(by paco)294ロジカルシンキングと考える力

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(by paco)今週は、僕の仕事からの話題を書きます。

最近、Present Tree in 南八ヶ岳「ヤマガラの森」の売り込みに必死なので(^^;)、この関係で人に会うことが多く、環境ヤモリの話をしていると、「pacoさんは何で喰ってるんですか?」という質問を受けることが多くなります。もともとフリーランスで、特定の企業や業種の仕事をしているわけではないし、収入源について不思議に思うのは当然のことです。

僕自身が何で稼いでいるか、その領域はその時期によってけっこう変わるのですが、ここ数年の収入的な主力事業は、ロジカルシンキングを教える研修講師の仕事です。グロービス・マネジメント・スクール(GMS)での講師もそのひとつですが、GMSでは毎期1コマ、月に3時間かける2回の授業しかやっていないので、それだけで喰っていけるほどのギャラは受け取れません(GMSのギャラは、悪くはないですが、講師の仕事として特にいいというわけではなありません)。主な収入源は企業研修の講師で、これは僕のオリジナルの教材を使って、企業内でおこなう研修の講師を担当する仕事で、比較的単価は高いので、一定の収入を得ることができるのです。ほかに、連載の原稿料や本の印税、コンサルティングのフィーなども柱のひとつにはなっています。研修の仕事は、週5日間、フル稼働すれば、ものすごい収入になるでしょうが、残念ながら、講師の仕事をこんな密度でやることは少なくとも僕にはできません。慣れた仕事とはいえ、大人を相手にものを教えるというのはけっこうストレスフルで神経を使う仕事だし、企画やカリキュラムをクライアントに合わせるといった準備、休養も必須です。

で、こういう休養のタイミングで、森の仕事やライフデザインの仕事など、自分の志向が合う仕事をしていて、ストレスにならない程度に、こういったことに時間を使うことで、何もしないでいるより、自分のバランスをとることができるのです。

という話は、実は今回の本題ではなくて、そのロジカルシンキングについて、教える、学ぶということが本題です。

知恵市場でブログを書いてくれているToshiさんが、スクールオブ未来図で論理思考教室をやっていて、彼独自の方法論で指導しています。その論理思考教室の内容をベースにした本の原稿が少し形になってきたということで、まだ推敲前の初稿を読ませてもらいました。

僕は彼の論理思考教室を見学したことがあるし、それ以前に、彼とはもう10年以上の長い付き合いなので、彼がこの分野のどこに関心があり、どのようなアプローチをすべきか
わかっているので、本の原稿自体は違和感のないものでした。

ロジカルシンキングといいつつも、いわゆるフレームワークや、ピラミッドストラクチャを使ったりというような、ツール類はほとんど使わずに、自分自身で問い(イシュー)を立て、それを切り分けながら深めていくという、基本的な頭の使い方を徹底的にやっていくというアプローチで、彼の教室では、自分が決めたテーマを1回で完結するのではなく、2回、3回と繰り返すことで到達点をより遠くに、不覚に追いかけていくというアプローチをとっているのが特徴です。

僕自身の研修も、大きく分けると2パターンあって、フレームワークやピラミッドストラクチャのようなツール類を学ぶことに主眼があるものと、そういったものにはあまり触れずに、徹底的に「考える」ことにチャレンジしてもらう研修で、後者の方は、Toshiさんがやっていることにかなり近くなります。最近は、ロジカルシンキング研修を実施済みの企業も増えてきて、いわゆるフレームワークを使うことだけでは不足で、本質的な思考力をつけたいというニーズが少しずつ出てきています。こういったニーズがある企業には、僕も「考える」ことを徹底するワークショップを提案して実施しているのです。

僕もToshiさんも、このツールを学んでおしまいということではなく、「本当に考える」ということを重視している点で共通していて、それぞれ別々の方法論ではあっても、狙っているところは近いという活動をしているのだなあと思っています。

その一方で、最近は「ロジカルシンキング」「クリティカルシンキング」「論理思考」といった研修が増えてはいるものの、その内容が「ツールを学ぶ」ことに軸足が移り、その意味で表面で形式主義の志向を「論理思考」という名前で教えることが増えてきているのを感じています。

講師をやっていると、同業の講師からカリキュラムの相談を受けたり、見せてもらうことが多いのですが、最近見る機会があったカリキュラムと学ぶ内容を見て、愕然としました。以前からツール主義・形式を教えるだけのコースというのは多かったのですが、それがさらにお手軽になり、3Cや4Pなどのフレームワークを示し、ざっと思うがままに情報をはめ込んで、「こんな感じで使います」といっておしまいにする演習を繰り返すだけなのです。以前からこういう研修はあったのですが、こういうお手軽な内容であっても、「これをちゃんとやるのことは本当は難しいので、試行錯誤してください」というメッセージがこめられているように感じていました。しかし、このところ感じるのは、「本当は難しい」というメッセージさえ落ちてしまい、「論理思考ってこれでいいんだよ」と言わんばかりのお手軽なメッセージに変質してきているのです。

