(by paco)285教育基本法改正が意味するもの

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(by paco)先週の僕の記事「教育基本法改正と靖国神社」に対して、Toshiさんがコメントをつけてくれたので、そのあたりをもう少し考えます。


▼Toshiさんのコメント
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「人のための国」ではなく「国のための人」と考えているというのも確かにあり
うるなあと思う。ただ、仮にそうだとしたら、どうしてこの人たちはそう思うん
だろう? それって結局みんなにとっても自分にとっても、つらい結果につなが
る可能性が高いのに。

そんなことを思うのは、この人たちと議論をしようとしたとき、ここを理解して
いる必要があると思うんだね。
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このToshiさんのコメントについて考える時のポイントは、「戦争」という選択肢をとることが「結果的につらいことになる」可能性があるという点を、どう理解すればいいのか、と言うことだと思います。

戦後の民主主義教育を受けてきた僕らの世代は、戦争は、勝った側にも負けた側にもつらい爪痕を残す、と教えられ、そのように考えています。日中戦争→太平洋戦争で、日本は中国と戦い、負けましたが、勝った中国も大きな傷を受けました。国土は荒れ、多くの人が死に、日本との戦争が終わっても、共産党と国民党の内戦が残ってしまい、なかなか平和が訪れませんでした。この日中戦争は、日本が中国を「侵略」しようとした戦争ですから、中国にとっては望んだ戦争というわけではありませんが、結果的に日本との戦いに勝利しても、つらい結果しか残らなかったわけです。同じように米国も、日本に勝ったものの、多くの戦死者を出し、日本の占領統治にも金がかかった。勝っても負けても、つらいのが戦争だというのが、僕らの世代の共通する理解になっているのだと思います。

しかし、そうは考えない人たちが世界には、特に米国にはたくさんいます。

米国は、第二次世界戦争で確かに多くの犠牲を払いましたが、それを勝ち抜いたことによって、イギリスが握っていた世界覇権を引き継ぐことに成功し、戦後は圧倒的な強国となって、世界を支配することに成功しました。国民は豊かになり、政府や大統領の権力は増し、世界のルールを米国に有利なように決める権限を持ち、望むものの多くを手に入れる
ことに成功して、豊かになりました。今でも世界の原油の決済はドル建てですが、これはドルという通貨のマネージひとつで、石油という現代文明を支える戦略物資を自由に動かす権限を握っていることを意味しています。こういった一連の権限を、現在では覇権(hegemony)と呼びますが、結局のところこれは世界から富を米国に吸い上げるためのしくみを意味しているのです。

米国は19世紀半ば(明治維新のすこし前)の南北戦争のあと、北米大陸に閉じた国から、世界にちょっかいを出して、他国から富を奪い取る「覇権」を狙う国へと変貌し始めました。スペインとの間でカリブ海の覇権を争った米西戦争以後、米国は戦争をしかけては覇権を獲得し、富を自国に吸い上げるという行動を繰り返していきます。この戦争と経済(富の収奪)のセットが米国の最も重要な「公共事業」になり、これが現在までも続いていて、今や米国は戦争中毒に陥っている状況です。以前は10?20年に1回の戦争で武器の在庫一掃セールと覇権の獲得をすればなんとかなっていたものが、今は継続的に戦争をし続けないと持たない、という人もいます。

米国のやり方はともかくとしても、戦争を「勝っても負けてもつらい結果しか残さない」と考えるのは、戦後日本の教育を受けた僕らの特徴的な思考であって、まったく違う考え方もあるのです。

こういう考え方にたつ、(政府の)指導者は、戦争を適切に実行することこそ、国家の重要な仕事だと考えているし、ブッシュ政権はそれが期待されて生まれた政権であることも、支持団体や閣僚名簿を見ればわかります。副大統領のチェイニーは軍需産業の取締役に名を連ねた人だし、ブッシュ自身も軍需産業の間接的な株主、側近たちも同様です。

日本は、これに対して土建国家として成長してきたので、土建会社の団体が政治家を支援し、首相が誕生していました。その頂点に立ったのが田中角栄ですが、土建会社の団体が日本のリーダーを決めていたので、日本中で不要な建造物ばかり増えていきました。でもキングメーカーの業界が軍需産業でなかったことだけは幸いで、日本はここ66年間、戦争をせずにすみました。その代わり、自然や農村地域の経済は、土建活動によってぼろぼろになってしまいました。日本では、経済や成長のために自然が犠牲になることを、国民は「仕方がないことだ」と考えました。国民も「やむを得ない」と考え、そのぜんざい的な了解を背景に、土建団体が協力に動いて、リーダー(首相)が決まるという関係だったのです。

同じく米国では、戦争は国の発展のためにやむを得ないことだと考える人が強力な圧力団体になって大統領が誕生してきたという経緯から、戦争による覇権獲得と経済発展は、「戦争に反対する連中はちょっと騒ぐけれど、全体としてはやむを得ないこと」という理解がされてきたのです。戦争で人が死んだり苦しんだりすることを、なぜ承認するのだろうと思うのが僕らの普通の感覚ですが、その僕ら自身も、国の全体の発展のためには自然や農村の生活が破壊されてもいいのだと考えています。そして日本人自身も、ほんの70?80年前の昭和の戦争の時代は、米国と同じように戦争をとらえていたのです。

ところで、政治的指導者が戦争を容認するのは、指導者自身やその家族は、戦地に行かないようにできるからだと考える人たちもいます。この人たちは、「戦争をするなら、家族を真っ先に戦地に送るよう義務付ける法律をつくれば、戦争を起こさないだろうと考えます。しかし、これはあまり抑止力にはなりません。戦争をしてでも国を発展させようという人は、その方法論の正しさには自信があるし、多少の犠牲はやむを得ないという覚悟があるので、戦時の首相や軍の大臣が自らの息子や兄弟を激戦地に送ることもあり、実際に戦死することもあります。でもこういった人たちは、「死を賭しても国を発展させる」ことを是としているので、家族の犠牲も受け入れることが多いのです。

