(by paco)六兼屋ができあがったのは、2001年1月。21世紀とともに、僕たち家族のデュアルライフが始まりました。今年は7年目になります。今週は、デュアルライフの7年間の変化について書いてみます。
2001年、僕たち家族は、それぞれ7歳年下でした。それぞれ、この年月の中で変化していて、それがデュアルライフを少しずつ変えています。
いちばん変わったのは、やはり娘でしょう。六兼屋ができたときにウポルは小学校1年生。どうせ山の家を造るなら、子どもが小さなうち、幼児期を山で過ごさせたいと思ったいたのですが、幼稚園の時期は土地探しで終わってしまい、仕上がったのは1年生も終わりの冬でした。それでも1年生の時から自然の中で、体感しながら育てることができたのは、とてもすばらしいことでした。
3年目ぐらいは、やはり親と常に一緒に過ごしてきたので、僕たちが庭にいれば、真冬の寒いときも、真夏の暑いときも、外に出て遊んでました。といっても、僕らがいつも遊んであげていたわけではなく、むしろ親のほうは庭造りに忙しく、娘はほうたらかしだったり、すぐ横で別のことをして遊んでいるという感じのことが普通だったように思います。そもそも、一緒に庭に出ていても、僕と妻も別のことをしていることが多く、声をかければ聞こえるぐらいの距離で、妻は草を抜き、僕は垣根を作り、というような感じで、別々のことをやっているのがスタイルだったので、娘もまた、少し離れた場所で、枯れ枝でカエルの家を造ってあげたりしていました。
それが、成長するにつれて、娘は家の中で何かをやっていることが多くなってきました。5年生ぐらいまでは、ドールハウスにはまって、寝室の部屋いっぱいに家や街をつくって、そこの中で人形たちのお話を延々何日間にもわたって作り上げる遊びを始めました。一人っ子なので、ひとりで延々やり続けていたのですが、その世界に没入する時間がすごく楽しかったようです。人形は手のひらサイズのクマのすーなちゃんと仲間たちを使いつつ、家や調度品はシルバニアファミリーのものや積み木を使い、足りないものはきやボール紙でつくったり、込み入ったものは僕や、僕の親友のatomがバルサなどでつくってあげました。彼女のつくれる能力と、モノづくりに慣れた、特にかなり器用なatomのつくるものとの品質の違いは、彼女にものをつくることの意味を実感させただろうし、僕もatomもどうやってつくるか、どこがうまくつくるポイントかを店ながら教えてきました。ものをつくるには段取り、準備がとても重要なこと、あらかじめ仕上がりのイメージを絵に描くこと、サイズを決め、たとえばテーブルの4本の足は正確にサイズを合わせること。パーツのくみ上げ方をあらかじめ考えておくこと。こういったことをひとつひとつ見せ、それによって仕上がったものを使って遊ぶという体験はひとり遊びの時間を充実させていたのではないかと思います。
実際、atomの傑作のひとつにちょっとレトロなテレビがあるのですが、テレビ画面の中に紙のロールを入れて、それを巻き取ることで、画面を変えられるしくみになっています。画面の絵はウポルが自分で描いて仕上げたのですが、遊びのシーンに合わせて画面の絵を変えるという細かさでした。彼女は自分がつくった街を、正確なタイムスケジュールに合わせて動かし、たとえば、庭に出てきたときに「もう終わったの?」と聞くと、「3時半まですーなちゃんたちはお昼ご飯を食べてるの」といった具合に、ドールワールドの生活シーンを再現することに情熱を燃やすという時間を過ごしたのです。ひとつのストーリーは、長いときは4?5日も続くことがあり、文字通り浸食を惜しんで、食事もそこそこに2階に上がっていってやり続けていました。
6年生ぐらいになると、ドールハウスには納得できたらしく、変わってお菓子作りに没頭し始めました。本やネットでレシピを調べて、クッキーやケーキを焼きはじめたのですが、最初は熱いオーブンの出し入れができない状況から始まって、今では材料の在庫の管理をきっちりやるところまで、すっかり成長しました。シフォンケーキがふくらまないという壁にぶつかってからは、自分で試行錯誤するだけではダメだと言うことに気づき、ネットでノウハウを探したり(ケーキを作っている人のブログは多い)、さらには習いに行くといいだして、妻とふたりでスクールを探して、ABCというスクールのコースに数か月通ったりして腕を上げました。とはいえ、スクールも行くことが目的にはならず、ねらいを定めて初歩を学び、それを持ち帰って、最近では、六兼屋にいるときはほぼ毎日ケーキを作っています。
