(by paco)1月に引越をして、新たな住民になったことを、地域の「エホバの証人」の人たちに「見つかって」しまい、訪問攻勢を受けています。「目覚めよ!」「ものみの塔」を配布している宗教です。
読者の中にもこの宗教に属している人がいるかもしれませんね。先にいっておくと、僕はここの信徒ではないけれど、こういった宗教を好意的に見ているし、ていねいに応対しています。でも、信徒以外の人にとっては、ときにその熱心な布教活動を「ちょっと迷惑?」と思っている人も少なくないと思います。僕がどんな風に対応しているか、ちょっと書いてみようと思います。
「エホバの証人」との出会いは、僕が小学校のころ、仲がよかった友だちの家族が信徒だったことから始まります。彼のおかあさんが熱心に布教していて、「目覚めよ!」「ものみの塔」を、僕のような「息子の友だち」にも説明していろいろ話してくれたのですが、正直、何を言っているのかまったくわかりませんでした。「イエスは、自らの死をもって、天国で人間が幸せに暮らせることが可能にしたのです」などといわれても、日本語とは思えません。
のちに、僕は宗教を学問として学び、研究することで、ユダヤ教やキリスト教の、本当の力をじょじょに理解できるようになり、こういった「日本語とは思えない」ような説明の意味を、多面的に理解できるようになりました。
ひとつの側面は、人間は常に矛盾をはらんだ不条理な存在であり、キリスト教や聖書は、この人間の矛盾をすべてないほうしている、という点で、とても優れているということです。善と悪、生と死、意欲と堕落、清と濁など、人間が持つあらゆる矛盾についての解釈が含まれているので、その矛盾に目を向けたくない若い世代にはかなりきつい説明が多いのでしょう。でも、それなりに年を重ね、人間の不条理に目を向ける力がついてくると、聖書の意味と価値がわかってきます。こういう不条理が、人々を引きつけるのだろうし、激しい不条理に直面した人にとっては、救いをもたらすだろうと。そしてそういう救いを求めている人は、どこにいるかわからない。そういう人と出会う活動としての布教は、けっこう大きな意味があるのだろうなということです。
ふたつ目の側面は、布教は信徒である彼ら自身の魂の救済活動であるという点です。布教は神の意志にかなったものとされているので、断られててもにこにことして布教できる人ほど、将来神の国で幸せになるという考えを受け入れている。だから、断れたり、無視されることに堪え、それを自ら進んで求めることさえできる。そういう意味では、少々うっとうしいなあと思うことがあっても、そういう気持ちを彼らに投げつけたところでなんの意味もないことがわかります。うっとうしいというこちらの感情を投げつければ、こちらの気持ちは、実はけっこう嫌なものになる。でも布教中の信徒は、それが神の国に近づくことだと思う。まあだったら、不快感を表に出して、こちらでちょっと嫌な気分になって損をするより、そんな感情をちょっと抑えて、「今はその活動は必要としていないのよ」と伝えればいいだけ、という割り切りができます。
2つ目は、こういった布教活動の姿は、古代ローマ帝国で原始キリスト教徒が行った布教とたぶんほぼ同じもので、彼らが古代ローマ人だと思うと、古代が身近に感じられるようになります。もちろんこれは、「古代人だから水準が低い」という意味ではなく、「古代の人も現代の人も、実は人間としては何も変わらない」という理解をするためのよい教材になるということです。「考え方のつくり方」「先見力」で書いた、「縦軸」を獲得するためのよい機会になるのですね。
4つ目は、欧米の、というより特に米国の保守的なキリスト教徒の考えの原形がわかるということです。ブッシュ政権を支えているような、「自称善良なキリスト教徒」が、どんな考えを持ち、それにもかかわらず世界から戦争がなくなることがない、という矛盾を、けっこうしみじみと感じることができます。まあこれはけっこう高度な理解なんですが。
というような感じで、僕自身はこんなことを考えながら、布教に来た穏和な婦人と話し、「ものみの塔と目ざめよ!」を受け取って、ちらちらと見出しを追っています。
うちにも熱心に来てくれています。
私も浄土真宗にこっているので 気持ちは少しはわかるつもりなのでパコさんに似た対応をしています。
宗教っておもしろいですよね。おもしろいは言い方が良くないかもですが。
コメント、ありがとうございます。
宗教の話はタブーとよく言われますが、あまりこだわらずに、やっていこうと思っています。ここはクローズドな場所なので、比較的トラブルも少ないでしょう。
昨日もものみの塔の方が来てくれて、いろいろ話したのですが、やはり彼らの説では、僕が知りたいことは教えてもらえないという感じですね。
昔と違って、僕も聖書やほかの宗教の知識が格段に増えたので、知識や理解レベルで、彼らよりずっと上なのです(^^;)。もちろん、論破してやろうなどとは思っていなくて、そこには答えがないと思うので、信者にはなりませんと話しているだけなんですけど、理解してもらうにはもう少しかかるようです。