(by paco)305交通法規とクルマの未来

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(by paco)すこし前、こんな記事が配信されました。


人身事故を厳罰化 「自動車運転過失致死傷罪」が成立
2007年05月17日13時21分
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自動車運転中の過失で人身事故を起こしたときの刑が重くなる。「自動車運転過失致死傷罪」の創設を盛り込んだ改正刑法が17日午後の衆院本会議で可決、成立した。これまでは最高刑が懲役5年の業務上過失致死傷罪に問われたが、新たな罪の最高刑は懲役7年。飲酒運転をより厳しく罰する道路交通法改正案も今国会で成立する見込みで、ドライバーに対する「厳罰化」が進む。
自動車の運転にからむ刑法上の罪は、わき見運転やスピードの出し過ぎなどによる人身事故に業務上過失致死傷罪、より「故意」に近い形で事故を起こした場合には危険運転致死傷罪がある。
危険運転致死傷罪の最高刑は懲役20年と重い。ただ、同罪は飲酒や薬物の影響で「正常な運転が困難な状態」で運転したり赤信号を意図的に無視したりしたことが立証されなければ適用されない。このため、被害者や被害者遺族から「同罪に問われず業務上過失致死傷罪が適用されたときの刑は軽すぎる」といった声が上がっていた。

改正刑法は6月上旬にも施行される予定。今後は、自動車の運転中に過失による事故を起こした場合には業務上過失致死傷罪ではなく、新しい罪に問われることになる。
「自動車」にはオートバイやバイクなどの二輪車も含まれる。これまで四輪以上の車に限定されていた危険運転致死傷罪の対象を二輪車にも広げる見直しも今回の改正に盛り込まれた。
一方、道交法の改正案は、酒酔い運転の最高刑を現在の懲役5年から5年に、酒気帯び運転を懲役1年から3年にそれぞれ引き上げる内容だ。
法改正後は、飲酒運転をして死傷事故を起こし、道交法違反と自動車運転過失致死罪に併せて問われた場合、酒酔い運転の最高刑は懲役7年6か月から10年6か月に、酒気帯び運転は懲役6年から10年と重くなる。
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ふ?ん、それで? と思う人がほとんどだと思いますが、この記事を少し読み解いてみたいと思います。

クルマという機械は、とても利便性が高く、僕たちの社会は積極的に活用してきました。読者のあなたは個人としてクルマを使っていないという人も多いと思うし、使っていても、記事にあるような重大事故とは自分は無関係と思う人も思うでしょう。

ここではまず、この記事の個人的な意味から考えてみたいと思います。

クルマに乗る人にとっては、交通法規というのはかなりやっかいな存在です。

普通、僕らが生活していて、その日常生活が法律に触れたり、それによって逮捕されたりという可能性を考慮することはまずないと思います。たとえば、会社にあるものを持って帰って自分のものにすれば窃盗罪ですが、まあこういうことをやろうと思う人はほとんどいません。だから会社にはいろいろなものがあってもいちいち鍵のかかるキャビネットに入れたりしないのです。

自宅に帰る途中、他人の家がたくさん並んでいるし、マンションでは入口に郵便ポストが並んでいて、郵便物がはみ出したりしています。こういう郵便物をとってしまおうと思う人もまずいないし、マンションの隣室のドアに少しすきまが空いていて、隣家の人が帰ったときにあけっぱなしになっているなと思ったからといって、ドアを開けて中に入り込もうとする人もいません。やる必要もないし、犯罪になると知っているからです。

それに対して、自動車を使うという行為はどうでしょうか。クルマは、日常的に使われている道具ですが、この道具を、特に東京のような大都市で1日使うことを考えると、普通に使うだけで、何度も交通違反をして、反則金や罰金は10万円を軽く超え、たいていの場合は免許停止や取り消しになるぐらい、違反をしてしまいます。これはクルマを乗ったことがある人なら、ちょっと考えれば自覚できると思います。

