(by paco)論理思考を使い、教えるようになって長いのですが、多くの人がうまく使いこなせるようになるために、郎考えればいいのか、どう教えればいいのか、いつも自問自答し、試行錯誤の繰り返しです。
もっとシンプルに、もっと簡単な方法で、だれもが深く考えることができるようになればいいのに、と思っているのですが、これが難しい。あるメソッドを教えてみると、そこはできるようになっても別のところができるようにならない。教え方を修正すると、もとのところができなくなる、というような繰り返しで、なかなかベストな解に近づけないもどかしさがあります。
今週は、ものを考えるときにやってしまいがちなミスや、意識が行かないところについて考えてみます。ロジカルシンキングを学んだ人は、おもにピラミッドストラクチャを使って考えるという場面を想定して呼んでもらえばわかりやすいと思います。
■ピラミッドストラクチャは、情報を整理するツールだと考えてはだめ
グロービスや社内研修で提出してもらうレポートを見ていて、よく感じるのは、「情報を整理しただけじゃダメなんだよな」という点です。ピラミッドストラクチャはボトムアップで考えた方がいいのですよ、といい、情報を集めてグルーピングしてくださいと説明しているので、学んだ人は情報をきちんとグルーピングしてピラミッド型をつくってくれるのですが、この方法でよいピラミッドが造れていないレポートを見ていると、ピラミッドを「情報を整理するツール」だと思っているのではないかと感じることが多いのです。
たとえば、経営戦略を説明するときに、3Cというフレームワークを使う人が多いのですが、3Cで情報を「整理」すると、たいていの場合、「自社」に情報が集まってしまって、きれいなピラミッドになりません。そこで、自社に集まった情報から一部をほかのCのグループに移してみるのですが、そうすると今度はもともとの「自社」のフレームとのつながりが断ち切れずに、せっかくのグーピングしたのに、「ダブリあり」=重複感が出てしまうのです。
また、情報をわく組(=サブイシュー)に合わせて分類したあとで、「マーケットの状況」というような見出しをつけ、これをキーラインメッセージにしてしまうこともよくあります。これもクラスで繰り返し話しているのですが、メッセージは主語術を持つ文章で表されなければうまくいきません。「マーケットの状況」という言葉では、その状況いいのか悪いのか、変らないのか変化しているのか、何もわからないからです。述語をつけることで、何を言いたいのかがはっきりして、自分の伝えたいことが「言えている」のかどうかがわかります。
「マーケットの状況」という見出しで説明しつつ、「マーケットは規制緩和によって、新規参入が起きている」というだけでは、自分が伝えたいメッセージを説明できないのです。「新規参入が起きている」ことはひとつの状況ではありますが、それが自分にとってプラスの情報なのか、マイナスの情報なのかを明らかにしないと、単なる傍観者的な情報で終わってしまうからです。「新規参入が起きているから、参入しようとしている我が社にとっては好都合」なのか、「競合が一気に増えて、今参入するにはムダな競争に巻き込まれる」のか。「規制緩和」というFACTが自分が言いたいことに対してどのような意味があるのかを考えてメッセージにすることが重要です。
メッセージを主語+述語の形にしない癖は、小学校時代から延々と続く国語教育に由来しています。日本の国語教育では、いいたいことを明確に伝えるという、コミュニケーションツールとしての日本語はほとんど教えません。情緒的で、感想中心の国語理解ばかりが優先され、Aという表現とBという表現では、意味がまったく変ってしまうというような、コミュニケーションのための言葉の使い方を教えないのです。このことは別の言い方をすれば、何かを判断し、断言することを嫌う文化とつながっていて、あるものごとを「いい」というのか「悪い」というのか、「好き」「嫌い」、「やるべき」「やめるべき」といった点をはっきりするようには、求められずに大人になってしまいます。このような学校教育が、「マーケットの状況」という言葉までたどりついても、それが「どうなのか」を語らずにすまそうというマインドを生んでいるのです。
重要なことは、述語の部分にあるという理解をしっかり持つこと。述語を書く習慣ができると、メッセージ全体が自分の言いたいことかどうかを考えざるを得なくなるので、伝えるべきことがクリアになってくるのです。
ピラミッドストラクチャは、分類整理してわかりやすくするツールではありません。何らかのメッセージを引き出すためのツールであって、メッセージを引き出しやすくするために、グルーピングやフレームをつくると考えるべきなのです。
■自分の言葉で語らない、考えようとしないと、メッセージがつくれない
ふたつ目の問題点は、自分の言葉で考えず、借り物の言葉で考えているという点です。ある意味、この点のほうが問題が大きいかもしれません。
多くの場合、考えるときには、何らかの資料や情報を使いながら、考えます。その時、使っている情報に忠実であろうとして、資料にある言葉をそのまま使おうと考える人が多いのです。
このような態度は、ひとつには受験勉強の中で、「本文中から抜き出しなさい」というような問題が多いために、答えるべき内容を自分で考えるのではなく、「どこかから探そう」というマインドになっていることから由来しています。もうひとつは、大学の勉強や研究活動の中で、「専門用語を使いこなす」ことがひとつの目的になっていて、そのぶん屋の述語やようを使って説明することが求められていることがあげられます。
