2007年2月アーカイブ

(by paco)今週は、僕の仕事からの話題を書きます。

最近、Present Tree in 南八ヶ岳「ヤマガラの森」の売り込みに必死なので(^^;)、この関係で人に会うことが多く、環境ヤモリの話をしていると、「pacoさんは何で喰ってるんですか?」という質問を受けることが多くなります。もともとフリーランスで、特定の企業や業種の仕事をしているわけではないし、収入源について不思議に思うのは当然のことです。

僕自身が何で稼いでいるか、その領域はその時期によってけっこう変わるのですが、ここ数年の収入的な主力事業は、ロジカルシンキングを教える研修講師の仕事です。グロービス・マネジメント・スクール(GMS)での講師もそのひとつですが、GMSでは毎期1コマ、月に3時間かける2回の授業しかやっていないので、それだけで喰っていけるほどのギャラは受け取れません(GMSのギャラは、悪くはないですが、講師の仕事として特にいいというわけではなありません)。主な収入源は企業研修の講師で、これは僕のオリジナルの教材を使って、企業内でおこなう研修の講師を担当する仕事で、比較的単価は高いので、一定の収入を得ることができるのです。ほかに、連載の原稿料や本の印税、コンサルティングのフィーなども柱のひとつにはなっています。研修の仕事は、週5日間、フル稼働すれば、ものすごい収入になるでしょうが、残念ながら、講師の仕事をこんな密度でやることは少なくとも僕にはできません。慣れた仕事とはいえ、大人を相手にものを教えるというのはけっこうストレスフルで神経を使う仕事だし、企画やカリキュラムをクライアントに合わせるといった準備、休養も必須です。

(by paco)里山の話が続いたところで、もう少し田舎っぽい話を続けます。コミトンは、1週間の僕の活動というか、関心事をそのまま反映させて書いていることが多く、今週はもっぱら「Present Tree in 南八ヶ岳 <ヤマガラの森>」の寄付集めを中心に回っていたので(他の仕事もやってはいたのですが)、やはり関心が田舎っぽいことに向いています。

今週末は六兼屋で過ごしているのですが(先週は東京でした。だいたい、隔週末で東京と八ヶ岳の生活を切り替えているので、来週末は東京です)、先々週の週末、前回六兼屋に来たときに、冬のお約束、味噌造りをしました。「手前味噌」という言葉がありますが、これは自家製の味噌の意味で、昔は味噌は各家庭でつくっていたモノなのです。それぞれの家で自家製味噌の味が微妙に違い、自分の家の味噌の味が一番慣れているので、一番おいしいと感じる、でもあなたの家にはあなたの家の味噌の味があり、それがおいしいと思うんですよね、でもうちの味噌もおいしいですよ、というような半分自慢、半分謙遜のニュアンスで使う言葉だったのです。

(by paco)今週も、「ヤマガラの森」についてお話しします。今、この森についての活動に、自分の時間をなるべく割こうと思っていて、東京にいて、少しでも多くの人に会って、この話をしています。寄付や活動への協力に興味がある方で、会って話を聞きたいというかたは、遠慮なくメールをいただきたいと思います。

自然とのかかわり方を知る場として森の貴重さについて、前回お話ししました。今回は、その延長で、森と関わることで、どんなことを知ることができるのか、という点を「時間」という観点から考えてみます。

僕が木ときちんと関わるようになったのは、2001年の年初、六兼屋ができてからなので、ちょうど7年になります。森の時計から見れば、たいした時間ではありません。多くの人が、森と関わるというと、100年1000年の活動と思っています。僕自身もそう思っていました。しかし、実際に木を植えてみると、植物の変化は思っている以上に速く、たった7年でも十分に変化を実感できることがわかってきました。その気づきが、今回の「ヤマガラの森」の活動を決断させたということができます。

(by paco)環境問題に本格的に取り組み初めたのが2000年。僕自身のミレニアムプロジェクトでした。それ以前から知恵市場でも環境問題をテーマにしたMLをつくるなど、いろいろチャレンジはしていたのですが、自分の仕事のなかに位置づけたのがミレニアムのころから。

それから7年たち、いろいろチャレンジしたり、知識を深めるにつれて、考え方が少しずつ変わってきました。

最初の5年ぐらいは、企業の経営を環境に適応させることを考えてきました。そしてそれはある程度可能だという感触はつかめました。実際、トヨタやリコー、星野リゾート、他さまざまな日本企業が、経営に環境を組み込み、それをテコに使いならが経営を成功させてきたのですから、環境経営という方法論は十分以上に実質的な価値があることは確認できました。僕にとっては、企業を環境適応させるというアプローチが「正しい」ことが確認できたのは、研究の成果として満足のいくものでした。