(by paco)コミトン「251こころざし格差の時代」で、「意欲が高い若い世代が育っている」という話を書きました。それに類する話で、最近感じたことを書いてみます。
こころざしを高くもつ人には2種類いる、という話です。
先日あった学生は、理系バリバリで、元気がいい上に、はっとするほどきれいな女性でした。女子校から受験勉強ばかりで大学に入ったので、恋愛はお預けだったようですが、コレからモテモテ間違いなし、という感じです。名の知れた大学の理学部に入ったばかりで、いわゆる前途洋々、怖いものなんかないだろうという印象でした。
その彼女とは、別にライフデザインの話であったわけではないので、そんな話を聞こうと思っていたわけではないのですが、ちょっとだけ「将来はどんなことをしたい感じ?」と聞くと、それまでの明確な答えが急に濁るのです。あまり話したくないんだなと思い、深追いはしないことにしたのですが、同席していた彼女の友人が「Aちゃんはすばる天文台に行くためにこの大学に入ったんだよ」と話してしまったのです。それからAさんは急に不機嫌になって、とても居心地が悪くなったようで、ちょっと別人のように静かになってしまいました。
すばる天文台はご存知の通り日本がハワイ島に作った世界最高峰の天文台で、性能の高さからそこで仕事をすることは、天文分野に興味がある人にはあこがれでしょう。こころざしの高さは、かなりものです。そういう仕事にあこがれをもち、それに向かって受験勉強をしてきて、合格をつかんだことは、彼女の強い意志を物語るものです。でも、その彼女が、自分の
夢について話したがらず、夢への最初の一歩を踏み出したことにいごこちが悪そうにしている。そのことにちょっとはっとして、同時に思い出したことがありました。
僕の同級生(ということは、40代半ば)で、独身の男性がいます。彼は法学部を卒業後、金融系の有名企業に勤めていたのですが、過労で心と体をこわして数年でやめてしまい、司法試験に挑戦するも、これも3年で挫折。その後は、体調は万全とはいえないまでも、ほぼ回復してきたので、アルバイトに近い程度に小さな会社の手伝いをして生活してきました。そんな彼にも、実は大きな夢があるらしいのですが、僕には、というより、ほかのだれにも、それを話さないらしいのです。ちらちら話した感じでは、小説家とか劇作家とか、そういったことを志していて、実際に書いたり賞に応募しようとしていたり、ということはしているらしいのですが、それについてはほとんど話してくれません。
同じように高い志をもっていても、「251こころざし格差の時代」で紹介した2名とは表現のしかたが対照的で、今回紹介したふたりはこころざしをもっていることが、どこか居心地が悪く、表に出すと自分の夢が壊れてしまうというような感覚を持っている、という点に違いがあります。考えてみれば、僕自身も、学生のころはそうでした。夢が大きかったり、実現できそうもなかったり、それを実現している人がほとんどいなかったりすると、人に話しても「そんなこと実現できるわけはないだろう」と言われて否定されてしまいそうで、夢が壊れてなくなってしまうのが怖くて、話さないようにしているのでしょう。壊れてしまい、夢のない人になるのが怖くて、よけいに話せない。こういう気持ちも、よくわかります。
前回の2人の夢が実現可能な夢で、今回の2名が実現困難な夢だから、というのがちがいになっているのでしょうか? たしかに前回の2名は「ビジネスとしての環境」と「アジアのアートを日本に」というように、ビジネスになりそうなテーマといえなくはありません。でも本人にとってはどうでしょうか。この大学に入って、こういうところにがんばれば、そこに行けるといえるほど、道が見えているわけではないし、もののわかったふうの大人に話せば、「そんなことで食えるわけがないだろう」と言われかねないという点では、今回の2名の夢と、夢の実現の可能性の低さでは、あまり変らないかもしれません。実現に向けて道も、本人から見れば切りの中という感じではないでしょうか。
それでも、一方は自分の夢を人に話し、アドバイスを求めたり、行動を取るエネルギーがあり、他方は人に話せず、行動を取っていないか、あまり動けていない。
たとえば、上記の作家志望の男性Bさんの場合、本当に作家志望なら、書いたものを読んでもらうのが仕事のはずです。であれば、自分が書いたものを見せ、おもしろがってもらったり、ときにはつまらないと言われたりすることが、仕事そのものです。少なくともファンがついてくれなければ、作家という仕事は勤まりません。でも、そういうものの見方ができずに内にこもってしまっている。現実の作家という仕事の意味を見ずに、自分が描いた「作家」のイメージを抱くことが目的になっているかのようです。その結果、自分の夢がはかなく、壊れやすく、ナイーブなものになってしまっているのでしょう。
自分の夢を人に話せるか、いろいろな意見を受け取れるキャパシティがあるかどうか。夢をデリケートなものとしてとらえてしまうメンタリティを、子どものころからすり込まれているのではないかと感じることもあります。こういう夢の付き合い方からは、夢をかなえることは難しく、夢というもののとらえ方そのものを変えるところから始めることが、結局近道なのではないかと思えます。
夢とうまく付き合い、夢をこもらせることなく、解放していくことが、夢をかなえる大きなステップになります。もしあなたが、自分の夢を人に話すことに臆病になっているなら、
なぜ臆病になっているのか、人に話せないのはなぜか、夢とはどういうものとしてとらえているのかを考えてみることをおすすめします。夢は、もっと明るく、楽しく、話すだけでワクワクするようなものなのです。だって、夢なんですから。
※今週も休日モードということで、Global Eyesの記事はお休みします。
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