たとえば、クルマを駐車場から出して、1キロ走る間に、一時停止が数か所あるでしょう。一時停止は、交差点よりだいぶ手前に停止線が引かれていて、そこで完全に、1秒以上停止して、その後、安全確認のためにゆっくり交差点に進入しなければなりません。これを実際にやっているドライバーは、僕も含めて、東京ではまず皆無です。信号機のない横断歩道に、渡ろうとしている歩行者がいれば、停まって渡らせなければなりません。これも実行しないと反則ですが、もちろんその通りやっているドライバーはほぼ皆無です。歩行者は、クルマが止まってくれるのではなく、交通が切れるのを待つのがあたりまえのようになっています。

クルマに家族を乗せて、駅まで送っていくとします。駅の近くで停まって家族をおろそうとするところの多くは、駐停車禁止になっています。駐停車禁止ですから、家族を下ろすために停車することも禁止です。点数は2点、反則金は16000円、だったかな。

友だちの家によっておみやげを渡そうと、住宅街の友人宅の前に車を止めました。ここは駐車禁止ですが、駐停車禁止ではないので、荷物の上げ下ろしなどのために停まるのは違法ではありません。しかし、そこには路側帯がありました。道の両脇に、歩道代わりに白線が引いてあるあれです。路側帯のある道に駐停車する場合は、道の端から75?あけて止めなければなりません。つまり、クルマを端によせずに、半端に寄せた状態で止めるのが正しいのですが、こんな状態で止めている人は、幅寄せができない初心者ぐらいのものです。ぴったり寄せて止めれば、これも違反になります。

都市内では幹線道路の速度制限は、40?50キロです。僕がよく使う目黒通りや中原街道は50キロですが、環七は40キロです。交通量の少ない時間帯の環七を40キロで走っているクルマは、大型クレーンぐらいかもしれません。普通の交通は、60?70キロ、80キロ出しても十分安全という時もあります。しかし、これらはもちろん交通違反で、30キロを超えれば反則点数は6点で一発で免許停止、反則金ではなく罰金扱いになのるで、略式裁判によって5万円を超える罰金になるでしょう。

さらにこの制限速度と実際の交通の流れの関係は、信号無視違反にもつながります。信号が黄色になり、赤になるタイミングは、制限速度をもとに決まっています。40キロの道なら、40キロで黄色になってからブレーキを踏めば、余裕で止まれる時間で、黄色から赤に変わるのです。しかし実際の交通が60?70キロで流れていていれば、当然黄色をみてから止まれる距離が伸びるので、スムーズに止まれないと判断したドライバーは、そのまま交差点を通過します。しかしその時には信号は赤になっていて、赤信号無視になるのです。実際僕はこれで警官に呼び止められたことがあります。この経験のあと、信号のタイミングにすごく注意していたのですが、交通の流れに乗っているときに黄色になって、赤信号に間に合うように止まるには、ほとんど急ブレーキを踏まなければならいことがはっきりわかりました。これでは追突される危険があり、乗員も不愉快ですから、やりたくありません。しかし、つかまればいいわけできません。赤になってから交差点を通過していることを、自分自身、自覚しているし、スピード超過もわかっているからです。

というわけで、普通に1日クルマに乗るだけで、僕たちは実は犯罪者になっているのです。そして、実際には犯罪者にならずにすんでいるのは、警官が取り締まらなかっただけで、取り締まるかどうかは、すべて現場の警官の判断にかかっている、ということです。つまり、ドライバーが犯罪者にならないで住んでいるのは、警官の恣意的な行動に身をゆだねているわけです。

その一方で、ドライバーであってもなくても、事故によって家族が大けがをしたり、死んでしまう可能性も、いつもあります。人間は残酷な生き物で、人が死ぬ可能性があっても、保険という制度を用意して、カネで解決しようとしているわけです。もちろん事故を起こしたドライバーは、過失(ミス)があったということで、犯罪に問われます。しかし、問題はどのようなミスをしたか、ということです。そのミスが本当に重大であれば、犯罪に問うべきでしょう。

たとえば、上記のように、交通量が少なく、70キロ近いスピードで流れていた幹線道路で、赤信号に変った直後に横断歩道に人が出てきて、はねてしまったとします。幹線道路では交差点も大きいので、交差点の向こう側の横断歩道ではこういうリスクは日常的にあり、かつ事故も多く発生しているわけです。

このような事故では、当然、スピード違反、赤信号無視、横断歩道優先無視など、いくつもの「罪」に問われ、重大な「過失」があったということで、実刑を含む重い罪になります。その実刑の重さを、現状より重くしようというのが上記の法律です。

