(by paco)263民主国家に、戦争ができる理由(4)

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(by paco)前回は、日露戦争以後、民主的なしくみを持つ政府が国民から戦争の支持を取り付けるために、情報をコントロールし、戦争遂行に有益な情報だけを流すことで、大衆の支持を得るという方法がとられるようになった、ということについて書きました。そしてそのような情報をコントロールし、限定的な情報を発信するためのツールとして、マスコミが利用されてきました。

日露戦争(1904?05)から第一次世界大戦(1914?18)にかけては主に新聞がその役割を担ってきました。日露戦争当時は日本は主に欧米の新聞記者に対して情報提供を積極的に行い、それがイギリス市民の支持を得て、繊細の発行がスムーズになったということは、前回も書きました。その後、第二次大戦(1939?1945)になると、ラジオが主役の座につきます。新聞に比べてラジオは速報性があり、また文字よりも音の方がはるかに人間の感受性や感情に訴えるために、影響力の大きなメディアになっていきました。さらにその後のベトナム戦争(1960-75)ではテレビ映像と写真雑誌による画像というビジュアルなメディアが大きな影響力を持ちます。ベトナム戦争では、従軍記者による激しい戦闘シーンや虐殺シーンがそのままテレビによって各国の家庭のテレビに流され、それが米国での反戦運動につながって、米国は撤退せざるを得なくなったと考えられています。

このあたりの、マスメディアが戦争遂行に果たした役割については、詳しくは、「メディアは戦争にどうかかわってきたか」に詳しいので、興味のある方はぜひ読んでみてください。

絶対王政とそれ以前の時代には、戦争は「王様の権力の誇示、または王の道楽」という側面があったと書きました。その後、近代に入り、各国の民主的なしくみが導入されると、政府の行動には国民の支持が必要になります。そのために、政府が注目したのがマスメディアというツールだったわけです。

このような関係から、政府はマスメディアを政府の管理下に置くことを考え始めるのは当然のことです。現在、ラジオ、テレビの放送局は、「電波という限りがある資源を無駄なく使う公共性」という大義名分のもと、許認可事業になっています。政府が開局の許可権を握っていることによって、テレビやラジオなど、放送メディアは、本質的に政府に反する報道がしにくい構造になっているのです。米国では全国ネットのテレビメディアは、今は保守系の資本家によって買収されていて、資本の論理によって制約を受けています。保守、つまり伝統的な国の政治方針に則って行われる戦争については、保守系資本家が政府を支持し、またその参加のマスメディアを方向付けて、政府に反する報道をしにくくすることができるようにしているのです。戦争に疑問を投げかける報道をした記者やディレクターは、さまざまな理由をつけて解任したり、解雇することができるという権限を握ることで、政府を支持する情報ばかりを国民に伝えることができるわけです。

たとえば、戦争になると、自分たちの国を「我が軍」、相手の国を「敵」と呼んで報道することが行われるわけですが、もし報道が「中立」なら、「アメリカ軍」と「ベトナム軍」と呼ぶべきでしょう。実際には、このような中立的な呼称を番組内で使っただけで、政府から「利敵行為」と名指しされて、その後、「我が軍」「敵」といいかえざるを得なかったという例もあります(フォークランド戦争時のサッチャー首相とBBC)。

新聞についてはどうでしょうか。日本では新聞はいわゆる再販制度に守られています。国民の多くが知っておくべき情報を市民に提供する社会的に必要な仕事と位置づけられ、それ故に、価格競争に巻き込まれないように、全国同じ価格で販売するよう小売店に義務付けることが許されているのです。これによって新聞社は非常に安定した経営基盤を獲得しています。国による施策によって、経営の安定が保証されているのが新聞社という存在です。しかしこのことを裏返せば、戦争という行動に政府が出るときには、政府に生殺与奪権を握られていることを意味します。政府はマスメディアの存亡の根幹を押さえることで戦争に反対する報道をしにくくしているという点を、理解しておく必要があります。

実際には許認可権や再販制度だけでなく、戦前の治安維持法のような思想犯罪、政治犯罪を法律で規定してそれによって縛ったり(社会を転覆させる反社会的な行動を規制する)、コミトン256で以前指摘した「共謀罪」のように、一見、「凶悪犯」のみを対象にしているように見える法律を作っておき、その後、国民の思想統制に悪用するという方法も取り入れて、徹底的に統制していきます。実際、治安維持法が議会を通過したのは、戦争が始まる遙か前の1924(大正14)年で、こういう法律が戦争が始まると強化され、国民の中から戦争に疑問を投げかける行為を押しつぶしていくのです。

実際には、戦争という選択肢が見えてくると、マスメディアがしばしば、自ら進んで戦争を支持し、戦争に向けて国民をあおるという行動をとるのです。昭和初期まではリベラルで知られた朝日新聞が、1931年の満州事変を境に180度変貌して、他の保守的な新聞(毎日や読売)を凌駕するほどの勢いで戦争支持を唱えて、リベラル派をびっくりさせたわけですが、この時点では治安維持法など、思想統制はまだそれほど明確ではなく、政府の圧力によってということではなく、自ら進んで戦争という政府の選択を支持する、という方向転換が起きています。なぜ朝日新聞が自ら方向転換を行ったのか、いまだに正確な分析はありません。しかし、当時新興の読売新聞が、保守的な紙面で一気に読者を獲得して、朝日を急追していたことが挙げられます。また当時の日本人はまだ世界の情報に触れる機会が少なく、その結果国際感覚が乏しく、国が独善的になって孤立化することの問題点を知らなかったという点も理由に挙げられるでしょう。孤立化する問題点をていねいに理解させるより、「自分たちは悪くない、列強が悪い」というメッセージを発した方が、多くの国民に受け入れられやすかった。読者の支持を受け、部数=売上を確保するチャンスとみて、読者に「耳ざわりのよい」情報を届けることを選択した可能性があります。マスメディアも企業であることから、経営のために情報の合理性を犠牲にすることもありえます。

マスメディアは、市民に正確な情報を提供するという役割を負っているものの、一方で政府の規制を受け、経済原理にもさらされています。このような中で、マスメディアが伝える情報は、戦争という大きな選択の前に、しばしばその役割を果たせなくなる原理的なしくみの上に存在しています。そのことをしっかり理解しておかないと、なぜ戦争が起こるのかを理解することはできないのです。

さて、次回は、戦争の前に正確な情報を獲得するというのはどうのようなことなのかを考えてみたいと思います。

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