめる覚悟をもっているかどうかが問われてきます。そしてそこまで女の主張を認めたときに、女は初めて安心し、男を受け入れてくれるのです。
もちろん、ここまでに至るやりとりはかなり激しいものになるでしょう。そして結論も、そこまで女性中心のものにはならないかもしれません。でも、こういう店についてお互いに話をしっかりする必要がある、という事実には何ら代わりがありません。男女に、「デフォルトでこれはやっていいんだよね」はないのです。
結婚する前後、男女は、こういうことをかなり細かく話し合うことを余儀なくされます。お互いの親について、どこに住むかについて、どんな結婚式を挙げるかについて、どんな生活を送るかについて。箸の持ち方から、風呂に入ってからどこで体を拭くかまで、細部にまで話し合うべき項目は潜んでいるのです。そしてどちらかが、これは話し合うに値すると宣言すれば、相手は逃げることは許されません、お互いに。
こういう関係を認め合っている男女は、長く、楽しそうなカップルを続けられるようです。一方、崩壊してしまうカップルは、そもそも、コミュニケーションをとるべきところなのに、お互いに相手と話し合うことをめんどうだと思ったり、話そうということさえイヤだと思ったりするようになり、相手の行動に納得できない要素ばかりになって、せっかくであった相手の行動のすべてが、自分を傷つけるためにやっているのだと悪にとるようになるのです。こうなると、愛した人を憎悪の対象に変えてしまい、結婚は破綻します。
離婚を考えはじめる男女に共通するのは、コミュニケーションそのものを拒絶し、相手と話してもムダだと考えていることです。逆に、離婚話をきっかけに相手とコミュニケーションを取り始めることで、離婚を回避できる男女もいます。
「この人と結婚しようかという、結婚の決め手ってなんでしょうね」
と別の30代の女性から聞かれました。
「結婚を維持できるかどうかは、コミュニケーションの意思だよね。その人となら、何があってもコミュニケーションをあきらめずに、続けようと思えるなら、結婚できるんじゃないかな」
うまく伝わったようではありませんでしたが、彼女の中で、彼女がもっている結婚というものの像が変わったように感じました。
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