もちろん、人が大けがをしたり、死んだりしているのですから、やってしまった人を罪に問うことは当然です。また、歩行者には過失がないシチュエーションですから、被害者や家族が厳罰を求める心情は、もちろん理解できます。しかし、事故が本当に「重大な過失」によって起きたのかどうかと言うところは、実はあまり考えられていないように思うのです。普通の人が普通の注意力を持って、交通の流れを乱さないように、つまり社会性をもって運転している結果が、「重大な過失」になるというのが、この事故が示していることだからです。

こういった交通法規の厳罰化は、社会的な要請によって起きています。飲酒運転や本当に悪質な運転によって事故になり、家族を奪われた人たちが、政治に要請するなどして、厳罰化を求める。社会もその心情を理解して、法案を受け入れる。それ自体は、僕もよくわかります。しかし、できあがった法案と、実際のドライバーの行動を比べると、「日常生活(日常の運転)」と「それによって起こった事故」とのアンバランスがどんどん広がっているように感じるのです。つまり、ことの深刻さをきちんと理解しようとすると、クルマを運転するということは、それ自体、事故を起こさなくても、一般の人にとってはあまりに理不尽なほど、リスキーなことであり、そのリスキーさがどんどん増しているのではないか、という点です。

僕は、ルールを甘くした方がいいとか、事故にあった人はガマンしろと言いたいのではないので、勘違いしないでください。

もし、クルマの利便性と、リスクを、正当に判断すれば、圧倒的にリスクのほうが大きい。事故を起こさなくても、運転しているだけで免許取り消しになったり、1日10万円以上の反則金を取られるなら、それだけでもクルマを運転するのがばかばかしくなるほどです。そしてそのばかばかしさが、こういった法案通過によって、さらに増しているのが、ドライバーの立場から見えてきます。

その結果として何が起こるのでしょうか。

きちんと判断しようとするなら、判断の結果は、「クルマを使わない」ということになるのではないかと思います。法規をゆるくする合理性も乏しいし、かといって、現状の交通を人々に訴えることで法規通りに運転するように変えることも難しい。道路もクルマも、性能が飛躍的に上がっているからです。もちろん事故にあった人の気持ちも理解できる。だとしたら、自らそのリスクをとることをやめるのがいちばん正しい結論です。

こういう現実的な結論を、まだ多くのドライバーは理解できていないので、クルマはリスクより利便性が優位だと考えて運転しています。僕も、実のところそのひとりです。なかなか変えられるものではありません。でも、ときどきリスクの大きさにおののくのです。

で、ここから僕が導き出せる「予言」は、社会はクルマという道具を放棄するかもしれない」、ということです。ある時、ふっとクルマを使うばかばかしさに市民が気づき、「や?めた」と思い始める。実は、トヨタをはじめ自動車メーカーが一番恐れているのは、こういう状況が起きることです。もちろん、これはラディカルに過ぎる結論です。しかし、そうならないとは言えないほど、クルマにまつわるリスクは、個人が追うには大きすぎる。日常的に犯している(犯さざるを得ない)「交通違反」によって、不運にも事故が起きたときに、7年にもなる懲役を受けるなら、それは個人が負うには重すぎます。

この問題を解決するための、もうひとつの方法は、クルマのロボット化でしょう。道に誘導装置をつけ、ナビで目的地を入れたら、クルマが自動的に、ルールに則って連れて行ってくれるようにする。すると、ドライバーは自己の責任を逃れることができるので、リスクを減らせます。事故が起きれば、大半を交通システムとクルマのせいにできるからです。実際には、自動車会社と政府は、こういうところをめざしているのだと思います。クルマという機械を人々が見捨ててしまう前に。

その理由? 人々がクルマを使うことを拒否すれば、今の都市文明はほとんど成り立たず、GDPも大幅に衰退せざるを得ないからです。コンビニへの小回りのきくトラック輸送も成り立ちません。ドライバーのなり手がいないからです。

非現実的なことだと思いますか? 僕はクルマが大好きなので、自分で運転できるクルマというものを、それほど大きくないリスクで、乗り続けられるのが、個人的にはいちばん望んでいるのですけどね。

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