(by paco)先週、横浜市の環境戦略に関して、新しい動きがあったので、それについて書きます。
これまでのところ、
306【横浜市】緑のリサイクル
308【横浜市】打ち手と結果を考える
310【横浜市】温暖化問題に本気で取り組むには?
というように、隔週で書いてきているので、これらも参考にしてください。
新しい動きというのは、「横浜市環境創造審議会 地球温暖化対策検討部会」という会が正式に動き出し、第1回会合が開かれた、ということです。この部会は、名前を見てもわかるとおり、「横浜市環境創造審議会」という審議会の下部組織として、より具体的な温暖化対策について検討する第三者の会合ということになります。
で、こういうお役所的な会の名前を聞くと、僕も含めて、それって何? 具体的に何かが議論されるような会なの? と不信感をもつのですが、もろもろの経緯はめんどうなので省くとして、この部会は、市の温暖化対策について、具体的なアクションプランを検討する、「社外ブレイン」の討議の場、という位置づけになります。名目は「審議会」ですが、実際は「ミッションクリティカルな討議の場」だという点に特徴がある。
この違いを理解するためには、そもそも「審議会って何?」「審議って何?」ということから理解する必要があります。審議とは、提出された案について、妥当性を討議し、可否を決めることを意味します。ふむふむ、確かに、と思った人は、では審議という会議が、あなたの会社で開かれているかどうかを考えてください。民間企業の、実務の中で「審議」がおこなわれることはあまりないと思いませんか? たとえば、会社で新しいシステムを作るときに、いくつかの外注先の会社から提出されたシステム案を並べて比較し、どれがいいか検討するというような場合は、審議会になるのでしょうが、このような場合も、審議会以前に、どのようなシステムにするか、情報戦略とシステム要件があって初めて、審議の対象になるプランを作ってもらうことができ、そのプランを「審議する」ことができます。ということは、会社の仕事で重要なのは、審議することよりも、今どのようなことが必要で(問題で)、それに対してどのような方針(コンセプト)で臨むのか、そのコンセプトを実現するための要件は何かなどを考える会議が必要です。これを通常は、戦略会議、方針決定会議などと呼び、新年度や期首の前に決めておいて、実際のアクションに映ることになります。
これに対して、役所でいう審議会とはどのような位置づけなのでしょうか。従来であれば、役所のスタッフが、方針(戦略)をアクションプランを立て、その妥当性を審議会に諮るというのが流れになるのですが、こういった審議会を一般的には「お手盛り審議会」「しゃんしゃん審議会」などと呼び、要するに、役所が提出したプランに審議委員が多少のコメントをつけ、そのコメントのうち、本質的変更を伴わないものが採用されて修正され、それを審議会として了承するという流れになるのが普通です。
ここでおこなわれる修正とは、「こういう施策が行われることについて、市民は知らないので、周知徹底してから実施」とか「急激な変化は受け入れられにくいので、実施の年限を1年延ばす」など、せいぜいその程度のものです。審議委員は、行政がやることにOKを出すことを前提に議論するのが普通で、そういう、役所にとって「扱いやすい」メンバーが集められるのが普通でした。要するに「お墨付き」を与える会合です。
こういう審議会の現実に対して、いろいろはところから批判が出てきて、ここ10年ほどで、次第に変ってきました。まず、委員のほうが「お墨付きをつける道具」にされることを拒否するようになり、プランの拒否も含めて、大きな権限がないなら、審議委員を引き受けないという人が出てきました。またいったん引き受けても、議論の流れに納得できないなら、辞任する人も増えています。最近では狂牛病(BSE)を巡って、米国産牛肉の輸入再開を審議する委員の大半が辞任、というような事件もありました。これでは審議会は機能しないし、審議会を思うように使おうとする役所の強引さが、社会全体から批判されるようになると、役所はやりにくくなるので、新しい方法を探らざるを得なくなってきたのです。
一方、役所の側も、仕事の質に変化が起きていました。扱う問題が複雑化して対策案がかんたんにつくれなくなったこと、そして役所が決めて市民に押しつけるというやり方が通用しなくなったことが背景にあります。国も地方自治体も、上からの押しつけの策を作っても機能しないという経験が積み重なるにつれて、市民の立場から「これならやれそうだ」という案を出させ、それに乗っかる方が現実的だと言うことに気がついてきたのです。
