(by paco)299趣味を復活させる<音楽と写真>

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(by paco)[知恵市場 Commiton]では、そのときどきにいちばん僕の心とらえていることについて書こうと思っているのですが、今週はというと、YUIなので、そこから音楽のこと、そして書ければ、写真のことについて書こうと思います。

読者の年齢や趣味から考えて、YUIを知っている人ばかりではないような気がするのだけれど、20歳になったばかりの女性シンガーソングライター、デビューは2年前の2005年春、「feel my soul」。無料版の方で少しコメントしているのでそちらとかぶるところもあるとして。ちなみに彼女は、歌を始めたのが高校生の時で、福岡の路上で歌ううちに、高校中退してしまい、デビューをめざしました。そんな不安な時期の思いが詰まった作品をたくさん書いています。

先週、映画「タイヨウのうた」のDVDを借りてみたのだけれど、なかなかよかったので、YUI度がさらに上がっている今週末です。

「タイヨウのうた」は去年、YUI主演の映画版と、沢尻エリカ主演のTVドラマ版が同時につくられて、沢尻版は見ていないのだけれど、広告フィルムを見る限り、かなり違うキャラになっているようです。沢尻版「雨音薫(あまねかおる)=主人公」のほうがかなり強くて明るく激しさもあるキャラ、YUI版は静かで芯のあるキャラ、という感じでしょうか。沢尻エリカもかわいいと思うけれど(^-^)、僕としてはYUIの雨音薫のほうが感情移入できそうな感じだったかな。というより、映画版の「タイヨウの歌」はYUIがいなければ絶対にできなかった映画、というぐらい、彼女の歌とキャラが際だっていました。実際この原作はずっと前に映画化の計画があったのですが、主演が決まらずに頓挫、YUIの登場で企画が復活したという経緯があります。

この映画版「タイヨウのうた」で、YUIはデビュー翌年に映画初主演、監督も映画デビューの小泉徳宏で当時26歳、18歳の女優デビューのYUIを演出するというフレッシュな組み合わせでつくられました。作品は、とてもゆったりした演出でつくられていて、脚本は通常の映画の3分の1ぐらいしか量がないんじゃないかと思われるほど台詞が少ない作品です。そのぶん、ワンシーンがしっかり描かれて、ある意味、小津安二郎的な日本映画の伝統がどこか息づいているのような気もします。

で、YUIが歌う主題歌「Good-bye Days」「Skyline」が、映画のなかではやはり実に気持ちよく歌われていて、基本的に悲しい物語ではあるのだけれど、泣けてくるより、心に素直に活きている実感が響く映画になっています。悲しみ、怒り、不条理感をしばしばテーマにしているYUIの唄が、聞くものには、不思議に希望や強さに感じさせるのは、彼女のひとつの才能なのではないかと思います。と、評論じみたことよりも、実のところいちばんよかったのは、彼女の歌ではない普通の言葉(台詞)の軽さ。特に、ただ「うん」と返事をするときのふっととぎれるようなつき抜けた感じが、実にくすぐられるんですよ。

で、急に話は飛んで、この冬、ギターを買いました。年頭に「音楽のことをもっとやりたい」と書いたので、その実践もあって。

楽器屋を少し回って、普通のアコースティックギターか、エレキか、両方お得なエレアコかとときどき見ていたのですが、渋谷のヤマハで、ちょい汚れありのエレアコが安めに出ていたので、ゲット。クレジットカードのポイントでミュージックギフトカードをもらっていたのですが、その額とちょうど同じ\15kということで、けっこうお買い得でしょう。

中国製、共鳴箱はABS樹脂というキッチュな仕様なんですが、実際に弾いてみると、そのキッチュさがでているところがけっこう気に入っています。アコギなんだけれど、音が金属質で鋭く、でもまあまあきちんと共鳴して、高いアコギのように、ニュアンスが出過ぎないところが、僕ぐらいのヘボい腕にはちょうどいい感じ。「プラグド」して、アンプにつなぐと、それなりにギャイーンと鳴るので、うるさく響かせるのもストレス解消になるし。