僕が学んだ哲学の正解では、用語は概念と呼ばれ、とても大きな意味を持っていました。概念を学ぶことが哲学を学ぶことといってもいいぐらいでした。カントでは「理性」という言葉が重要な意味を持ち、ハイデッガーでは「存在」という言葉が重要な意味を持ち、それぞれがどのような概念化を理解し、使いこなさないと、哲学について語れないというような感じだったのです。こういった言葉は、「カントにおける理性」「デカルトにおける理性」というように、だれが語る概念化によっても意味が微妙に変わり、厳密に言葉を使う必要がありました。
このような言葉の使い方は、哲学など学んでいない、一般的な学部を出た皆さんには関係がないように思うかもしれませんが、こういった哲学の伝統はほかの学問にも活きていて、それは「引用」という形で応用されています。大学の時、レポートや卒論で引用をたくさんしたと思いますが、引用は、オリジナルテキストの言葉の使い方を尊重し、それに基づいて自分の考えを説明するということを意味しています。しかし、多くの学生が「引用をたくさんすれば自分のことを書く量が減る」と考えてレポートを書くことからもわかるとおり、他者の言葉を使うことが自分の言葉を使わずにすます「手っ取り早くめんどうのない方法」と見なされているのです。つまり、なるべく自分の言葉で語らない方がいいというマインドが学生時代までにすり込まれているわけです。
しかしビジネスや実生活でものを考えるときには、自分の言葉で考えないと、本当の自分の考えには成りません。資料に書かれている用語をそのまま使っても、その用語が自分のふだん使う言葉として十分なれていればいいのですが、どうもすっきりわからないのに、そのまま使ってしまうことが多いのです。たとえば、ある企業が「スピード重視の経営をおこなっている」と書かれていたとします。すると、「スピードが速いからその会社は成功した」と説明してしまうことがよくあるのです。しかしスピードそのものが成長や利益をもたらしてくれるわけではありません。もともと顧客に受け入れられる商品があり、それをスピーディに提供できるから成功しているのであって、市場が受け入れない商品やサービスをスピーディに提供しても、もちろん利益は上がりません。スピードそのものが単体で価値を持っているわけではなく、スピードは、それ以外の何らかの価値を加速しているだけなのです。その価値が何かを探らないと、その企業の成功の理由はわかりません。
逆に、「成長が速すぎるから、失敗した」という説明がなされることがあります。これも同じで、成長が速いことそのものが失敗につながるわけではありません。たいていの場合、成長のアンバランスが起こり、ある部分の成長速度に別の部分が追いつかないことによって、トラブルが起きて失敗するのです。
「高級ブランド品がよく売れている」という情報から、「ブランド品は富裕層が買う、よって富裕層が増えている」と考えてしまうこともあります。確かに高級品を買えるのですから、貧乏人ではないでしょうが、実際に買っている人たちが「富裕層」と言えるのかは、検討が必要です。アルバイトでルイ・ヴィトンのバッグを買う大学生も多く、こういう消費行動をとる学生を富裕層と呼ぶべきなのかは、検討が必要です。
書かれていること、借り物の言葉をそのまま使ってしまうと、実態と乖離してしまったり、意味を取り違えてしまうことがよくあります。それだけ、他者の書いたものは不正確だという意味でもあるし、他者の言葉を理解するのは難しいということでもあるのですが、安易に他者の言葉を引用したり、使って考えるのではなく、自分の言葉で置き換え、本当はどうなのかを自分の目と耳を使い、自分の頭で考えることが必要です。
■問いを立てる力を軽視すると、答えも出ない
最後に簡単に触れておきたいのは、問いを立てる力です。ものを考えていくというのは、自問自答の繰り返しだととらえると、わかりやすくなります。「なぜ、受講者はロジカルシンキングがなかなかできるようにならないのか」「受講者はどのようにミスをするのか」「宇多田ヒカルの曲がこれほど売れるのはなぜなのか」など。
疑問が浮かび、その疑問に自分なりに答えをつくり、またそこに疑問を差し挟む。この繰り返しが、思考を加速していきます。問いを自覚的につくることは、自分の考えをクリアにするいちばんよい方法です。
しかし、多くの人がというをつくるより、答えを先に探そうとします。
「自分には論理的な思考力がないからなあ」
「このケースは難しすぎるよ」
「携帯で簡単に変えるから、とりあえず宇多田の曲を買っておこうと思うんじゃないの」
いずれも上記の問いを立てる前に、ふっと頭に思い浮かびがちなことなのですが、これらはみな「答え」です。重要なことは、「答え」を出す前に、「問い」を立てることです。それも、きちんと主語+述語を持った疑問文で問いを立てる。逆に、答えは今出せなければそれでもいいのです。問いが立てられない人に、よい答えを出すことはできません。あたまの中には、答えよりずっとたくさんの問いがいつもはいっているようにすれば、あなたの頭はずっとよく動くようになるでしょう。
今回は、ちょっとランダムに、ロジカルシンキングがうまくなるためのブレイクスルーポイントを並べてみました。この3つでいいのか、なぜこの3つが重要なのか、説明するべきかなと思うのですが、このあたりはいずれもう少しまとまった形で、別の稿を書こうと思います。
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