(by paco)このところ、ワーキングプアを扱うTV番組が立て続けに放送されていて、いくつか見てみました。こうしたドキュメンタリや社会派の番組は、すこし前までNHKの独壇場で民放は手間がかかるわりに視聴率が稼げない番組は、まったくといっていいほど姿を消していました。しかし、このところ、「テレメンタリー」「NNNドキュメント」「ガイアの夜明け」などの社会派番組が少しずつ復権しつつあるような気がします。これらの番組自体は、以前からあったような気がするので(TV番組枠についてはまったく詳しくないので、つっこまないでくださいませ)扱う内容が充実してきた、ということかもしれません。
思うに、「あるある納豆」事件のショックで、各民放とも、もう少しまともな番組をやろうという反省が少しは生まれてきたのではないかと想像していますが、どうなんでしょうか。そんな中、各局が集中的に扱っているのが、ワーキングプアと夕張市の財政破綻です。このふたつはどこも必ず扱う、という「右へならえ」体質は、まったく変っていないのが情けないですが。
ワーキングプアについての番組の基本的な切り口はふたつあり、派遣方式による日雇い労働の不安定な現実と、ネットカフェ難民の実態、というあたりです。
見ていない方も多いと思うので、各社の番組から、ざっくり状況をまとめて書いてみます。
まず、ワーキングプアとは何か。これは、働く意思があり、実際にある程度働いているものの、生活保護水準以下の生活しかできていない人たちをさします。おおむね、月収13万円以下をさすようです。日本には最低賃金法というのがあって、地域によって異なっています。東京では、最近、景気も悪くないので、時給がじわじわ上がっていて、900円から1000円ぐらいの求人もよく見られるようになりましたが、たとえば札幌では今も650円といった自給があります。最低賃金ギリギリといったところでしょう。時給650円で1日8時間、×25日働くとちょうど13万円になります。これで生活保護水準ということです。
で、今、ワーキングプアの人口が増えていて、普通の生活が維持できず、ホームレスギリギリの生活をしたり、ひどい場合、餓死する人も、年間1000人近くいるという報道もありました。
ワーキングプアがなぜ問題か、その核心部分というか、特徴は、まず仕事の報酬単価が少ないことよりも、むしろその不安定さにあります。多くのワーキングプアがプリペイドの携帯電話1台でかろうじて労働市場とつながっていて、登録している派遣会社からの仕事の連絡を待ち続ける毎日です。前日の夕方、翌日の仕事が入ることが普通で、翌日の朝、ドタキャンになっていることもあります。仕事は工場での単純労働や倉庫作業、道路工事、土木作業など。基本的に男性が多いのは、女性には水商売や風俗という性を商品にする労働マーケットがあることが大きな理由になっているように思います。とはいえ、若い女性のワーキングプアがいないということではないでしょう。
こういった肉体労働や単純作業は、毎日仕事があるうちは、日給7000?8000円になることもあって、生活はそれなりに成り立ちます。しかし体はきつく、腰など体を痛めたり、ケガをする、年齢的に体力が落ちるという状況になると、とたんに状況が悪化します。毎日あった仕事が来なくなり、隔日、週1、2週に1日というように仕事が減ってしまうと、もはや所持金が底をついてくるのです。
ワーキングプアの多くは、はじめから日雇いなどの日給や時給仕事をしているわけではなく、かつては普通の会社員だった人が少なくありません。自己都合や倒産、解雇などで職を失い、次の仕事が見つかるまで長引くと、企業は正社員として雇うのを敬遠しがちになります。アルバイトでつなぐ期間が長くなると、収入も少なくなり、アパートの家賃が払えなくなり、いったんアパートを出てしまうと現住所を失ってしまうので、正社員への道はほとんど不可能になっていくのです。
こうしていったん住み家を失った人々が夜の時間を過ごす場所として見つけるのが、ネットカフェで、深夜料金なら、11時から5時前後までを1000?2000円程度で過ごすことができます。1畳ほどのスペースにPCとTVがあり、リクライニングシートを倒して丸まるようにして体を休めるのですが、当然熟睡は難しい。それでも、ホームレスとして野宿するよりはずっとましだし、ネットカフェではシャワーを無料で使えるところもあり、近くのコインランドリーを使って選択すれば、ひとまずホームレスのような汚い身なりにならずにすみます。もう少しお金があるときは、サラリーマンが終電を逃した深夜を過ごす場所でもある、サウナで風呂に入り、横になるという「ぜいたく」もできますが、逆に仕事が少なくて所持金がなくなれば、24時間営業のマクドナルドで1杯100円のコーヒーで硬いテーブルに突っ伏してひと晩を過ごすという方法も残されています。しかし、所持金が100円を切るほどになると、これもできません。次の仕事ができるまで、公園で野宿の日々が待っているわけです。
ワーキングプアとは、単に収入の問題ではなく、いつホームレスになるかわからない綱渡りな生活状況をさしているのであって、収入が少なくても、親の自宅にいられるような人は、少なくとも悲惨さの度合いでは、ワーキングプアとまでは呼べないと言うことなのだと思います。