確かに、僕やToshiさんがやっているようなアプローチにも問題があり、ビジネスパースン全体の平均値から見ると、レベルが高すぎ、着いて来れない人や、混乱してしまう人が多いのも事実です。何をやればいいのかが見えにくく、得られたものが実感しにくいので、研修が終わってから応用しにくいのも事実で、終了後のアンケートで「使ってみましたか?」と聞いて「使ってうまくいった」という声を聞くことは少なく、それ以前に「使ってみようと思わなかった」という結果が出ることが多いのです。これではせっかく研修をやっても意味がない、とりあえずつてガルに使えるものであるべきだ、という考えが出てくるのもよくわかるのです。前述のフレームワークを使ってみるといった内容の研修なら、終わってからも「難しかった」という印象を与えずにすむので、「ちょっと使ってみました」という人の率は上がりそうです。しかし、それでいいのかが問題です。

僕の研修では、たとえば「日本人の自殺者が多いことについてどう考えればいいのか?」「仕事の報酬は給料か?」「GMO農作物に賛成か/反対か」といったイシューで考えてもらいます。答えは人それぞれであり、アプローチの仕方も個人差がでるイシューを選び、事前にレポートを書いてもらった上で、3時間程度の時間をかけて、クラス全員でディスカッションしながら、どう考えればいいのか、そのアプローチの仕方を学んでいきます。終わったからと行って、「自殺が多い理由はこういう分けだったのか!」「自殺者が多いことはこうやって解決すればいいんだ」という結論がすっきりとわかるわけではありません。「このフレームワークを使えば、自殺についてはすっきりわかるんだ」という知識が身につくわけでもありません。

イシューの特定から始まり、このイシューの全体像はどこからどこまでかを検討し(主に、モレがないかどうかを十分確認する)、結論を導く因果関係と、結論が代わる分岐点を明らかにするというプロセスを、ディスカッションを通じて明らかにしていきます。

こういった議論をしていると、受講生は着いてこれるぎりぎりの状態になりがちで、集中力が切れると何の話をしているのかわからなくなり、傍観者的なマインドになるのですが、実は僕が一番重視しているのは、実はこの「思考の持久力」なのです。ツールとしてのフレームワークやピラミッドストラクチャ、ロジックツリー、それに基づく論理展開は、あきらめて止まってしまいそうになる思考を、とめずに先に進めるためのツールであって、逆ではありません。

僕の研修にしても、Toshiさんの論理思考教室しても、ひとつのテーマにこだわって議論を続けるのは、止まらない思考力をつけることが目的です。逆に言えば、手っ取り早く考えておしまいにするのは、僕らがやろうとしていることとは本質的に逆で、早く終わるようなことなら、むしろ考える必要のないイシューであるという考え方だと言えます。

では、こういう思考の持久力は、本当に必要なのでしょうか。この点については、また機会を改めて書こうと思いますが、ざっと考え方だけ示しておきましょう。

今、ビジネスにしても社会的な事柄にしても、ことの複雑さはひたすら増しています。たとえば、エレクトロニクスメーカーの事業を例にとってみても、30?40年前は「トレンドの商品を以下に安く、大量につくるか」が目的でした。「三種の神器」「新三種の神器」などとわかりやすいトレンド商品が次々に出てきて、このニーズに応え、つくっていけばよかったのです。今中国ではこういうビジネスが全盛で、中国企業の成長の原動力になっているといえます。しかし、日本のように世界でもっとも進んで高度資本主義社会にでは、そのような牧歌的なビジネス環境はとうの昔に失われてしまいました。ひとつの商品を売るにも、その背後にある開発ストーリーや、それ以前の商品との違いを説明する必要があり、さらに、企業は「金を儲ける存在」と行っていられない状況が生まれて、CSRだの、内部統制だの、知的所有権だの、ナレッジマネジメントだの、込み入ったことを並行してやらなければなりません。それらの込み入った関係を解きほぐし、整合性をとったものけが成功につながる時代の中で、複雑なことを考え続ける思考力は、ますます必要性を増しています。

そして、それを学ぶために、ロジカルシンキングの分野が注目され、研修が開発され、学ばれるようになってきたのに、受講が一般化するにつれて、本質が見失われて、「手っ取り早い論理思考」という矛盾が起きているのが、現状です。

僕がやっているような研修が、十分に効果を上げられているのかと問われれば、Yesといいきれない部分もあるでしょう。より効果的なメソッドの開発に挑戦していく必要があります。しかし、手っ取り早いロジカルシンキングは、「何ももたらさない」と僕は考えています。何ももたらさないどころか、わかったような気になるという意味で、危険でさえある。

こんな風に僕がここで訴えたからといって、おそらく、この分野の研修がお手軽になっていくトレンドはおそらく変えようがないのでしょう。しかし、それは同時に、思考力をつけるという分野の価値が再び見いだせなくなるというように、いわば「壊死」を起こし始めているのかもしれません。

せっかくここまで注目されてきた分野だからこそ、本質を見失わないように、踏みとどまりたいと思っています。

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