(by paco)先日、小4の娘さんがいるパパと子育て談義をしたので、今週はそのことについて書いてみます。
グロービスの受講生だったそのパパ、Qさんは、いま妻との間で、中学の受験をどうするか、相談しているというメールでした。小4の2学期といえば、あちこちの進学塾からDMが舞い込み、「公立中学は信用がおけない」「私立の受験を考える親が何パーセント」「受験はこのタイミングで」「親のかかわり方が成否を決める」など、もう言いたい放題のDMが次々と来るので、そわそわしはじめるのも当然です。
実際、公立中学は問題を抱えているところもあり、私立の方がいいのでは?と考えるのもよくわかります。Qさんは、子どもに受験を勧めるかどうかを、ロジックツリーをつくって考えるとしたら、こんな感じ?という図を作ってメールで送ってくれたのですが、それを見た僕とのやりとりが始まりました。
そのロジックツリーの中で僕が注目したのは、「娘にはまだやりたいことがない」という情報でした。どうやら、趣味や習い事も含めて、「これが好き」というのがなく、本人がこれから、こんなことに興味があるとか、将来こんなことをやりたいとか、そういうことを持っていないと言うことが見て取れたのです。そこで、こんな返信を返しました。
「何かやりたいことや興味があるか」という点が一番重要です。もちろん、「キミは何をやりたいの?」「やりたいことを考えて!」と言っても、わからない子どもにはわかりません。苦痛になるだけです。
子どもが考えられるようになるのは、意外にていねいなステップが必要です。最初のステップは、「自分の希望を言ってもいいのだ」「希望を言えば、大人はちゃんと受け止めてくれて、一緒に考えてくれる」「実現に努力してくれる」という理解を持つことです。
子どもは無意識に親や周囲の期待に応えようとします。子どもがとっている行動のほとんど100%は、大人がそれを(無意識に)期待しているのです。
子どもに何かやりたいことがないとすれば、そういうものを持つことは重要ではない、持つ必要がない、もっても仕方がない、というようなメッセージを子どもが受け取っている可能性があります。本来、人間は、特に子どもは、新しいことにどんどん興味を持っていくものなのです。これは、人間だけでなく、子犬や子猫を見てもわかりますね、ほ乳類は、子どものうちは、たいてい好奇心旺盛です。
その子どもが、特にやりたいことがないというとしたら、やりたいことを考えることについて、やってみることについて、マインドセットができていない可能性があります。
そしてそのマインドセットができれば、子どもにはどんな可能性もあるのだということを、親は確信を持つことが重要です。それが子どもが「まっすぐ、伸びやかに育つ」重要な要件になります。
僕は音楽が好きで、今も新人アーティストウォッチングが日課です。最近デビューするアーティストは、若くても本当に実力がある子が多い。今聞いているのは、絢香ですが、彼女は17歳で今年デビュー、でも歌の実力は本当にびっくりするぐらいの表現力です。宇多田ヒカルのデビューは14歳、20歳で今年デビューした伊藤由奈も歌い手としてのパワーが本当にすごい。若くしてデビューすればいいと言うものではないけれど、若いうちに世に出るだけの実力は、十代でも十分つけられるし、その可能性はQさんの娘さんにもちゃんとあるということです。親が、子どもの可能性を見つけていくことが、親としての義務であり、楽しみでもありますよね。
受験を決めるまでにはまだ時間があるタイミングですから、今なら、一緒にどんなことが好きか、なにをやっているときの彼女が輝いているか、考え、サポートする時間があります。その「好きな何か」を、もっとパワーアップできるように、学校を選んであげるといいでしょう。
これに対して、
> ちなみに、私の家族では、以下のルールがあります。
> ・子供達は自分たちの意志で、どんな習い事でも始めてOK.
> (⇒ただし、現実的に体がもたないようなことはダメ)
> ・ただし一度習い始めたものは、最低は1年は続けなくてはならない。
> また、月に1度、家族会議が開かれます。
> そこでは、家族で発生している問題点などを共有して、家族みんなで解決
> するようにしています。
という返信がありました。これに対して、僕は以下のように返信しました。
月1回というのは、子どもにとっては少なすぎます。子供はおとなの3?10倍ぐらいゆっくりの時間を生きているので、1か月も間が開くと、何か話したくても、冷めてしまうでしょう。同じように、始めたことを1年続けるというルールも、長すぎます。これでは「とても1年は続ける自信がないから、やめておこう」と自分の意欲を自分でつぶしてしまいます。子どもにとっての1年は、大人にとっての5年以上になるでしょう。たとえば「グロービスに行き始めたら最低5年続けるように」と言われたら、Qさんはためらいなく始められまか? ルールがあるのはいいのですが、ルールを作ることで逆に意欲をつぶしてしまっているのでは? 実質的に禁止的なルールを作っても、意欲は育ちません。
子どもは、親の期待に精一杯応えようとします。そして、親のメッセージを親以上にまじめに受け取ります。1年は続けるようにといわれて、何かを初めて、結局自分で1年持たないという経験があれば、子どもは激しい自己否定の気持ちにさいなまれます。自分のやりたいことをやろうとした結果、自分を否定する気持ちが残ってしまうのです。
今の時代は、若い人たちがどんどん前に出て成功しています。音楽でも、スポーツでも。そういう人に共通しているのは、強い自己肯定の気持ちを持っていることです。自分はこれでOKという気持ちを持っているのです。始める気持ちも、やめる気持ちも、どちらも同じように親が肯定的に受け止めることが重要で、始めるのは肯定的でもやめるのが否定的だと、始めることそのものをためらうようになるのです。
実は、人間にとっては、始めるという決断より、やめるという決断の方がずっと厳しいのです。これは大人も同じです。会社を辞める決断は、新しい会社に就職する決断より、ずっと大変です。
