(by paco) 247日本人にとっての宗教

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(by paco)ユダヤ教と神道(日本の神社宗教)との関係について、何回かに分けて書いてきたのですが、改めて日本の神道について、僕が知っていて、皆さんが知らないかもしれないことを少しまとめておきます。僕自身、あまり体系的に学んだわけではないので、スポット的な情報になりますが、このテーマについて僕がどんなことを考えているか、途中経過の報告という感じです。

●ビルの上の信仰

P1090046.JPGまず、最近見た日本的な宗教の形について。札幌に仕事に行っていたという話は先週しましたが、その時に泊まったホテルから外を見ていたら、大通りを挟んで向かいのビルの屋上でおもしろい光景を目にしました。7階建てぐらいのビルの屋上に赤い鳥居と小さな社殿があったのです。まあ神社があることはそう珍しくないので、「ここにもあった」という感じで見ていたのですが、その日の夜、けっこう雪が降り、翌日の朝また見ていたら、屋上に男性が出てきて、雪かきを始めたのです。屋上の上がり口から鳥居、神社まできれいに「参道」をつくり、雪かきが終わると、神社に捧げる水を換えて、一段落すると、おもむろに鳥居の前で頭を下げてから前に進み、2拍手して参拝を始めたのです。けっこう、ていねいに参拝していました。

この人はおそらくビルのオーナーだと思いますが、こういうところにあるのは稲荷神社が多いんですね。実は、僕が最近引っ越した家の前にも小さな稲荷神社があります。僕のアパートのオーナーなのですが、去年の夏に家を新築し(同時に僕がいるアパートも建てた)、オーナーの家の庭先に、小さな、といってもけっこう立派な赤い鳥居と、社殿があるのです。こうして家庭やビルの屋上にあるような個人所有の神社は、たいてい稲荷神社ですね、鳥居が赤いので、すぐにわかります。

散歩が好きな人は、ちょっと気をつけてみてください。おそらく、徒歩圏内に1?2軒、見つけることができるのではないかと思います。

●神社にいっての初詣、どこに神様はいますか?

日本人の多くは自分は無宗教だと考えているようですが、正月に初詣に行く人は年齢を問わず、多いと思います。手を合わせ、参拝するわけですが、あのときに、神様はどこにいて、誰に拝み、祈っているのでしょうか。

神社の内部を見たことがありますか? たいていは、空っぽで、場合によっては社殿の向こう側はまた出入り口になっていて、外につながっていることも多いのです。社殿には御幣(白い紙の下がりもの)やしめ縄が飾ってありますが、もちろんそれは神様ではありません。奥に大きな丸い鏡があったりしますが、それも神様ではありません。御幣やしめ縄は神が下りてくる場所を示す記号で、鏡は神を映すといわれていますが、神そのものではありません。神様は目に見えず、またどこにいるかわからず、でも自分の前とか上の方のどこかにいて、姿が見えず、言葉を直接聞くこともできません。でも、そこにいるから、その対象に祈るわけです。つまり、神の姿を日本人は目に見えないものとして当然としているわけです。

キリスト教では偶像崇拝は禁じられているものの、キリストの像や絵が必ず飾ってあり、「あの人が神(の子)だ」と思って祈っています。神の具体的な形があります。仏教では仏像があり、ヒンドゥー教も同じく多くの神の像に向かって祈ります。具体的中身に名前があり、その名前ごとに異なる姿の神がいて、それに向かって拝むわけです。日本の神道では、誰に拝んでいるかは、しばしばどうでもいいことです。たとえば東京の明治神宮は明治店頭が神として祀られていますが、明治天皇の顔を思い出して拝んでいるわけではないし、むしろ天皇の家系の遠い遠い先祖が神だったというぐらいで拝んでいる人は気がきいている方でしょう。たいていは、その神社の神が誰か、名前も知らずに拝んでいます。

このような、偶像(神の姿)を持たず、神に名前を持たない(意識しない)というは、とてもユダヤ教的な特徴です。日本の神道がユダヤ教がルーツだという主張の根拠うがこの辺にあるわけですが、まあそれはそれとして、僕たちが何気なくやっている、神道の行為というのは、世界的に見てかなり特殊なことなのだということは知っていていいと思います。

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コメント(2)

浄土真宗にこっているので 神というのが以前はきらいというか商売敵のように思ってました。でも この頃いわゆる精神世界系(意味通じるかな)の人たちと接点を持って 少し考えが変わってきました。私もこのテーマには興味があります。

北陸は、真宗の方が多いですよね。あれはとってもジャパニーズなハイパー宗教で、オリジナルの仏教とは似てもにつかないという感じです。もちろん、だからといって真宗の宗教としての価値や存在感は、何一つ失われたりしないのですが。オリジナルの仏教というのは、まったく「救いのない」教えなんですよ。

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