(by paco)先週のできごとから、QOLについて考えたこと。
先週火曜日、サイバーメンター主催のセミナー「メンタージャム」で、ロジカルシンキングの概要とワンポイントレッスンを話す機会がありました。
80分の講演を終わって、質問を受け付けたら、ベテラン弁護士の方からこんな趣旨の質問が。
「私は長く弁護士をやっているけれど、人間は、他人から説得されても考えが変わることはまずない。裁判では、判決が出たり和解で自分の考えを曲げるざるを得ないこともあるけれど、それは仕方がなくやっていることで、考えが変わったわけではない。今日の話は論理による合意形成ということだが、そんなことは実際には無理なのではないか?」
さて、こういう質問(というか意見)に、あなたならどう答えますか? 特にクリシンやロジカルシンキングを学んだことがある人は、ちょっと考えてください。
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で、僕の答えは、こんな感じにしました。
確かに、人は自分の考えを変えることがとても難しい生き物です。とても頑固で、説得されないし、わかったふりをして、実際にはなかなか変われない。そういう点では、あなたのお考えはたぶん100%正しいとおもいます。
でもその一方で、人間は何かをきっかけに180度まったく違う考えに変ることがある。僕はそういうことをフランス映画で学んだのですが、フランス映画では、そういう人間の不条理ばかりが繰り返し描かれます。たとえば、社会的に成功し、家族もいるような中年の男性が、若い女性と出会って恋に落ち、何もかもを失うことをわかっていても、その恋に身を投じてしまう。でも結局その恋は終わり、男は何もかも失って場末の酒場で飲んだくれて静かに死んだりするわけです。でも彼にはそういう結果になったことをまったく後悔していない。そういう暴力的な恋に落ちることができた人生に満足している。外からどんなにみじめに見えても。金儲けしか考えられない男が、少年との出会いで金にはならない上に、命までかけて少年を守る行動に出ることもある。
どんなに緻密に考えて人を説得しようとしても、結局、相手は変らないかもしれない。でも自分の説得で大きな変化が起こる可能性を、僕はいつも否定したくない。バカげて見えるかもしれないし、単なるオプティミストかもしれないけれど、そういう思いがなければ、説得などできないのではないかと思います。
論理を使って説得しても、相手が動くとは限りません。もちろん、感情に訴えても、同じことが言えます。でもだからといって、説得し、変ってほしいというメッセージを送ることをあきらめてしまうことはできない。「説得しないと変りようがない」ということではありません。説得しなくても、別の偶然のできごとに変る可能性もあります。でも、説得することも、相手を動かすきっかけになりうるし、それは説得ということに関して人間が意図的にできるほとんど唯一のことなのです。
自分の考えで生きていくことをQOLの高い人生というなら、それは常に周囲を説得することの連続です。QOLのある人生というのは、人のいわれるままではなく、人を動かしながら生きていくことにほかならないからです。人を動かすことをあきらめてしまっては、自分のQOLも高まらないのだと僕は思います。
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