子どもに、やめる決断をどうやって行うのかを学ばせることは、そういうわけで、とても大きな、学びの機会になります。1年というルールは、この機会を奪ってしまいます。大人になる前に、どれだけ自分らしく「やめる」経験ができるかは、その後の人間力を決めます。
僕は、娘に、いろいろなことをやらせてきましたが、やめる決断は常にリアルタイムで、子どもと一緒に考えてきました。そしてやめることを否定的にとらえないように、その代わり、なぜやめるのかをしっかり納得できるところまで一緒に考えています。彼女が人生最初に大きな決断をしたのは、入った幼稚園を「やめる」という決断でした。彼女は自分で幼稚園をやめる決断をして、新しい幼稚園に移りました。すごい娘です。
これに対して、Qさんから。
> やりたいことがない というより、やりたいことを探しているという感じだと
> 思っています。
> 先日も娘はフィギュアスケートを見ていて、「きれい!」と連呼していたので、
> 「やってみる?」
> と言ったのですが、「見てるのが好き」といわれ、がっくりでした。
始めたら、1年は続けるという約束があったら、おいそれと始められないのでは? 興味があったら、どんどん動けるように、親が支援する必要があります。親から のメッセージが逆に作用しないように親は細心の注意をする必要があります。「探しているように見える」のは、「自分で探すことを抑制している」可能性が
高いと、僕は考えます。
Qさんが、実際に娘さんの意欲を摘んでいるかどうかは、僕にはわかりません。Qさんと奥さまと娘さんが普通に話しているところを見る機会があれば、たぶんわかると思いますが。
ただ、このやりとりの中で僕が指摘したような、「親が子どもの意欲を摘んでいる」例は、わりとよくあります。もちろん、そういう親は、子どもの意欲はどうでもいいと思っているわけではないし、何かを強制するわけではなく、子どものことを考えているきちんとした両親です。でも、「なんでもやってもいい」「やり始めたら、1年はやる」というようなルールを作ることによって、子どもの芽を摘んでしまうことはとても多いのです。
1年という期間を設定するのは、やってはやめるというちゃらんぽらんな気持ちで物事に取り組む癖がつくとよくないという意識からでしょう。安易に初めて、あまり考えもせずやめるというのは、僕もいいことだとは思いません。では、なぜ安易に始めたりやめたりするとよくないのでしょうか。その点を、読者の皆さんは考えたことがありますか?
安易に初めて安易にやめるというのは、自分の決断を無自覚に行うということです。無自覚に始めたことは、やり始めても、なんのために、どんなことをやりたくてやっているのか、すぐに忘れてしまいます。自分がなぜそのことを始めたのか、意識が向いていないと、自覚的な時間が過ごせないのです。自分ではっきり決断しないと、やっている間も、地に足がつかないような、ぼけっとした状態でやることになる可能性がある。その、無自覚な時間は、人の心をすり減らします。内容の乏しい時間を過ごすと、そのぶんだけ人は心がスカスカになり、乾いてしまうのです。
内容の薄い、心が半分しかそこにないような人生は、やっていても楽しくないし、実りも少ない。そういうことに気がついた人が昔にもいて、「中途半端な気持ちで初めて甚目」という規範を作ったのでしょう。でも今は「中途半端はダメ」という規範だけは残っていますが、それがなぜダメなのか、自覚的にわかっている大人が少なくなりました(たぶん、もともと少なかったのです)。そのため、中途半端はダメという規範掛けを知る人が親になり、1年は続けるという形式的なルールを子どもに提示することになります。
僕は、子どもがやりたい、ほしいということについては、基本的に受け入れてきました。「続ける」というような条件はつけず、どんどんやらせてから、「続けたいか」を常に確認しました。この確認作業で重要なことは、言葉で聞くことはほんのわずかな意味しかないということです。言葉でも確認はしますが、それ以上に重視したのは、子どもが実際にやっているときの表情や、終わってからの態度です。本当に楽しそうにやっているか、そこから得られることに喜びを感じているか。終わってから「続けたい?」と聞いたときには、子どもは自分の心と反対のことも言えるのですが、やっているときの表情や態度は嘘がつけません。本当は乗っていないなら、親には必ず見抜けます。見抜こうという気持ちで見ている必要はあるでしょうが。
どうやら楽しめていないようだと思えば、きっぱりやめることを相談します。そして、もし安易な気持ちで始めたことが原因としてあるなら、そのことを話し、本人の自覚を促します。「僕から見ると、あまり考えずに始めたから、やっても気持ちが入らなかったように見えたけど、どう思う?」と聞きます。本人がどう答えても、否定はせず、親の見方を押しつけるべきではありません。この会話を通じて、「何かを楽しむには、自覚的に始めることが大切なんだ」ということに気づけば、子どもにとって大きな学びになります。その時、もし親自身に、適当に初めてすぐにやめてしまった経験があれば、話しておくといいでしょう。僕の場合は、中学の時にちょっとだけ卓球部に入ってすぐにやめたことを話して、「なんかやな感じだった」と感想を話したり、「でも、よく考えないで初めてもダメだと気がついたんだよね」と話したりしました。
何かを始める、何かをやめるということから学べることはとても多く、その機会を増やすこと、そしてこういうできごとを通じて学べることをきっちり学ばせることはとても重要です。しかし、そんな観点から考えるより、何より重要なことは、子どもがアクションをとるときの子どもの姿を、真剣に観察し、子どもの気持ちを十分に捉えることです。親たちは、ルールを作ることによって、ルールは見ても子どものことを見なくなってしまうように思えます。家庭内で大事なことは、ルールではなく、子どものことを親がしっかり見据えることだと僕は思います。
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