こういう状況の人とは別に、もうひとつのタイプのワーキングプアがいて、それは離婚した母子家庭です。子どもを育てながら女性が働くことは、仕事がかなりできる女性の場合は、大変ではあるものの、比較的裕福な母子家庭という場合がありますが、そういう人を除くと、かなり厳しい状況に追い込まれます。子どもがいる女性の雇用はもともと厳しく、まして母子家庭では、子どもが病気になれば母親一人に負担がかかるために、企業はリスクを恐れて雇おうとしません。時給が安く、体にきつい仕事につかざるを得ず、収入面がぎりぎりになります。児童手当などが受けられるのもアパートを借りていることができるうちなので、食費を切り詰めてもアパート代を払い続けるしかなく、ネットカフェという選択肢がないぶん、厳しい状況に追い込まれることもあります。
さて、ワーキングプアの説明が長くなってしまいましたが、僕の本題はこれからです。
僕は採用PRの仕事に長くかかわってきて、雇用機会均等法の施行から始まり、派遣の規制緩和、企業の解雇規制の緩和によるリストラ、契約社員の増加やフリーターの増加などをずっと仕事の一環で見てきました。僕自身は、早くから会社員という立場を捨てて自分の道を進んできたので、企業に雇われるということに余り意味を感じていなかったし、会社に縛られることも問題だと思ってきたので、こうした自由化をむしろ積極的に、前向きにとらえてきました。フリーターも派遣も、ワークスタイルの多様化によって自分のやりたい働き方が実現できるという意味で、肯定的にとらえ、そういうメッセージをいろいろな記事で発信してきたのは事実です。
しかしその後、実際に起こったワーキングプアという現実をこうして目の前に突きつけられてみると、これまで僕が発信してきたメッセージがそれでよかったのか、しみじみと考えさせられるのです。今問題になっているグッドウィルグループも取材したことがあります。その時書いた記事は、労働市場のことではなかったし、またグッドウィルがやっている経営の善し悪しを語ったわけではないので、「罪」は軽いのですが、取材の印象も経営姿勢の印象も決して悪くなかったし、労働の自由化は基本的には多くの人にメリットを与えると思っていたので、ワーキングプアという状況が生まれるとは、思っていなかったのです。
とはいえ、以前から時給は700?1000円程度を行ったり来たりしていて、雇用の不安定さという状況は変わっていなかったので、アルバイトや派遣でフルタイムを働いても、月収13?20万円程度にしかならないことはわかっていたのです。それを承知で、「仕事を選べる自由」や「将来につながる仕事を見つけられるポテンシャル」を訴えていた僕の記事は、正しかったのか? こういった、雇用の流動化の時代を活かせるのは、ごく一部の、会社員であってもそれなりに成功できるような実力がある人だけだったのではないか、という疑問が湧きます。
その一方で、いま僕は大手IT企業で、人事制度改革のコンサルティングをおこなっているのですが、その現場を見ていると、会社員とはなんと不自由で面倒な立場であることよ、と思ってしまうことの方が多いのですね。
僕は自分自身の経験から、自分が決して「(学校→就職という意味で)出来のいい子ども」ではなかったことをよく知っているし、学歴ひとつとっても、そのIT企業にいる人たちよりずっと劣ることをよく知っていて、「これほど優秀な人たちが、なぜこんな組織の中で能力を発揮できずに、相対的に低収入でいなければならないのか?」と思ってしまうのですね。もっと雇用を流動化させて、自分の足で立った方がハッピーになれるのではないの???
でも、実際に会社を辞めた結果、ワーキングプアに陥って抜け出せない人たちがたくさんいる。彼らの中には、よりよい未来を夢見て会社を辞めた人もきっといるはずなのです。もちろん学歴だって、大卒や大学院卒だっているでしょう。必ずしも学歴が低いからワーキングプアになっているわけではないのです。
個人個人を見れば、もっとこうすればいいのに、と思うことは多々あります。しかしそれとは別に、自由化を進めても、それをチャンスとしていかせる人がどのぐらいいるのか、そういった自由をチャンスに変えるために必要な能力を、僕たち日本人は学ぶ機会をもっているのか、実現可能性の低い夢だけ与えていることにならないのか、疑問が湧きます。
今後、日本人はもっともっとタフにならなければいけないのは間違いありません。自由が増え、それを使いこなして自分が望む生き方を手に入れる力が必要です。
でも、その一方で、そういった力がない人、学ぶ機会がなかった人に、「健康で文化的な最低限度の生活」をするセーフティネットと、再度チャレンジする仕組みをつくることは、急務です。安倍首相は「再チャレンジ」と行っていますが、その具体策は見えず、また実質的な効果はさらに霧の中です。そして、そういっている今も、ネットカフェにも泊まれない「難民」が屋外で夜を過ごしているのです。
とはいえ、ひとつ希望があるのは、これらワーキングプアの人たちの生活は、雇用が好転して求人が増え、時給が100円、200円と上がっただけで、劇的に好転し、都市内の文化的遊牧民として比較的のんびりしたポジションに立てる可能性もあります。こうなると、支援する必要はなくなり、僕の「反省」も意味がなくなるのでしょうか。今年あたりから、企業から団塊の世代の退職が続き、身軽になった企業は大卒新入社員の取り合いを始めています。予定の人員が確保できなければ、フリーターの需要は増え、それに呼応するようにすでに東京あたりの時給はじわじわ上がっているのでしょう。
今後、この問題がどこに漂流するのか、注目していこうと思います。
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