結局のところ、戦争によって得られる果実(経済的にも、名誉の面でも)が十分大きいので、犠牲を払っても戦争をしようとするというのが、戦争という手段が採用されるをメカニズムだと思います。

とはいえ、小泉→安倍と続く政権が、戦争を準備するかのような行動をとっているのは、もうちょっと情けない理由です。

小泉政権の5年間は、ブッシュ政権のいいなりの5年間でした。確かにそれ以前の自民党政権も米国にしっぽを振ってきたのですが、小泉政権以後はしっぽを振るというより、自らの政権基盤そのものを米国に依存していて、アイデンティティがそこにあるという状態です。確かに小泉政権下で不良債権処理はなんとか終わり、経済は再生しているかのように見えます。しかし再生の過程で日本の富の多くが米国に渡りました。代表例は長銀の破綻と新生銀行の再上場ですが、今は郵政民営化によって日本人が営々とため込んできた郵貯の資産が米国金融資本の草刈り場になるという指摘は多方面から出ています。

そういう金融のことはよくわからなくても、小泉以後の改革で、国民の生活水準がどれほど落ちたかは、明白です。グローバルスタンダードの名の下に、雇用制度は完全に骨抜きになり、企業は経営上もっとも重要でもっともやっかいな「人材」について、採用も解雇もフリーハンドになりました。多くの日本人が正社員から非正規雇用の状態になり、不安定な状況に置かれています。さらに、そういう状況をうまく乗り切れない弱者の犠牲は広がっていて、生存ぎりぎりを保証する生活保護が受けられない人が増え、その結果として餓死者まででる状況です(20大の健康だった若者の餓死者も出るほどで、本当の話です)。

もちろん10年前のように、企業が何が何でも雇用しておかなければならない状況がいいというわけではありません。雇用の流動化によって、力のある人がチャンスをつかんだり、働き方が多様になったのも事実です。しかし、こういう流れについていけない人に対するセーフティネットの必要性は、15年以上前からずっといわれてきたのに、この点はまったく手をつけないままに、強いものが強くなる政策だけを実行したのです。これは米国が日本に要求したことで、小泉政権はこれを忠実に実行したわけです。そして国民の、特に弱者が今犠牲になり、その一方で、国内に強い政治基盤がなかった小泉が、長期政権を可能になったのですが、これはブッシュ政権の強い支援があったからです。

そして今年、安倍首相にバトンタッチされたわけですが、基盤の弱い安倍首相は、さらに米国のいいなりになることにねらいを定めているようです。いいなりになるというと聞こえが悪いのですが、自ら望んで、日本の主導権を放棄し、米国に政策をゆだねた方が、日本はうまくいくと考えているわけです。日本は独立国であるより、米国の51番目の州になった方がいい、と考えているかのような行動で、実際どこかにそういう考え方が隠れているのでしょう。

今、米国が求めているのは、米国の戦争の一部肩代わりです。日本と米国は日米安保条約を結んでいますが、これは米国が日本を守るという片務条約になっています。米国が戦争をしても、日本は米国と一緒に戦争しなくていいのです。しかし、米国は今、冷戦後の世界に対応するために、世界中で戦略を革新していて、軍も再編しています。その再編の中で、日米安保条約の片務条約が実情に合わなくなってきているのです。米国が戦うときは、日本も軍事的に支援してほしいというリクエストがあり、つまりはイラク(もしくはその次の戦争)に自衛隊(自衛軍)を送り、戦闘に参加してもらうというのが、米国の本音です。片務義務を解消して、米国の成果戦争につきあえるようにすることを、集団的自衛権の行使というわけですが、これを実現するために、今さまざまな手を打っているのです。教育基本法を改正して若者に「国のために死ぬ」ことを善なることとして伝えて肯定させ、
憲法を改正して集団的自衛権を認めさせる。防衛庁を防衛省に昇格させて自衛隊は自衛軍に格上げ、国際活動を本来業務にする。その先にあるのは、米軍と一体化して世界のどこへでもいって戦争をすることです。

米国の盟友だったイギリスでさえ、米国の勝手な行動のへきえきしている時期にあって、日本だけが米国にさらにべったりになる行動をとろうとしている。それが、安倍首相の考える「戦争の果実を米国と一緒に分かち合う」ことで、それが日本の利益になると考えているのでしょう。そのための重要な一手が、今回の教育基本法の改正と、防衛省昇格の法案です。

両法案とも、すでに成立してしまいました。与党が300議席も持っていては、野党にはなすすべがありません。いったいだれが、自民公明に300議席もとらせたのでしょうか。

これから学校で、愛国教育が始まります。国を愛する心を説明する教科書ができて、君が代を歌い、国のために戦いに行くことも「重要なことだ」と説明すべきだという議論が出てくるでしょう。どこまでエスカレートするかは、国民の個々の問題に対する反対にかかっていますが、基本法が改正されてしまっていると、立場はかなり弱くなります。戦うための重要な堀はすでに埋められてしまったのです。

あえて、ひとつ答えをいうなら、学校からのエクソダス(脱出)かもしれません。不登校です。しかしそれも、今のように「個人の自由」と見なされる時代が終わり、強制的に学校に連れ戻されるようになるかもしれません。

僕自身は、それほどペシミスティックになっているわけではなく、中立的に見ようと思っていますが、教育基本法の改正が、これから何をもたらすか、真剣に注目していく必要があります。

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