(by paco)今、ふたつの重要な法案が審議されているのを知っていますか?
ひとつは共謀罪、もうひとつは教育基本法の改正。
共謀罪とは、既存の犯罪、約600種類ほどを取り上げ、その犯罪を犯す可能性があるような「相談」をしただけで、というより、居合わせただけで、犯罪になると言うものです。しかも、そういう謀議の席に居合わせ場合、「やっていました」と名乗り出ると、罪が軽くなるという条文までついています。
たとえば、「アイツ、気に入らないから、夜中に帰宅するところを襲ってぼこぼこにしちゃおうか」と友だちが言い出したとします。まさか本気だとは思わず、「そうだよね、あいつはそのぐらいのことをしたっていいぐらいだよね」といえば、それで共謀罪が成立する、と解釈することもできるような条文、らしいのです。しかも「いや、それはやめた方がいいんじゃないの?」といっても、謀議に参加したことになった、と解釈されて、罪になる可能性だってある、らしいのです。
この共謀罪の趣旨は、いわゆるテロ対策の名目で、既存の法律ではカバー罪に問えないような、警官「テロを起こすつもりだな!」容疑者「話しているだけだよ、な」「そうそう、ただの話、困るなあお巡りさん」というような事態でも、本当にテロの謀議をしているなら、罪に問えるようにして、テロを未然に防ぐというものだそうです。でも、実際に条文を読み、字義通りに解釈すれば、上のような酔った勢いでの冗談も罪に問えてしまう。つまり法律の運用次第では非常に「凶暴」な法律です。
戦前、戦争に突き進む政府への批判を封じた治安維持法も、法律ができたのは戦争にはいるよりずっと前で、法律が通過したときには、だれも「政府批判をいっさい禁止し、批判者をすべて罪に問う」ような法律だとは理解していなかったという事実があります。法律は、いったん成立し、乱用が始まると、止めることが非常に難しいのです。
僕自身、この法律にくわしいわけではないので、ぜひ「共謀罪」で検索して、どのようなものか、確認してください。
もうひとつの問題の法律が、教育基本法の改正です。こちらは一部、新聞やTVでも報道されているので、知っている人も多いと思います。条文に「国を愛する」何チャラというような文言をどうするというような、全問同様な議論が政府内であった上で、今回条約与党内で条文案がまとまり、提出されました。
日本人なんだから、国を愛するのはそれでいいことじゃないかというかもしれませんが、問題は「国を愛するというのはどういうことか」という点が、政府や文科省、自治体などの解釈で、いかようにも変幻してしまう可能性があるという点です。実際、東京都の公立学校では、入学式や卒業式で日の丸の掲揚と国歌斉唱が義務付けられ、君が代を「声を出して歌わない」教師は、「研修」や「懲罰」を受けるようになっています。国家を「歌う」という行為まで、国や行政が義務付けるようになり、教師が良心や信念に従って歌わないということさえユルされなくなる時代になっています。これが、「国を愛する」という名目で、子どもたちや親にさえ、強制される可能性があるのが、教育基本法の改正のねらいです。
さらに、学校で政府を批判するようなことを教えたり話したりする教師はクビになったり、政府のやっていることが不適切だった(たとえば水俣病への対応など)という記述を教科書に書いたり、教えたりすることも、愛国的ではないという判断になる可能性もあります。「国を愛する」が、「現政府のやっていることを支持し、批判しない」という意味に、かんたんにすり替わってしまうのは、9.11事件以後の米国を見ていても、すぐにわかることです。
国を愛すること自体は、日本人なら多くの人がやっていることです。今年はオリンピックもワールドカップサッカーもあるので、みんな日本を応援する愛国者になるでしょう。でもそれを政府が法律で行うということとは、まったく意味が違うということを、僕らはよく考えていく必要があります。
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