また、地方自治体の場合、役割が変ってきたということもあります。小泉政権の三位一体改革によって、自治体への財源と権限の委譲がおこなわれた結果、市役所や役場の職員が政策を決めなければならない場面が増えました。従来は地方の役所の職員は国から降りてくる仕事を忠実・着実に実行する「政策執行」の責任を果たせばよかったのに対して、今は「そもそも何をやるか」という政策立案を担わなければなりません。しかし政策立案の経験に乏しいために、どのようにやればいいかわからないこともあり、そこに問題が複雑化していることで、役所のスタッフが戦略や政策を立案することが難しくなってきたのです。
このような流れの中で、従来型のお手盛り審議会はあちこちで行き詰まるようになり、代わって、戦略や政策案を役所のスタッフとともに考える「政策ブレイン」型の審議会が必要になってきました。このような流れの中で、今回の横浜市の「地球温暖化対策検討部会」は、審議会の下部組織という位置づけではあるものの、実質は市の温暖化対策のコンセプトや戦略立案、さらにアクションプランの提示や実行にまでかかわる場として機能することが期待されています。というか、今回の部会はそのように企画された、というべきでしょう。
さて、僕自身は、事前に横浜市の方と話をする機会に恵まれたために、部会をこういった方向で動かすという考え方自体を決める部分にある程度かかわることができたのですが、ほかの審議委員はそこまでの理解がありません。第1回の部会では、この点について、意見がいろいろ出て、方向性を確認するかいという位置づけになりました。前述の通り、審議会に呼びやすいタイプの人というのは確かに存在していて、そういう人はこれまでもいくつもの審議会の委員になっていることが多いのです。以前の審議会で、「意見は言ったけれど、結局役所の案に押し切られた」という経験がある人は、今回も同じ轍を踏むならやらないという態度をとる人もいて、「今回は違うのだ」ということを共有するのに一定の時間がかかりました。
とはいえ、今回のメンバーは意識の高い人ばかりのため、そこの議論に終始することなく、次の議論に進めることができました。それは、どこからどこまでが議論の対象か、という点です。
横浜市の環境政策は、もちろん今年始まったわけではなく、従来からの流れがあります。昨年度、温暖化対策の基本プランも改定され、ゴールは設定されいる状態でした。しかし、これもまた役所の仕事ではよくあることですが、目標はきれいに描かれているのですが、それをどのように実現するかの道筋がありません。というより、道筋は描かれているのですが、それが書いてあるように機能するとは思えないものでした。この点については、冒頭でも紹介した[知恵市場 Commiton]308号で指摘したとおりです。
それに加えて、コンセプトそのものが適切なのかどうかについても、検討する必要がありました。僕が気になったのは、温暖化対策を考えるときのわく組の不適切さです。
日本では、行政の温暖化対策のわく組として、「家庭部門」「運輸部門」「産業部門」「業務部門」「エネルギー転換部門」という区分けをよく使います。この区分けが、現実の僕らの生活やビジネスとかみ合っていないことは以前から指摘してきました。
代表的な例を二つあげてみます。運輸部門には、業務用の運輸、つまり運送業などと、自家用車が含まれています。家庭用部門には自家用車が含まれていません。しかし実際に市内の人々に何かアクションをとってもらうときには、家庭の中でできることとして「自家用車を使わない」といったメッセージが当然含まれてきます。このことからわかるのは、家庭に対するメッセージが、「家庭部門」で考えられたものと、「運輸部門」で考えられたものの両方が別々に届くということを意味していて、整合性がとれなかったり、メッセージを届ける方法がばらばらになって非効率になることです。また「家庭部門」でのエネルギー消費は、基本的に家庭内にある「機器類」から出ているのですが、その機器類でのエネルギー消費について、家庭ではコントロールが難しいという点です。よく言われる待機電力の問題にしても、「つかないときはコンセントを抜く」といった対策は、本来無意味な対策です。それなら、機器のスイッチの方で、「待機電力がゼロになる」機能をつけるべきだし、それ自体難しい話ではありません。つまり、家庭での電力消費は、実は産業部門の製品開発の考え方に直接的に左右されていて、家庭内でできることは限られているという点です。