ダンスの練習も、レッスンの時の撮ってきたビデオを使って、ストップモーションを作り替えして細部までしっかり復習する練習をするには、六兼屋の時間がぴったりと気づき、これもほぼ毎日、夜になると、ガラスを鏡にして練習しています。
ダンスが生活の核になっている娘の生活は、六兼屋の往復のタイミングにも大きく影響していて、発表会があると、その前2か月ぐらいはリハーサルで回数が増えるために、タイムスケジュールがますますシビアになってきました。夏はなるべく六兼屋にいたいという気持ちは3人ともあるものの、リハーサルのレッスンに出たい娘は、この日だけは外せないというので、昨日もほぼレッスンのためだけに東京に日帰りで出かけ、深夜に帰宅しました。ちなみに今日は「ヤマガラの森」の草刈りイベントなのですが、明日も彼女のレッスンに付き合って東京日帰りです。めんどうなので東京に戻ってしまおうかとも思うのですが、やはり山の気持ちよさは、移動のめんどうに勝る、という感じです。
妻のbibiは、7年前にはあまり社交的ではなく、アクティブでもなかったので、六兼屋に来ると家族だけの生活ができて、のんびり安心していたようです。ぬいぐるみ作家として、いろいろなオリジナルのぬ行くぐるみを作り続け、昼間は庭に出て庭の草抜き、庭造りというのんびりした生活だったのですが、ここ2?3年は、別のものを見つけて、忙しくなってきました。以前からやっていたラテンパーカッション(コンガやボンゴ)に加えてドラムを習い始めて(娘と一緒に)、さらにボーカルレッスンも受け始めたために(これも娘と一緒)、レッスンを受けるために東京に行きたがるし、ここ半年ぐらいは歌の練習をふたりでやっているので、六兼屋のPCにダウンロードで買ったカラオケをたくさん入れ、ボーカルマイクを用意して、1日中、交代で歌い続けていることもあります。近所の家にほとんど人がいないので、深夜まで歌い続けても誰にもめいわくにならないのがいいところです。そんなわけでぬいぐるみづくりのほうはかなりペースダウンしていますが、それはそれでやり続けたいみたいですね。今は、秋の発表会で歌うべく、オリジナル曲の作詞作曲、アレンジに必死になっていて、苦手なパソコンもそのために使いこなし、やるわけがないと自ら行っていた「打ち込み」(DTM)もやり始めました。このあたりの、目標を定めて努力する姿は、心を打ちます。これも娘と一緒にやっているからできることなんでしょう。といっても、ウポルとbibiでは音楽の好みも違うので、別の曲を作ってますが。
僕はというと、書く仕事から、講師の仕事に軸足が移りつつあることもあって、講師業を夏場にあまり入れないようにしておくと、六兼屋の時間は僕が一番とりやすいという状況になっています。
bibiがだんだん社交的になってきたので、僕も六兼屋に人を呼びやすくなってきました。「ヤマガラの森」の活動ができるのも、家族がそういう活動で人がたくさん来ることを受け入れて、さらにいろいろ協力してくれるおかげで、特にbibiの協力なしには「ヤマガラの森」は成り立ちません。
以前は広すぎる庭に木を1本ずつ植えて育った、枯れたという観察を続けてきたのですが、その成果をブログ(まるやまうぇぶ)で公開するということを自分に課してきたことが、自分の自然観を養ってくれた側面があります。「ヤマガラの森」というフィールドが広がったために、日々の観察事項やそれを公開するという作業は増える一方ですが、それが僕自身の変化をもたらし、仕事の幅を広げているのを知っているので、六兼屋にいる時間はなるべく自然の中に出て、自然を体感することをに使いたいと思っています。もちろん、学術的な研究をしているわけではないので、庭や山を歩き、写真を撮りながら、変化を見ていくという、のんびりした作業になりますが。鳥のエサを出しておくとどうなるのか、草を抜くとどうなるのか、木を植えるとどうなるのか。自然に影響を与えながら、自然の変化を見ていくことが、楽しいのですね。7年という時間は、季節ごとの変化が積み重なり、記憶に残る時間で、以前では考えられなかったような厚みのある知見が身についたなと実感しています。
ということで、三者三様の変化がある六兼屋のデュアルライフですが、これから、娘は次第に独立に向けて自分の道を進み始めるので、どこまで家族3人で六兼屋の時間が持てるか、難しくなるかもしれません。それもまた、家族の生活のあり方ですから、無理せず、自分たちの生活スタイルの変化をたのしみたいと思います。
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