(by paco)242 ユダヤ人のアイデンティティ

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(by paco)前回に引き続き、ユダヤ人ネタです。

ここのところ読んできたのは、以下のような本です。
ヒトラーとユダヤ人
ユダヤ人とローマ帝国
ロスチャイルド家―ユダヤ国際財閥の興亡

まず、気になっていたのが、ユダヤ人のアイデンティティとは何か、という点です。ユダヤ人の定義、自らをユダヤ人と呼ぶ、あるいは誰かが誰かをユダヤ人と決めつけるのは、どういうことから来ているのか。

日本人の定義とは何かといわれれば、日本国の国籍法の解釈に従う方法があるし、一般的には両親とも日本人なら日本人という理解でしょうか。もちろん、片方の親が外国人だった場合、あるいは在日コリアだった場合、あるいは帰化したコリアだった場合、などいろいろな場合の、法的な解釈もあるし、また日本人の平均的な理解もあるでしょう。個別の事例では意外に難しいことだと思います。

では仏教徒の定義は? 神道徒の定義は?となると、かなり難しい。親族の墓が寺にあるからといって、仏教徒といえるのか。神道徒の定義はさらに難しいでしょう。一方、キリスト教徒の定義はだいぶ簡単で、教会で洗礼を受けたかどうかでほぼ決められます。そしてキリスト教徒は国籍や人種はなんでもいい。親が何教かということも問われません。民族を超えて、キリスト教徒は存在しているし、それがキリスト教の特徴です。イスラム教も、同じようなしくみで「洗礼」にあたる入信の儀式で決められ、親がどうか、民族(血筋)がどうかということは問われません。

ではユダヤ人はどうか。

ユダヤ人といっても時代によってかなり状況が違うようなのですが、本で読んだ範囲のことで言えば、ローマ帝国のキリスト教誕生前後、ユダヤ人はエルサレムの巨大な神殿都市を中心としたパレスチナに住み、ローマ帝国(当時は共和制から帝政への移行期)から特権的な地位を与えられて栄えていました。その頃はユダヤ人は積極的に信徒の勧誘を行っていて、非ユダヤ教徒(ギリシャ?ローマの多神教を信じる人、その他、多神教の古代宗教を信じる人)をユダヤ教徒に勧誘して増やしていました。つまり、今のキリスト教やイスラム教のように、民族を超えて、親の宗教が違っても、ユダヤ教徒になることがふつうだったようです。

その後、ローマ帝国内でキリスト教徒が増え、皇帝の弾圧に耐えて公認され、国教になるまでに地位を上げるにつれて、ユダヤ教徒は逆に守勢に転じ、しばしば弾圧の対象になりました。紀元2?3世紀になると、ユダヤ人の布教は活動はかなり小さくなり、ユダヤ人の子はユダヤ人、ユダヤ教徒の子はユダヤ教という状態になり、ユダヤ教徒とユダヤ人はイコールになっていったようです。とはいえ、その時点でユダヤ教は2000年の歴史を持っていて、それ以前にも中東からエジプト、地中海沿岸に広がっていて、その間に混血も進んでいたと思われるので、血統という意味で「ユダヤ民族」といえるのかはハッキリしません。

ユダヤ教のように4000年近い歴史を持っていると、時代ごとに盛衰があり、アイデンティティをつかむのが非常に難しいのは事実です。ユダヤ人を「ユダヤ民族」として、血縁関係を中心に定義できる時代と、「ユダヤ教徒」として、宗教的な手段ととらえるべき時代とが交錯していることが、わかりにくさの一つの原因であり、このあたりをとらえていくことが、これからの作業になりそうです。また続きを書きます。

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