上記の区分は、産業界がやるべきことを家庭に押しつける結果になりかねず、効率が悪いという言い方もできます。家庭ででいることとして、本当に家庭でしかできず、家庭がやるから効果があることに限定して施策を考えなければ、実際的なCO2削減効果は期待できません。たとえば、機器の消費電力を押さえること自体は企業の責任であり、一方、消費電力の少ないものを基準に製品を選ぶことは消費者(家庭)の責任です。こういったやるべきことの区分をよりシビアに考えたときに、上記の区分は、一見合理的に見えて、実はあまり合理的ではないのです。
今回の「温暖化対策検討部会」では、こういったわく組を再検討しないと、市民や企業市民が何をすればいいのかが伝わらないという議論がさっそく出てきました。これまでの温暖化対策が機能しなかった根本的な部分が最初の議論で出てきたこと自体、よい議論ができている証拠だと感じています。
また、別のわく組として、環境に取り組むときのお金についての考え方もあります。温暖化を防止する方法には、お金がかかる方法とかからない方法があります。たとえば、自家用車をやめるという方法はお金はかかりませんが、利便性が失われます。自分の生活を変える「痛み」と引き替えに、お金を払わずに、環境に貢献するわけです。一方、利便性など、生活を変えたくない、さらに利便性がほしいという場合は、利便性を享受する代わりにお金で環境負荷を負担するという方法があります。クルマを使い、ガソリンを燃やす代わりに、風力でつくった電力やバイオエタノールを買うというような方法です(詳細はこちらとこちらを参照)。つまり、カネで解決するか、行動で解決するか、という選択肢を示すことで、アクションを起こしやすくするというわく組の設定の仕方もあるのです。
さらに別の切り口もあります。「削減効果そのものより、目立つ打ち手」「実質的に大きな削減効果があるもの」「小さいが、手軽に利用できる削減メニュー」という3つに分ける分け方です。
「目立つもの」としては、街のあちこちでエコ活動をやっているのを目にするとか、横浜港に大きな風車がたつとか、とにかく市民に対して、環境活動があちこちで活発にやられているということを知らせることが目的のものです。実際の削減効果が(目立つわりに)大きくなくても、意識を高めることが目的です。今年は盛んになってきましたが、ライブイベントにエコのメッセージをこめるのもそのひとつで、先週土曜日、7月7日に世界中でおこなわれた「ライブアース」や、来週おこなわれる「APバンクフェス」、毎年4月におこなわれている「アースデートーキョー」になどがそれに当たります。
これに対して、実質的な効果をめざすものとしては、大型発電所でバイオマス(たとえばエタノールやバイオディーゼル、間伐材など)を数%程度混合して燃やす方法があります。これは実現しさえすれば、直ちに市内のCO2発生量をぐっと減らすことができるので、効果がはっきりしているのですが、工場内で行われることなので、市民からはほとんど見えず、「何をやっているのかわからない」という認知の低さが難点です。
「小さいが手軽に利用できるメニュー」は、主に市民一人一人が自分のお財布の事情に合わせて、余力を使って利用し、わずかではあっても少しずつ貢献するという方法です。前述の、自家用車を使わないという「やめる」方法と、「使うなら罪滅ぼしでエコに小口のお金を払う」というふたつの方法が考えられます。
こういったわく組の作り方は、それ自体が削減効果を持つわけではありませんが、よい枠組みをつくると、さまざまな削減メニューをバランスよく、効果的に採用することができるようになるのがよい点です。日本にはさまざまな環境ソリューションがありますが、普及していないものが多くあります。枠組みをうまくつくることで、ソリューションが全体の中にはめやすくなり、NPOや企業の協力が得やすくなる効果があるのです。
これから、横浜市の方と、新しいわく組の作り方を検討しようと思っています。わく組の変更によって斬新なプランが政策の中に位置づけやすくなり、それが政策の実効性をあげるのです。
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