中学生のころは、フォークギターを持っていて、井上陽水だの吉田拓郎だのさだまさしだのイルカだの、歌って遊んでいたのですが、その後、ギターも売ってしまい、まったく縁のない生活をしていました。久しぶりに手に取ってコードを押さえてみると、左の指先が痛いこと。ぜんぜんクリアな音が出ません。それでも、練習を続ければ指先にたこができて、痛くなくなり、響きもよくなってくることを知っているのが、おとなの楽器練習のいいところ。中学の時は、「なんでこんなに痛いものを引けるだろう」と投げそうになりました。

毎日食後の休憩にぽろぽろ弾いてきましたが、不思議に飽きることはなく、指先には順調にたこができて堅くなり、だいぶ痛くなくなってきました。まだまだ押さえが甘くて、隣をミュートしちゃったりしてクリアな音が出ないコードが多いのですが、昔は特に苦労なかった「C」がなかなかうまく鳴らずに、昔はキライだった「G」がきれいになるようになったのはなぜでしょうね。

ヤマハでYUIとミスチルのギター譜を買ってきて、少しずつ弾いてみているのですが、最近の歌はコードが複雑になっているのを感じます。70年代はせいぜいセブンスコードぐらいで足りていたのが、今はsus4(サスフォー)だのdim(ディミニッシュ)だの、シックスだのが多用されるし、曲の出だしや最後にも平気で使う、曲の途中で明らかに歌に乗らないコードが出てくるとか、野球で言えば変化球が多用されている感じです。コードが覚えられないのは、年のせいではなく、この込み入ったコードが多用されるせいだといいわけしていますが、ほんと、難しいですね。それでもギターの響きはなかなか気持ちがよくて、ときどきすぱっとクリアーなコード進行が決まったりすると、にんまりな感じです。音楽って、気持ちいい。

ようやく2曲ぐらい、何とか弾けるようになってきて、歌の方ももうちょっとちゃんと歌いたいとか、他の曲にもレパートリーを広げようかなという感じですが、これからやってみたいのは、妻がたたくコンガと合わせる、ということで、アコギとコンガという組み合わせはなかなか良さそうです。YUIの曲にも、Lifeという曲が、アコギとコンガのからみでつくられていて、いい感じなので、やってみようと思っています(コンガといえばここ知恵市場でもまつおさんがはまっています)。

子どもころはいやいややらされていたピアノ、その後、ブラスバンドでフルート、中学はギター、高校は合唱という感じで、音楽の多い子ども?青春を過ごしてきたのですが、その後は聴く専門できたので、そろそろ弾く方も復活したいという思いが、ギター1本でちょっと前に進むことができました。

この先に何があるのかはわかりません。仕事が忙しくなって弾いている時間がなくなっちゃうかもしれないし、やっぱりうまくならないのでやめてしまうかもしれません。別の楽器がいいと思うかもしれない。でも、できればもうちょっとうまくなりたいし、オリジナルの曲も作れるといいなという思いもあります。

そんな思いで改めてミュージシャンのインタビューなどを見てみると、ミュージシャンが音楽をつくるのは、実はかなり論理性がいるというか、考えてつくらないとつくれないのだなあと感じさせる発言が多いことに気づきます。何を表現したいのか、どんなコンセプトで曲を作るのか、なぜ自分がそれを歌うのか。一見ちゃらちゃらしているように見えて、売れているミュージシャンはかなりよく考えている、という感じ。感覚でつくるのではなく、やはり頭で方向付けをしっかりして、一定の枠をつくった上で、感覚を生かしているんだなという印象です。考えてつくっていいなら、僕にもできるかも、と思えたりして(^-^)\。

自分は何を伝えたいのか、それを、書くだけでなく、音楽に乗せて伝えられたら、それも素敵なことです。

実は、同じように、「書くだけでなく、絵でも表現」したらどうなるかなというのが、もうひとつ、「改めて再会」した写真なのですが、これについてはやっぱりまた機会を改めて書こうと思います。

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