(by paco)おとといの金曜日、Alfa147のちょっとしたメンテナンスがあって、第三京浜港北IC近くの工場にいったのですが、帰りにToshiさんのところに寄りました。Toshiさんの家は港北のひとつ東京より、都筑ICからすぐなのです。
Toshiさんは最近、畑を2箇所借りていて、例の「不耕起農法」で野菜を作りまくっているので、いろいろ教えてもらったのですが、僕がいうのもなんですが、彼はほんとにオタクだ。やさいオタク、というより、植物オタク、というべきかも。
不耕起農法ということで、耕さない、水や肥料はなるべくやらない、という自然のままに近い条件で野菜を作っているのですが、なんでToshiさんが野菜を作るの?、というと、たぶん彼は「持ち寄る世界」を自然界から学ぼうと思っているのだと思います。
「奪い合う世界から、持ち寄る世界へ」というコンセプトは、9.11テロ以降、Toshiさんが何回か提示してきたことですが、彼の畑を見ていると、畑を取り巻くいろいろな要素が「持ち寄って世界をつくっている」ことがわかるのです。
野菜の種や苗、雑草、虫、人間(Toshiさん)、そして日光や雨、気温までがみんなそろってハーモニーを奏でている。その中で人間がコンダクターになって、時に雑草や虫にちょっとどいてもらったり、枯れた雑草に力を借りたり、やさいの一部を虫に上げたりしながら、結果として野菜の収穫をもらっている。たしかに野菜はおいしく食べられるのですが、彼にとって大事なことは野菜の収穫ではなく、そこに「持ち寄る世界」がひとつ生まれている、ということなのだと感じました。それが実際に実現していることは、実にすばらしい。
でも同時に、その「持ち寄る世界」の実現が、実にきわどいバランスの上に成り立っている、というよりは、そのバランスをとる取り方が、あまりにマニアックで、多少植物のことを知っている僕でも、よく理解できない、という点でしょう。つまり、彼が望まなくても、そのやり方が「秘伝」の域になってしまっていて、他の人が実行できるものではなくなっている。
たとえば、雑草が生えても抜かずに、踏み倒し、そこのあいだにタネをまいたりしているのですが、たとえば六兼屋で同じことをやっても、種が発芽しません。発芽しても、雑草に負けて育たない。「周りの草を倒すか、少し切って日を当ててやれば、育つよ」とToshiさんは言うのだけれど、六兼屋では日当たり以前に、雑草に根本を締め上げられて、根が張れずに育たない。それに、雑草を倒しても数時間後には立ち上がってきてもとの状態になってしまうし、切っても数日でどんどん丈が上がって、雑草に埋もれてしまう。虫も同様で、Toshiさんは、雑草があるとそっちも食べてくれるので野菜が丸坊主には食われないというのだけれど、六兼屋では雑草の茂みが虫の住みかになり、食べやすくておいしい野菜を食べては、雑草のあいだに隠れてしまう、という印象。
Toshiさんがやっている畑の面積は、六兼屋の庭よりずっと狭いし、2週間に5日しか行かない六兼屋と、毎日畑を見回れるToshiさんの違いも大きいのですが、いずれにせよ、僕が見る限り「なぜうまく行くのか、よくわからない」し、その意味でなんだか魔法を使っているようにも見えます。そういえば、どことなく魔法使いのような風貌に近づいてきたような。
まあ、Toshiさんのことなので、これからその「秘伝」を言語化するか、あるいはうまく伝える方法を考えて、「未来図」で伝えていくことになるのだと思いますが、壮大なテーマに挑むなあとつくづく感心した次第でもあります。
このあたりは、またいずれ、Toshiさんにレポートを書いてもらおうと思っています。
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